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ベトナムでライフル撃ってきた。

冷気、大雪、氷点下。

寒さばかりの日本のニュースに背を向け、寒波キャンセル界隈となってホーチミンへ飛んだ。現地の予想最高気温は30℃を超えている。かなり蒸し暑そう。でも寒いより100倍マシ。スーツケースには久々にクローゼットから出した半袖のシャツを詰めこんだ。

今回の旅行には寒さ回避のほかにひとつ、大きな目的がある。

ホーチミンの中心地から北西へ数十キロ、カンボジアとの国境近くに「クチ」という地区がある。ここはベトナム戦争時に南ベトナム解放民族戦線、通称ベトコンの軍事拠点となった場所。地下にクチトンネルと呼ばれる全長約250キロの広大な秘密基地が作られ、アメリカ軍及び南ベトナム軍とのゲリラ戦が繰り広げられた。

現在クチではベトナム戦争の実態を伝えるツアーが行われており、トンネルに潜ったり、ベトコンが作ったトラップを見学したりできる。日本語によるガイドも用意されている。そしてそのツアーでは、別料金を払うことでライフルを撃つ体験ができるのだ。

日本に住んでいるとなかなか銃を撃つ機会は得られない。戦地跡でライフルを撃ってみたいなんていささか不謹慎ではあるけれど、ちょっと予想とは違う形で戦争について考えるきっかけになったので記録として書いてみようと思う。



夕方に成田空港を発ち、日付が変わりそうな時間にタンソンニャット国際空港に到着。数カ月ぶりの熱気に体が喜ぶ。出口付近に集まった人波と賑やかな声が東南アジアに来たことを実感させる。

この日はホテルへ行ってさっさと眠りについた。

翌日、ツアーに向けての勉強のために「ベトナム戦争証跡博物館」へ。

ホーチミンの中心地にあるこの博物館では、ベトナム戦争がどのようにして始まり、どんな戦いが繰り広げられ、どんな被害が出て、どう終わりを迎えたかを知ることができる。

ベトナム戦争は20世紀後半で最大級の被害を出した戦争である。少なめに見積もっても300万人以上のベトナム人が亡くなったとされる。その過半数は民間人である。そしていまも、アメリカ軍が撒いた枯葉剤の後遺症に多くの人が苦しみ続けている。

その甚大な被害を伝える博物館はさぞ重苦しい場所なのだろうと身構えていたのだが、ゲートを通ると意外にも明るい雰囲気で面食らった。まず目に入るのは、屋外に並ぶアメリカ軍の戦車や戦闘機だ。

戦車の前で親指を立ててポーズを取る人や、飛行機をバックに笑顔で自撮りする人がいる。その多くは白人で、腰の曲がった老人もいる。彼は実際にベトナム戦争に参加した元軍人なのかもしれない。乾季のベトナムらしい青空も相まって、なんだか爽やかだ。先入観を排して眺めれば、昭和を懐かしむ日本のテーマパークに重ねることすらできる。フェンスの外を歩くベトナム人たちは笑顔の白人をどんな思いで見ているのだろう。

やや違和感を覚えながら、博物館の中へと入る。

音声ガイドを借りて順路を巡っていく。展示は第二次世界大戦終戦直後から歴史を振り返る。再植民地化を狙ってフランスが起こしたインドシナ戦争を入口に、数十年にわたるベトナムでの戦争が語られる。メインはもちろんアメリカとの戦いである。

展示室にはアメリカ軍の兵器や武器、戦時中の新聞などが置かれているが、主役は戦地で撮影された大量の写真だ。教科書に出てくるくらいに有名な写真が次々に登場する。日本人の戦場カメラマンによる写真も多い。特に石川文洋の写真は数が多く、面積を広く取って展示されている。

時系列に沿って並ぶ写真は、次第に白黒からカラーへと変わっていく。ベトナム戦争が繰り広げられたのは、カラー写真が広く普及した時期でもあるのだと気づく。

カラーで切り取られた戦場は、急激に生々しくなる。目を背けたくなる写真も増える。これらの写真をリアルタイムで見た人たちの衝撃はいかばかりだったのか。ベトナム戦争は戦場で流れる血の色がそのまま発信された最初の戦争だった、といえるのかもしれない。

そして白黒からカラーへの変化は、ある意図せざる効果を持っている。カラーの写真は戦場の悲惨さだけでなく、南北統一後のベトナムの日常も映し出す。白黒は「遠い過去」に見え、カラーは「現在」と地続きに見える。「ベトナムという国が戦争を経て生まれ変わり、新たな時代へと踏み出した」という印象が、色の変化により強まっているのだ。

もちろんこの解釈は大雑把で暴力的だ。〝カラーの時代〟には枯葉剤に苦しんだ人たちも含まれている。それは無視してはならない現在との繋がりである。事実、この博物館にも枯葉剤で苦しんだ人たちの写真が数多く展示されている。しかしこの色の変化が「過去を乗り越えた新時代の到来」を演出してしまっているように見えるのは確かだ。

屋外の展示が見せる明るさと、カラー化が強める新時代の香り。この2つの印象をうまく処理できないまま、僕は翌日のクチトンネルツアーに参加することになった。

博物館近くで発見した、鉛筆が柱になった幼稚園


翌朝7時すぎ、日本語を話せるガイド同行のもとマイクロバスに乗ってクチへと向かう。ガイドの男性は40代で、ベトナム戦争終結後に生まれた世代だそう。戦争に参加したことはないが、2年間兵役を務めたという。

