そばがき日記|これじゃないライカとは
ライカ社が創立100周年を迎え、さまざまな記念モデルが登場している。なかでも気になるのが「Leica D-LUX8 “100 YEARS OF LEICA”」だ。
これは実のところ、Panasonic LX-100 IIのOEMモデルとされていて、ライカ独自の要素は絵作りソフトウェアのチューニングにとどまるらしい。
性能は申し分ないし、デザインも秀逸。歴史に残る銘機になるかもしれない……が、やはり価格が可愛くない。逆に言えば、「値頃感の欠如」だけが欠点なのだ。そこに僕は〈ライカの呪い〉のようなものを感じてしまう。
これ、中身も全部ライカオリジナルなら、値段も“やっぱライカだし”で納得できるんですけどねえ。
この声には深く頷ける。
「僕のライカはこれじゃない」という違和感。その感覚自体に、僕はとても強く惹かれてしまう。
「写真する」とは、突き詰めれば〈選択〉の連続である。
テーマ、モチーフ、構図、露出、機材。すべては選び取る行為だ。
だからこそ、「なぜこのカメラを選んだのか?」という問いは、その人の思想や態度を映し出す。
たとえば、〈価格が高い〉というのも、写真家が選び取る「機能」だと考えてみたい。
「写真する」とは、もうひとつの極論として言えば、「私が写真を撮っています」と宣言することなのかもしれない。
ボードリヤールやブルデューが指摘したように、高価格なモノは〈何者かである〉ことを示すシグナルとなる。
ライカを使うことで、「私は写真をしている」と外に向けて発信する――その機能は確かに存在していると思う。
もしも“才能”がお金で買えるとしたら、僕は一度くらい買ってみてもいいと思う。
ただし、それがOEMであると知ったとたんに、「産地偽装」めいた失望感がわいてくる。
この残念感、やるせなさ、寂しさ――その微妙な感覚の正体は何だろう?
もしかしたら、資本主義的な〈交換可能性〉がもたらす幻滅かもしれない。
誰でも「何者か」になれる。でも、誰も「何者でもない」。そんな夢が覚める瞬間のようにも思える。
だからこそ僕は、一度「ライカという才能」を買って使ってみることをおすすめしたい。
〈ライカの呪い〉が覚めてからが、本当の「写真する」人生のスタートなのだと、僕は信じている。
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