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「♡桃色片想い♡」MVは、なぜ今も記憶に残るのか


“桃色”を世界にして、松浦亜弥に恋をさせるまで

『♡桃色片想い♡』MV演出ノート

「カメラの向こうにいる、何十万人もの人を想像してみて」

『♡桃色片想い♡』の撮影現場で、松浦亜弥にそんな話をしたことがある。

目の前にあるのは、もちろんカメラだ。

でも、本当に見てほしかったのは、そのレンズではなかった。

その先にいる、まだ会ったことのない人たち。

たまたまテレビでこのMVを見る人。
まだ松浦亜弥をよく知らない人。
ほんの数秒だけ、画面の前を通り過ぎる人。

その人たちに向かって、歌ってほしかった。

そう伝えると、彼女は笑いながら、

「やってみます」

と言った。

そして、その後のテイクから、明らかに目が変わった。

少し大げさに言えば、目からアイドルビームが出ていた。

レンズの先に、本当に誰かを見ている。
画面のこちら側にいる誰かへ、ちゃんと届かせようとしている。

モニターを見ながら、思った。

この目線にやられるな。
これは、恋しちゃうな、と。

人は、いつ恋に落ちるんだろう。

大きな事件が起きた瞬間ではない気がする。

ふとした仕草。
何気ない表情。
なんとなく目で追ってしまう時間。

そして、突然こちらを見たように感じた瞬間に、距離が一気に縮まる。

ドキッとする。
心を持っていかれる。
気づいたら、もう好きになっている。

自分は、ソロアイドルのMVには、この順番がとても大事だと思っている。

ただ可愛く撮るだけでは足りない。

可愛さに気づき、目で追い、目が合った気がして、気づけば好きになっている。

その心の動きを、映像の中にちゃんと作ること。

それが、自分にとってのソロアイドルMVの演出だった。

『♡桃色片想い♡』のMVでやりたかったのも、たぶんそこだった。

ピンク色の可愛い世界を作ること。
もちろん、それも大事だった。

でも本当にやりたかったのは、その桃色の世界を入口にして、まだ松浦亜弥を知らない誰かに、気づいたら恋してもらうことだった。

「ああ、あのピンクのビデオね」

もし誰かがそんなふうに思い出してくれたら、このMVはきっと勝ちなんだろうな、と当時どこかで思っていた。

でも、その記憶の奥で本当に起きてほしかったのは、色を覚えてもらうことだけじゃない。

ピンクだった。
なんだか可愛かった。
あの子、誰だろう。
もう一度見たい。

その順番で、彼女に近づいていくことだった。


その目線に、観る人が恋をする。


あのピンクのMV

2002年2月6日に発売された『♡桃色片想い♡』は、今でも松浦亜弥の代表曲のひとつとして思い出される曲だ。

そしてMVもまた、曲と一緒に記憶の中へ残っていく作品になったと思う。

不思議なもので、時間が経てば経つほど、あのMVのことを「可愛かった」のひと言だけでは片づけられなくなっていく。

もちろん、松浦亜弥は圧倒的に可愛かった。

そこに異論はない。

でも、ただ可愛いだけなら、人の記憶はこんなに長く居座らない。

あのMVが残った理由は、きっとピンク色だったからだけではない。

桃色の世界があり、そこに松浦亜弥がいて、観ている人が少しずつ彼女に近づいていく。

その流れがあったからだと思う。

桃色を空気にする

最初に自分が掴んでいたのは、「桃色」という言葉だった。

この言葉をどう映像にするか。

ただし、それはタイトルをそのままピンク色の背景に置き換える、というような話ではなかった。

やりたかったのは、桃色という色そのものを、空気にすることだった。

画面の端に置くのではなく、世界そのものにすること。

その中に松浦亜弥を立たせること。

そして、その世界に初めて触れた誰かが、あとになってふと思い出すこと。

「ああ、あのピンクのビデオね」と。

桃色を背景ではなく、世界そのものとして見せたかった。 このMVでは、まず“空気”を記憶に残したかった。

そうやって記憶の取っかかりを作れたら、次に少しだけ意味がつながる。

『桃色片想い』って、こういうことだったのか。

それで終わらずに、今度は視線が彼女へ向く。

なんだか歌ってる娘が可愛い。
あれが松浦亜弥っていうアイドルなんだ。

そこまでいった頃には、たぶんもう半分は好きになっている。

そういう流れを、最初からどこかで思い描いていた。

だから、このMVでは桃色を衣装や小道具だけで終わらせるわけにはいかなかった。

世界ごと桃色でなければいけなかった。

MVなんて、観る人によっては本当に一瞬しか目に入らない。

チャンネルを回すみたいに通り過ぎていくこともある。

だからこそ、その一瞬で引っかかるものが必要だった。

何を見たのか細かく説明できなくても、

「ピンクだった」

という印象だけが残る。

それだけでも十分に強い。

その強さを、入口にしたかった。

切なさより高揚感

この曲をどう読むかということでも、自分の中ではわりとはっきりしていた。

“片想い”という言葉だけ見れば、もっと切ない方へ寄せることもできたと思う。

でも歌詞を読んだとき、自分に入ってきたのは、そういう寂しさじゃなかった。

むしろ、恋している自分を楽しんでいる感じだった。

好きで苦しい、というより、好きになってしまった自分がもう弾んでいる。

ちょっと無敵なくらいの、高揚感。

その感じが、すごく松浦亜弥に似合う気がした。

たぶんそこには、つんく♂さんが思い描く松浦像みたいなものも滲んでいたんだと思う。

だからこのMVでは、片想いの寂しさよりも、恋をしたことで世界そのものが明るく見えてしまう感覚を優先した。

あのMVにある桃色の強さや、全体のふわっとした高揚感は、そこから生まれている。

恋に落ちる順番

そして、その先でもっと大事だったのは、どうすれば観ている人が自然に彼女へ惹かれていくか、ということだった。

人を好きになるとき、最初に心を動かすのは、そんなに大きな事件じゃない。

ふとした仕草だったり、何気ない表情だったりする。

なんとなく目で追ってしまう。
気づけば少し気になっている。
そして、突然こちらを見たように感じた瞬間に、距離が一気に縮まる。

それで、ときめく。
ドキッとする。
恋に落ちる。

自分は、ソロアイドルのMVにはこの順番がとても大事だと思っている。

つまり、人がどういう順番で惹かれていくのか。

その心の動きを、どこまでロジカルに映像の中へ置いていけるか。

ただ可愛く撮るだけでは足りない。

可愛さに気づき、目で追い、目が合った気がして、気づけば好きになっている。

その流れを、映像の中にちゃんと作ること。

それが、自分にとってソロアイドルMVの演出だった。

だからこのMVでも、意識していたのはずっとそこだった。

仕草。
表情。
目線。
そして、目が合ったように感じる瞬間。

結局この作品でやりたかったのは、桃色の世界を作ること以上に、その入口から松浦亜弥に恋してもらうことだったのだと思う。

よければ、ここで一度MVを見返してから、この先を読んでもらえると嬉しいです。

この先では、その“恋に落ちる順番”を、実際のMVの中でどう作っていったのかを振り返っていきます。

なぜ、ただのピンク背景ではなく「桃の缶詰工場」だったのか。
なぜ、想像以上に良かった管制室のセットを、歌唱シーンのメインにしたのか。
なぜ、モモゾウとピーコが必要だったのか。
なぜ、瞳の光にそこまでこだわったのか。

そして、なぜこのMVは今も「あのピンクのビデオ」として記憶に残っているのか。

ここからは、もう少し具体的な演出の話です。

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