黒羽遊園地の秘密|第1話|狂気のピエロ
【あらすじ】
大学の掲示板で見つけた超高額バイトに惹かれ、黒羽遊園地を訪れた大翔。そこは、園長・森田が支配する異界と繋がった恐怖の場所だった。大翔は、十五年前に失踪し異界に囚われていた早紀に救われ、彼女を救い出すことを決意する。仲間たちと共に、鏡の迷宮や暴走するアトラクションで起きる怪異を乗り越える大翔。遊園地の呪縛を解くために賭けに出ることを決心する一行。そしてついに決戦の夜を迎える。
【本文】
「なあ大翔(ひろと)、これ見てみろよ。マジでやばいから」
夏の湿った空気が停滞する大学の講義棟。その片隅にある掲示板の前で、海斗が裏返った声を上げた。
小森谷大翔は、抱えていた参考書を脇に抱え直し、友人の乾海斗(いぬいかいと)が指差す先を億劫そうに眺めた。そこには、周囲の華やかなサークル勧誘や最新のアルバイト募集とは明らかに一線を画す、異質な紙が貼られていた。
古ぼけた紙。墨で書かれたような筆跡の文字。それはまるで、数十年前からそこに貼り付いていたかのようだった。
「……時給三千円!? 遅番。交通費全額支給。しかも『簡単な園内整備と清掃のみ』か。怪しすぎるだろ…」
「怪しいからこそチャンスなんだよ、大翔! これならすぐ合宿費用が貯まるぞ!」
海斗は能天気に笑い、大翔の肩を嬉しそうに叩く。海斗には霊感の「れ」の字もない。彼にとって世界は、目に見える物質だけで構成された、単純で明るい場所なのだ。
だが、大翔は違った。幼い頃から霊感が強く、他人が見ないものを見、聞かないものを聞いてきた。彼にとっての『視える』日常は、恐怖というよりは、情報過多で神経を使う公害のようなものだった。
掲示板の求人票からも、どろりとした嫌な気配が漂っている。文字の端々から、黒い煤のようなものが立ち上り、周囲の空気を侵食しているように見えた。
「……やめとけって。ろくなことにならない。こういうのは、相場が決まってるんだ。高い金には、それなりの理由がある」
大翔の忠告を海斗は気にも留めない。
「黒羽遊園地……聞いたことあるか?」
「名前くらいは。町はずれにある古い遊園地だよ。でも、あそこはもう閉園寸前だって噂だぞ」
「だからこその特別求人なんだな。ほら、面接は今日の午後三時。今から行けば間に合う!」
「大翔くん! それ、私も気になってたんだ!」
背後から響いた甲高い声に、大翔は思わず肩をすくめた。
振り返ると、そこには鮮やかなピンク色の髪を揺らし、最新型のスマホを構えた宇佐美めるが立っていた。同じ学科の女子で、最近は『自称オカルト系ユーチューバー』として活動してるらしい。
「黒羽遊園地の遅番バイトなんて、最高のネタじゃん。大翔くんが働くなら、私も潜入しちゃおうかなー、なんて」
めるは大翔の腕に抱きつかんばかりの勢いで距離を詰めてくる。彼女が大翔に好意を寄せているのは周知の事実だが、大翔自身は、みんなが言うほど、彼女が自分に好意を持ってるとは思えなかった。彼女の目の奥は、派手でかわいい見た目と違って、どこまでも凪いで冷静に見えるのだ。
「潜入なんてやめろよ。不法侵入で捕まるぞ。普通にバイトすればいいだろ」
「えー、清掃なんて嫌だ。爪が傷んじゃう。じゃあ、大翔くんが私の代わりに動画撮ってきてよ! この超小型カメラ、貸してあげるから!」
「お断りだ」
めるの追撃をかわしつつ、結局、海斗の「一回行ってみて、やばかったらすぐ辞めればいい」という強引な押しに負け、大翔は面接へ向かうことになった。
二人はバスと徒歩を乗り継ぎ、町外れの深い森に囲まれた「黒羽遊園地」へと向かった。
到着した正門は、かつての華やかさを微塵も感じさせないほど錆びついていた。門柱に掲げられた「KUROHANE LAND」の文字は、いくつかが脱落し、まるで「死の国」への入り口のような不気味さを漂わせている。
「遊園地って言うより、巨大なお化け屋敷って感じだな」
「宇佐美が喜びそうだ」
指定された事務棟の待合室には、既に三人の先客がいた。全員同じ大学の学生だった。
