頑張り方のズレ
こちらは、BASEにて販売中のエッセイ「すっごい考えて、一周して、地球の裏側に行くからなぁ。あなたは。」に収録した「第5話」です。
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「すっごい考えて、一周して、地球の裏側に行くことあるからなぁ。」
というようなことを、言われたことがある。
子どもの頃から絵を描くのが好きだった私は、大学で美術コースへ進んだ。
考えて工夫する工程が好きだった。
授業で、トイレのマークをデザインする課題が出た。
公共施設によくある、あれだ。
どちらのトイレが男子用で、どちらが女子用か、ひと目でわかるようにデザインされた掲示物のこと。
一般的にトイレのマークは、男子が青、女子が赤。
男女それぞれの体形をもとにしたマークも多い。
この課題は、
よく見る一般的なものではなく、
「本質的」な「新しい」視点でつくろう、
というものだった気がする。
私は、その授業を担当する先生の、所作と言葉選びの美しさが好きで、憧れていた。
いいものを作りたかった。
男だから青、女だから赤、みたいな、そんなんじゃなく。
私は考えた。
よく考えた。
アイデアノートにあれこれ書いて、練った結果を、描いた。
A4サイズの用紙に、丁寧に下描きし、丁寧に色を塗った。
いよいよ提出の日。
授業が始まった。
学生は一人ずつ、自分の作ったマークを披露し、思い思いのコンセプトを語る。
私の番が近くなってきた。
きた。私の番がきた。
皆に見せる前に、私は一旦、自分で、そのマークを見た。
紺一色で塗ったマーク。
あれだけ考えたんだから、あとはもう、見せるしかない。
私は、両手で持った渾身の作品を、
満を持して、ひらりと裏返した。
皆の視線が、私のマークに注がれる。
沈黙が生まれる。
私は、コンセプトを語った。
ここからは、どうか笑って聞いてほしい。
私が練りに練ったコンセプトは、
『尿が出る方向』で男女を分ける、というもの。
どうかしている。
本気だったんだから。
私がつくったマークは、人型の瓶のような形。
二つ並んでいる。
瓶には、それぞれ水が溜まっている。
どちらの水も、だんだん薄くなるグラデーションで塗った。
尿が放出される方向を表したのだ。
瓶の水が『前』へ放出される方が、男子トイレ。
『下』へ放出される方が、女子トイレ。
みんなが私のマークを見ている。
自分の口が『尿』と言った時か、『排泄物』と言った時か、わからない。
ハッと、疑問が浮かんだ。
これ、言っていい言葉だっけ。
授業で、発していいんだっけ、頭にあること、なんでも。
だめだっけ。あれ?
場の静けさの意味を、つい深読みする。
学生達の表情は覚えていない。
私の頭の中はぐるぐるし始めて、視野が狭くなっていたから。
「すっごい考えて、一周して、地球の裏側に行くことあるからなぁ。」
私の尊敬する先生は、そういうようなことを言った。
あなたって、そういうところあるからなぁ、って。
たくさん考えたであろう私を、先生は労った。
私は、反射で笑ったと思う。
ひへへ、って、地球の裏側から。
外から見てもちゃんと笑顔だったかどうかは、わからない。
皆が一緒に笑っていたかどうかも、覚えていない。
このマークを、皆が見ている。
いやだ、恥ずかしい、熱い。
このマークの講評を、先生がしてくれている。
コンセプトについて、なにか質問されて、私は答えたりもしたと思う。
覚えていない。
目には先生と学生が映っていたけれど、
私は上の空だった。
意識は宇宙の彼方。
そうか。私って、たまに地球の裏側にいたのか。
高校生の頃、私を『天然』と呼ぶ人がいたのも、そういうこと?
悔しいな。
私は天然じゃない。
今、目の前の皆は何を思っている?
突拍子もない奴だと思っているんだろうな。
みんな大人だから、からかったりしないけれど。
恥ずかしさに、ずぶずぶ埋もれる。
耳が遠い。
先生の大事な講評を、私の耳はぼろぼろ取りこぼす。
よくわからない怒りや、悔しさも湧いてくる。
誰に対して?
今すぐ穴を掘って入りたい。
穴の中から
「忘れて!みんな、今の忘れて!」
と叫びたい。
本気で発表した私を、かくまいたい。
さて。当時のシーンをここで一時停止してみる。
三十八歳の私が、当時のこの場にタイムスリップするなら?