ホーチミンは血圧が高い街だ。鳴り止まないクラクションを聞きながら、血液のように流れる原付バイクの群れとともに移動する。途中休憩を挟んで2時間ほどバスに揺られ、体験施設に到着した。

ガイドの案内に従って、ベトコンが使っていた身を潜める穴に入ってみたり、アメリカ兵を落とすためのトラップを見学したりしながら森の中を進んでいく。

ベトコンが使っていたトラップ

ガイドの話を聞いていると、圧倒的な軍事力を持つアメリカと戦うためのベトコンの創意工夫に感心する。トンネルの場所がわからないよう離れた場所から煙を出したり、アメリカ兵を混乱させるために足跡が逆向きに付くサンダルを使ったり。同行客も「へ~!」なんて感嘆の声を上げている。

1時間ほどガイドを受け、ついにお目当ての射撃場にたどり着いた。

クチトンネルについてからずっと「パンパン」という乾いた音が鳴り続けていたのだが、それが銃声だったことにようやく気づいた。射撃場の受付には長蛇の列ができ、辺りには火薬のにおいが立ち込めている。

僕が選んだのはソ連製の「AK-47」。料金は10発で75万ドン、約4500円である。

前の人が撃っている様子

耳当てをつけて自分の番を待つ。時折ライフルを連射する強者が現れ、歓声が上がったりしている。

10分ほど待ち、ついに僕の番が来た。軍服を着た係員が銃弾を込めてくれるので、前にある的を狙って引き金を引くだけでいい。

銃を構え、かけた指を引く。バンと音がし、反動で右肩が銃身に押される。放たれた銃弾を目で追うことはできなかった。的に当たらなかったのは確かだった。

続いて2発、3発と打つ。引き方が甘いからか、空打ちになることもある。銃についた目印を頼りに的を狙うが、結局一度も当たらないまま、10発使い切ってしまった。少しがっかりした気分で受付へと戻る。

受付で待っていたガイドが「どうだった?」と聞いてきた。僕は「難しかった」と答えた。兵役の経験を持つ彼は「弾が山なりに進むのを計算したほうがいい」と言った。

なるほどねと思った直後、僕はヒヤリとした。

自分がいま扱ったのは人を殺すための道具だったことをすっかり忘れていた。銃の扱いがうまくなるとは結局、なにを意味するのかが頭から抜け落ちていた。初めてバッティングセンターに連れて行ってもらったときのように、「もっとうまくなりたい」と素朴に思ってしまっていた。

どんなことでも上達するのは楽しい。それがたとえ、人を殺す技術であっても。

僕はさっき、クチトンネルに潜むベトコンの創意工夫に感心したと書いた。彼らが国を守るため、民族を守るために必死だったのは間違いない。でもライフルを撃ったあとに思うのは、そこには一抹の楽しさがあったのではないかということだ。

戦争が楽しいだなんて、僕の思考は昨日の博物館に続いて再び暴力的になっている。でももう少し率直な思いを書く。

クチの地下に掘られたトンネルは高さが1メートルもない。高温多湿なトンネルを中腰で移動するのはかなりきつい。戦時中はさらにトンネルが狭く、高さは50センチほどしかなかったという。ベトナム人は小柄とはいえ、あまりにも過酷だ。愛国心や使命感だけで、この厳しい環境で戦いつづけられるものだろうか。自分のアイデアや技術が仲間たちを利する楽しさが不可欠だったのではないか。

トンネルの内部

ツアーの最後、僕たちは15分ほどの映像を見せられる。戦時中にクチで生活していた人たちや兵士の姿を撮影したもので、みんなで集まって歌を歌ったり踊ったりする様子も組み込まれている。その中に「ゲリラ生活は楽しいものです」というナレーションがあった。さりげなく流れた一言だったが、僕にとってはまるで答え合わせのようだった。

ベトナム人にとってベトナム戦争とは、多くの命を失った深い傷であると同時に、創意工夫と粘り強さ、団結力によって軍事大国から勝利をもぎ取った輝かしい記憶でもある。戦争の悲惨さに比べれば小さいけれど、確かに存在する楽しさや誇り。その複雑さは、僕が違和感を覚えた博物館の屋外展示を読み解くヒントでもありそうだ。ベトナムからすれば〝敗者〟が記念写真を撮るくらいは許容できるのかもしれない。その敗者は何百万人もの命を奪った加害者でもあるのだけれど。

また、こう考えることもできる。戦車や戦闘機の前での記念撮影が禁止されたときこそ、ベトナムとアメリカの関係は危険な状態になったと言える、と。

ホーチミンの街中にあるトランプ来訪を伝える写真

僕はツアーからの帰り道、バスを降りたところでガイドに「ベトナム人はアメリカをどう思っているんですか?」と聞いてみた。太平洋戦争中は日本だってベトナムを統治していたわけで、罵られてもおかしくない無礼な質問だが、聞かずにはいられなかった。

「親の世代は恨んでいる人もいますよ」

「あなたは?」

「う~ん……難しいですね」

そう言うと、ガイドはリュックを背負って歩いていってしまった。

この「難しい」とはおそらく、はっきりした答えが出ていないという意味なのだろう。でも僕の耳には「あなたに理解するのは難しい」と言っているように聞こえたのだった。



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