眼鏡を指で押し上げながらPCを操作している工学部の小林俊哉。
ラグビー部員のような体格で落ち着きなく貧乏ゆすりをしている教育学部の河合康太。
そして、退屈そうにスマホを見ている文学部の宮里加奈。
三人とも、あの求人広告を見て応募してきたようだ。
海斗を含めた五人が揃うと、奥の扉がゆっくりと開いた。
「よく来てくれました。私が園長の森田です」
湿った土の下から響いてくるような、妙な残響を含んだ声とともに現れた男は、濃いサングラスを掛け、仕立ては良いが、いささか古臭いスーツを着ていた。口元だけは三日月のように吊り上がっている。
大翔は一目で背筋に冷たいものが走るのを感じた。
面接は形式的なものだった。森田は五人の顔をじっと見つめた後、机の上に五枚の「雇用契約書」を並べた。
「お任せしたいのは夕方シフトの仕事です。見回りと清掃。そして簡単な園内整備です。契約書の内容に同意いただけるなら、ここに署名を」
差し出された契約書は、羊皮紙のような独特の質感をしており、インクの色は黒というよりは凝固した血のような赤黒さだった。
森田はサングラス越しに全員を見回すと、最後に大翔をじっと見つめた。その視線は、大翔の皮膚を通り抜けて内側の「何か」を値踏みしているかのようだった。
「今の説明で問題なければ、今日から採用しますよ」
「本当に時給三千円なんですか?」
神経質そうな小林俊哉が質問した。
「本当です。これくらい時給を上げないと、最近はバイトが集まりませんからね」
森田が自嘲気味に肩をすくめて笑う。
海斗は大翔に耳打ちした。
「楽そうなバイトじゃん。俺やるけど、お前どうする?」
「…お前、本当にいいのか? 俺は止めとくよ」
大翔は慎重だったが、他の三人は海斗と同じく即決で「やります」と答えた。
「じゃあ、雇用契約書にサインをして下さい」
海斗が真っ先にペンを取る。続いて小林、河合、宮里も、高額報酬の魅力に抗えないのか、次々とサインを書き込んでいった。彼らの姿に不安を感じながらも、大翔に止める理由はなかった。
「海斗、俺、先に帰るよ」
「おお、またな」
事務所を出て行く大翔の背中に、森田の視線が、蛇のように絡みついているのを感じた。
外に出ると、昼間の暑さが少し和らいで、心地よい風が吹いていた。ふと振り返った大翔がギョッとする。彼の目には異様なものが映っていた。たった今出てきた事務所の窓ガラスに、内側から押し付けられたような手形がべったりと張り付いていたのだ。それも、一つや二つではない。ガラスを埋め尽くすほどの、絶望的な数の手形だ。それは内側から外へ助けを求めるように、絶望的な密度で重なり合っていた。
(海斗!)
大翔は残してきた友人が心配になって事務所に戻ろうとしたが、不思議な事に中に入る扉が見つからない。それどころか、気付けば、夕暮れだった辺りが紫色の霧に覆われているように暗くなっていた。
危険を感じた大翔は、正門を目指して迷路のような園内を走るように駆け抜けた。しかし、来た道を引き返しているはずなのに、いつまで経っても正門が見えてこない。
メリーゴーランド、ティーカップ、ジェットコースター。色褪せたアトラクションたちが、闇の中で巨大な怪物の死骸のように横たわっている。
しかも、来た時にはチラホラ見かけた客の姿も、全く見当たらない。
不意に、背後で「シャキン……シャキン……」という金属音が響いた。
振り返ると、そこには一輪車に乗ったピエロがいた。
衣装はボロボロに裂け、顔には笑っているような、あるいは泣いているような歪なペイントが施されている。だが、その手には、身の丈ほどもある巨大な裁ち鋏が握られていた。
「えっ……!?」
ピエロが鋏を鳴らして近寄ってくる。恐怖に駆られた大翔は無我夢中で走り出したが、ピエロは重力を無視したような動きで距離を詰めてくる。
「死ね……死ね……死ね……死ね……」
ピエロの口から漏れるのは、人の声とは思えない掠れたノイズ。
行き止まりのフェンスに追い詰められた大翔の目の前に、巨大な鋏が向かってくる。
(首を切られる!)