今の私なら、自分をどうやって助けるだろう、
と考えてみる。
「とりあえず、私が思う存分叫べる部屋を、自分の中につくってあげて。」
と言うだろう。
恥ずかしい・腹がたつ・悔しい、
そういう気持ちを全部、思う存分叫べる部屋を。
これは、
三十八歳の私が、ここ数年で教わって、やっと身につけた方法。
大学生だった当時、私の体には、一部屋しかなかった。
その部屋を、この時「悔しい」が占領していた。
だから、大事な講評が入る余地が無かった。
大事なことを入れるには、「悔しい」を追い出すしかない。
でも、実際悔しいわけだから、簡単には追い出せない。
ぐちゃぐちゃする。
足踏みして、先に進めない。
でも、ちょっと想像してみてほしい。
三十八歳の私の体の中に、アパートのように幾つも部屋がある様子を。

ある部屋には、
「悔しい」私が住んでいる。
思う存分叫ぶことを、許されている。
「悔しい」を無理に早く切り上げる必要もない。
そのまま叫ばせておく。
隣の部屋には、
「成長したい、先に進みたい」私が住んでいる。
一呼吸おいて、大事な講評に耳を傾けることができる。
どんな感情も住んでいていいよ、というアパート。
このアパートを、
私は一年以上かけてつくった。
作り方を教わって、地道に練習した。
今も増設中だ。
油断したら今でも一部屋に減ってしまう時もあるけれど、
それに気づけばまた部屋を増やせる。
このアパートがあるから、
私は、「悔しい」ままで「先に進める」ようになってきた。
もう一つ、
三十八歳の私が、数年かけて身につけた、大事なことがある。
それは、
『私の解釈』は当てにならない
と知っていること。
解釈と事実は、違うのだ。
大学生のあの時、
私のマークを「恥ずかしい作品」と思ったのは、
私の解釈だ。
先生や学生達が本当にそう思っていたかどうかは、実はわからない。
それなのに私は、
穴に入りたいほど、勝手に困っていた。
大学生のあの時、
授業で一番大事だったのは
『あなたは地球の裏側に行くことがある』ではなかったはずだ。
もっと講評に耳を傾け、デザイン力を鍛えることの方が、大事だったはずだ。
自分の解釈に飲まれているうちに、視野がちっちゃくなって、大事なことを取りこぼす。
それが、当時の私だったんだよな。
先生は、そんな大学生の私を、地球の裏側に放っておかなかった。
先生のおかげで私は、今でもデザインが好きだ。
効率を考えたら省いても良さそうな『小さい、ひと手間』にこそ大きな力があることも、先生から教わった。
先生の教えは、今の私の真ん中あたりに住んでいる。
今なら、思う。
あの時先生が言った『地球の裏側』とは、
『間違い』を指していたわけではない。
世界に正解があって、それに対してあなたは間違っているよ、と言ったわけではない。
直接確かめたことはないけれど、
きっと、
あの時先生が教えてくれたのは、
世界ではなく、私の中の話。
目指したい場所を見る時の私の『近視すぎる見方』とか、
そうやって突き進むうちに
『方位磁針をどこかに落とす』感じを、指していたのではないか。
地球の裏側エピソードは、実はこれだけではなく。
別の授業では、う◯こを作ってしまったし。
勿論ふざけてはいない。
アースワーク(自然素材を用いた制作)の授業だった。
たしか「生と死」のような厳かなテーマ。
決して、とぐろを巻いたものを作ったわけではない。
私の体の中を、たくさんの命が通っている。
だから私は生きている。
そして排泄して、繰り返して、
すごく壮大でシンプルな営みをしている。
そういうことを表したかった。…はずだ、たしか。
休み時間、別の講義室からわざわざ、友達が来た。
「ゆうこりん、う◯こ作ったって…?」
おそるおそる、聞いて良いことかわからないけど気になって…という雰囲気で。
その友達の言葉で聞いて初めて、
『あ、字面すごいな、私、う◯こ作ったのか。』と自覚した。
当然、今の私だって、地球の『オモテ側』には居ない。
ぼーっと『裏側』に居続けているわけでもない。
地球はまるいから、どこでもオモテにも裏にもなり得るね、と思っている。
三十八歳の私の体にはアパートがあるから、そう思える。
私の方位磁針は、私が自分で持つ。
もし方位磁針を落として、結果『悔しい』に飲まれても、
『悔しい』に蓋をしない。
『悔しい』にはしっかり叫ばせておいて、
隣の部屋で、
ひと呼吸おいて、
『進みたい』を小さく叶え始めればいい。
【これからの私への問い】
・「解釈」でがんじがらめになってしまったら、まず「事実」を整理してみて。やってみて、どう感じる?
・ぐちゃぐちゃの気持ちになったら、その気持ちを住まわせておく部屋を作って、ひと呼吸おいて。隣の部屋で、本当に叶えたいことは?
こちらは、販売中のエッセイ「すっごい考えて、一周して、地球の裏側に行くからなぁ。あなたは。」に収録した「第5話」です。
エッセイ本には、実際に私が提出したトイレのマーク実物も載せてみました。笑
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