今週やったこと|ジェフ・ウォールの次に、クラウスとバラッド
今週はひと言でいえば、ジェフ・ウォールの読書会を終えたあとにロザリンド・クラウスへ入り、新しい実在論とニューマテリアリズムの側から、「写真は哲学を更新するのではないか」と考え始めた一週間だった。
その軸になっているのは、クラウス「写真とシミュラークルについての覚書」、佐藤竜人「新しい物質主義の展開と可能性」、そしてカレン・バラッド『宇宙の途上で出会う――量子物理学からみる物質と意味のもつれ』の三つである。
ここでは、ジェフ・ウォールの次に何が立ち上がったか、なぜいまクラウスが面白いのか、新しい実在論とニューマテリアリズムがどこに刺さっているのか、長年の「近代」の問題にやっと手が届きそうなこと、そして次にどの本へ進むか、という順番で、今週の読書メモを残しておく。
1|ジェフ・ウォールの次に、クラウスが来た
ジェフ・ウォールの読書会が終わり、次はロザリンド・クラウス「写真とシミュラークルについての覚書」である。
久しぶりに写真論を読むのは、やはり面白い。
昔と違うのは、ただ難しい文章に圧倒されるのではなく、「ああ、この時代はこのことに注目していたのか」と、時代や写真の流れのなかで読めるようになってきたことだ。
以前は点でしかなかった議論が、いまは少しずつ線になって見えてくる。
その手応えが、ひさしぶりにうれしい。
2|写真の「解」を求めるのではなく、哲学の側を更新するものとして
いま自分が面白いと思っているのは、写真の「解」を求める哲学ではないものだ。
むしろ逆で、写真のほうが哲学の側を更新してしまう、その回路として写真を読めるかどうか、ということのほうが気になっている。
写真とは何かを定義してもらうために哲学を呼ぶのではなく、写真があることで、哲学のほうが考え直しを迫られる。
やっと、そんなふうに写真論を読めるところまで来たのかな、と一人で思う。
3|新しい実在論と、ニューマテリアリズムの入口
だから、新しい実在論が面白い。
今週は、佐藤竜人「新しい物質主義の展開と可能性」を繰り返し読んでいた。
こういう論文が一本あるだけで、難しい本に入るときの息苦しさがかなり減る。いきなり山に分け入るのではなく、まず地図を広げられる感じがある。
その流れで思うのは、ニューマテリアリズムは、自分の宗教観というか、宇宙観というか、ともかなり相性がいいのではないか、ということだ。
道祖神やゲニウス・ロキのような、場所に宿るもの、関係のあいだに立ち上がるものを、単なる前近代として切り捨てずにすむ。
そういう感覚が、自分にはもともとあったのだと思う。
4|「近代」が引き裂いたものを、どう修復するか
以前、自分はこんなふうに語っていたことがある。
写真家とは、カメラによって事物と引き離された存在であり、傍観者にならざるをえなかったもの。
ストリートスナップとは、事物との関係を修復するための実践。
いま読み返すと、この感覚はかなり根深いところに触っていたのだと思う。
バラッドによれば、それはデカルト=ニュートン的な二元論、つまりは「近代」の問題として捉え返せるのかもしれない。
しかも厄介なのは、この「近代」が単純な脱構築ではほどけず、逃走としての「ポストモダン」さえも、その内部に含み込んでしまうことだ。
ここは長年のテーマだった。
写真を撮ること。
事物から切り離されること。
傍観と参与のあいだで揺れること。
そういうものが、ずっと自分のなかでうまくつながり切らなかった。
でも今週、その「かゆいところ」にやっと手が届くかもしれない、という感触があった。
5|先に読むか、まだ周辺を固めるか
というわけで、いま一番悩んでいるのは、バラッドを先に読むかどうかである。
たぶん、いまの自分が長く抱えてきた問いに、かなり深く切り込んでくる本なのだと思う。
ただ一点、気がかりなのはその厚みだ。
580ページ。
思想は面白い。
だが、物理的にも重い。
それでも、ジェフ・ウォールの次にクラウスを読み、クラウスの次にバラッドが見えてきた今、この順番はわりと正しい気もしている。
今週は、写真論を読んでいるはずなのに、気づけば哲学の土台そのものが少し揺れ始めている。
そんな一週間だった。
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