大翔の顔は恐怖で蒼白になった。悲鳴をあげようとしたが、喉がカラカラで声にならなかった。
死ぬ!そう確信して目を閉じた瞬間、何かが自分とピエロの間に飛び込んできたのを感じた。
目を開くと同時に、掃除用のモップがピエロに向けて突き出され、その一突きが、ピエロを一輪車から落下させ地面に叩きつけた。
大翔の瞳には、一人の女性の姿が映っていた。
長い黒髪を無造作に一つに束ね、黒羽遊園地の制服を着た、透き通るような肌の美しい女性だった。大翔より少し年上だろうか。
彼女は大翔を背に、ピエロの前に立ちはだかっていた。突き飛ばされたピエロはピクリとも動かない。
「あ、あなたは……!?」
「知らなくていいわ。どうせ二度と会わないんだし」
彼女はピエロから目を離さず冷ややかに告げた。
「この遊園地は、一瞬であっち側に繋がってしまうの。今あなたは境界線上にいる。ここは、あなたが来る場所じゃない、早く逃げないと二度と戻れなくなるわよ」
「あっち側って……何なんですか? それにあのピエロは一体…」
想定外の出来事に大翔の心臓が、激しく脈打つ。恐怖が限界を超え、脳が麻痺したのか。
それなのに目の前にいるこの美しい女性から目が離せなかった。まるで魂を吸い寄せられたかのように…。
大翔はハッとして事務所の方を振り返る。
「海斗は!? 友達も一緒にここに来たんです……!」
「あの能天気な彼なら大丈夫よ。……彼は『見えない』から。この園において、それが最大の防御だわ。でも、君は『見える』側の人間でしょ。バイトを断ったのは正解ね」
シャキン
彼女が一瞬視線を逸らした瞬間、ピエロが再び歪な笑みを浮かべ立ち上がり、裁ち鋏を大翔たちに向けた。
彼女は大翔の手を掴んだ。
「走るわよ!」
二人は夜の遊園地を駆け抜けた。背後からは、アスファルトを削る一輪車の不快な金属音と、空気を切り裂く鋏の音が、心臓を直接掴むような勢いで迫ってくる。
「ヒヒッ、ヒヒヒッ!」
ピエロの口から漏れるのは、笑い声というよりは、錆びた鉄板を爪で引っ掻いたような耳障りなノイズだ。 ふと横を通り過ぎたコーヒーカップのアトラクションに、大翔は息を呑んだ。無人のはずの座席に、首の折れたマネキンのような「何か」がぎっしりと詰め込まれ、一斉にこちらを向いて音のない悲鳴を上げている。 電灯の光が届かない闇の中から、無数の白い手が這い出し、大翔の足首を掴もうと地面をのたうつ。
「前だけ見て! 捕まったら魂ごと持っていかれるわよ!」
彼女の鋭い叱咤が飛ぶ。背後を振り返れば、ピエロの顔はもはや原型を留めていなかった。溶けた蝋のように皮膚が垂れ下がり、巨大な口が裂け、そこから何百本もの細い指が蠢きながら溢れ出している。
シャキン、シャキン、シャキン。
鋏の音が、すぐ耳元で鳴った。冷たい鉄の感触が、大翔のうなじをかすめる。死の臭いが、鼻腔を突き抜けた。
やがて正門が見えてきた。
「さあ、行って! 二度と戻ってきちゃダメよ!」
彼女が大翔の手をぐっと引っ張り、その背中を両手で思い切り押し出した。勢い余って、大翔は転がるように正門を潜った。
振り返ると、そこには彼女もピエロもおらず、夜の帳が降りた遊園地にはカラフルな電灯が輝き、軽快な音楽と客の笑い声が聞こえてきた。
「おーい、大翔!」
駆けてくる海斗の姿が見えた。遊園地スタッフの制服に着替えている。その後ろに、他の三人の姿もあった。
「お前、まだいたのかよ」
海斗が不思議そうな顔で見つめている。
気づけば、大翔は事務所へと走り出していた。
あんなに恐ろしい体験をしたのに、今の彼にはそんなことはどうでもよかった。
(もう一度、彼女に会いたい。彼女が誰なのか知りたい)
その一心だけが、彼を突き動かしていた。
事務所の扉を乱暴に開けると、そこにはまだ、冷笑を浮かべた森田が待っていた。
「おや。戻ってきましたか」
「……これに、サインすればいいんですよね」
大翔は机の上の残っていた契約書をひったくると、震える手で自分の名前を書き込んだ。
その瞬間、契約書の文字が淡く発光し、大翔の指先に針で刺したような鋭い痛みが走った。
「契約成立です、小森谷大翔君。ようこそ、黒羽遊園地へ」
森田の低い笑い声が、夜の事務室に響き渡る。
大翔は自分の指先を見た。そこには小さな傷跡があり、一滴の血が契約書に吸い込まれていくところだった。
それが、逃れられない恐怖の始まりであることも知らずに。
大翔はただ、闇の向こうに消えた彼女の面影を追い求めていた。
【ホラー】黒羽遊園地の秘密|第2話|霧の中の怪異|sugar
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