ソウルからの帰り道 空を見上げる心の余裕
帰り道というのは、不思議なものだ。
行きは目的地に向かって、頭の中がいっぱいで、周りの景色なんてほとんど目に入らない。
でも帰り道は違う。
やるべきことを終えた体は少し軽くなって、ふと、立ち止まる隙間が生まれる。
その日のソウルは、一日中どこか慌ただしかった。
打ち合わせ、移動、また移動。
気づけば夕方を過ぎていて、地下鉄の出口を抜けたとき、冷たい夜風が頬に触れた。
あ、外ってこんなに広かったっけ。
そう思った瞬間、なんとなく、空を見上げた。
見上げる、という動作は、じつはとても贅沢だと思う。
前を向いて歩いている間は、視界はせいぜい数メートル先。
スマホを見ていれば、もっと狭い。でも顔を上に向けると、急に世界が広がる。
建物の隙間に、ちゃんと空があった。
そこに、ちゃんと夜があった。
そして——満月だった。
大げさでなく、本当に丸くて、明るくて、びっくりするくらいそこにあった。
「あれ、今日って満月だったの?」
誰に言うでもなく、心の中でつぶやいた。スマホを確認したわけでも、暦を調べていたわけでもない。ただ、偶然、空を見上げたら、満月がいた。
思えば最近、空を見上げる余裕がなかった。
余裕がない、というのは時間の話じゃない。
気持ちの話だ。
忙しくなくても、心が下ばかり向いているときがある。
やらなきゃいけないことを数えているとき。
誰かと比べて、自分の足りなさを探しているとき。うまくいかないことを、頭の中でぐるぐると反芻しているとき。
そういうとき、空なんて見えない。
目の前にあっても、見ていない。
でもその日の帰り道、なぜか私は空を見た。
それだけのことなのに、満月に気づいた。
それだけのことなのに、少しだけ、泣きそうになった。
泣きそうになった理由は、うまく言葉にできない。
疲れていたのかもしれない。
それとも、「あなたのことを見てるよ」と言われた気がしたのかもしれない。
満月は誰にでも平等に、同じだけ輝いている。
私のためでも、誰かのためでもない。
ただそこにある。
それがなぜか、救いだった。
ソウルに住んでいると、空を見上げることを忘れがちになる。
街の密度が高くて、人が多くて、情報も多くて、常に何かが動いている。
そのエネルギーが好きだし、その中に自分も溶け込んでいる。
でもだからこそ、ふと立ち止まって空を見上げたとき、ここに自分がいることを確かめるような感覚になる。
帰り道に満月を見た。
それだけのことを、ずっと覚えていると思う。
空を見上げる心の余裕は、時間を作るものじゃなくて、気持ちが少しだけゆるんだときに、自然と生まれるものなのかもしれない。
今夜、外に出たら空を見上げてみてください。
何もなくても、何かあっても、空はそこにある。
それだけで、少しだけ深呼吸できる気がするから。
