戦争を知らない子供たち/WARFARE
東大阪で、地域のシニア世代の方々と学生が一緒にやってきた音楽ワークショップの最終回があった。東大阪市の地域包括ケア推進課と、ウェルビーインング阪急阪神が連携している「まなびのトルク」という取り組みで、介護予防や孤立防止のために、いまで言う「社会的処方」みたいなプログラムを企画していくもの。そのひとつに音楽プログラムを入れる、という依頼が僕のところに来て、近畿大学の授業(2年生のプロジェクト演習)として学生と一緒に関わってきた。参加してくれるのは主にシニア世代の地域の人たちで、学生は企画と進行を担う。
学生は一月で授業が終わりなので参加者の方々とお別れの回がきた。そのとき、参加者の方が学生に向けて一言ずつ言葉を残してくれた。「ありがとう」という素直な感謝もあれば、「こんなふうに若い人と話す機会がないから嬉しい」とか、「音楽でこんなにしゃべれるとは思わなかった」みたいな驚きもあった。最後に、学生に伝えたい曲を明確に挙げてくださった男性がいて、それがジローズの「戦争を知らない子供たち」だった。
その人は今年70歳になると言っていた。戦争は体験していない世代だ。けれど、戦争の記憶をもつ大人たちが身近にいた世代でもある。曲自体は若いころから知っていて、ただ、当時はこの曲がどこか居心地の悪さがあったそうだ。「戦争を知らない子供たち」と言われることに、ちょっとした罪悪感があったと言えばいいだろうか。でも、いまはそうじゃない、と彼は言った。年を重ねていく中で、「(真に)戦争(という概念)を知らない子供たち」が増えるということ自体が、どれほど大切なことかを思うようになった、と。その背景には昨今のパレスチナの凄惨さや、まさかご自身が生きている間にに起こるとは思いもよらなかったロシアとウクライナによる戦争などが影響しているという。
この話が、僕にはわりと長く残った。たぶん彼が語っていたのは、単に「平和が大事」という話ではない。むしろ、もっと矛盾を含んだ話だった。「戦争を知らない子供たち」が増える。これは、戦争がなくなること、戦争という言葉そのものが必要なくなる未来を目指すことでもある。戦争が「過去の奇妙な出来事」みたいになって、子供たちが「戦争って何?」と聞き返すようになる世界。そういう未来を想像するとき、「戦争を知らない子供たち」という状態は、批判されるものではなく、むしろ守られるべき幸福として現れる。
ただ、その幸福は、勝手に増えていくわけではない。そこには、どうしても二重性が絡む。戦争を知らない子供たちを増やすためには、戦争を知っている側、あるいは知ろうとする側が必要になる。戦争がない未来をつくるために、戦争を「語る」側が存在しないといけない。戦争を否定するために戦争を学ぶ、という矛盾。戦争を終わらせたいのに、戦争を忘れるわけにはいかない、という矛盾。さらに言うと、戦争を知らない子供たちが「純粋に」増えていくことを想像するとき、そこには逆向きの想像力が入り込む。「戦争をしようとする子供たち」みたいな存在が(比喩的にでも)必要になるということだ。つまり、戦争が起きてしまう可能性、戦争を肯定してしまう誘惑、戦争を選択してしまう人間の回路。それが現実に存在するからこそ、「戦争を知らない子供たちを増やす」という願いが成立する。願いが成立するために、願いの反対側が必要になる。これはすごく嫌な二重性だけど、でも、きれいに切り落とせない。
彼が語っていたのは、その二重性を、ある世代が引き受けていくという話だったように思う。戦争を直接体験していない。しかし、戦争の記憶がまだ近くにある。その狭間の世代が、戦争が本当に過去のものになるまで、戦争を語る側に立ち続ける——その役割を、静かに引き受け直すような話だった。
この話を、学生たちがどう受け取ったかは、正直まだわからない。彼らは今年成人式を迎える世代で、戦争はさらに遠い。でも、もちろんいろいろ感じてはいる。実際に各地で起きている「戦争」(鉤括弧がいるのかどうかすらわからないが)を。それでももし「遠い」とすれば、その遠さのままに引き受ける方法が要るはずで、それが音楽ワークショップの場でふと立ち上がるのは、少し不思議でもあり、自然でもある気がしたのだ。
……と、ここまでが最終回で印象に残った話。
そして、その流れの中で、別の女性参加者が、別の戦争の話をした。彼女は「最近、うちの主人が映画を観に行っていて」と言って、その映画が『ウォーフェア 戦地最前線』だったと教えてくれた。たまたま同じ日に、同じ場で、戦争をテーマにした話がもう一つ転がってきた、というだけのことなのだけど、その偶然のつながりが気になって、僕は後日、その映画を観に行った。以前からもともと好きだったアレックス・ガーランドの監督作だ。
『ウォーフェア』は、観ている間ずっと身体が固くなるような映画だった。2003年のイラク戦争、ある米軍特殊部隊の作戦行動の一部を、ほぼ実時間の90分で描く。アレックス・ガーランドに加えて、当時その現場にいた元兵士のレイ・メンドーサが共同監督として制作に関わっていることもあって、細部の再現に異様な執着がある。銃声や無線、負傷者の扱い、視界の悪さ、判断の遅れ、誤解や苛立ち、そして思考停止に何度もなりかける極限の恐怖。その全部が、観客に「自分の席にいながら戦地の呼吸に巻き込まれる」ような圧をかけてくる。なにより、音がすごかった。何度もびくついた。
映画の説明はほどほどにし、観た後に読んだこのCINRAのインタビュー記事について。映画制作が帰還兵たちのトラウマへの向き合い方になっている、という話はとても興味深かったのだけど、僕が気になったのは、記事の中に差し込まれている注釈だった。イラク戦争の大義の問題、民間人被害の問題、事後的に検証されてきた歴史的事実。いわば、読者が気にせざるを得ない「外側の視点」が、注釈として入ってくる。
インタビュー自体にも、イラクの民間人を巻き込んだことに対してどう思っているか問われるシーンもあるし、もちろんこういった注釈が入るのは、ある意味で当然だ。けれど同時に、映画が選んだ「カメラの高さ」と、注釈が持ち込む歴史的なカメラの高さは、どうしても一致しない。その不一致が、記事の中でそのまま露呈しているということが、面白いし、そのズレの居心地の悪さについて考えてしまった。
映画の「カメラ」は、戦地の兵士の高さから動かない。そこで起きる「民間人への申し訳なさ」は、同じ高さの中での申し訳なさだ。たとえば、占拠した家族に銃を向けるときの一瞬のためらいとか、どうしようもなく巻き込んでしまっているという感覚とか、そういうものは確かにある。でも、それは歴史的な責任の言語とは別物だ。別物であること自体が、この映画のリアルでもあり、そうでないとこんな映画は作り得ないだろう。
一方で注釈は、後からしか成立しないカメラだ。戦争がどういう正当化のもとで始まり、どんな構造的暴力を生み、どれほどの民間人被害を出したのか。そういう検証された言葉は、戦地の視界の中からは基本的に出てこない。戦地の視界の中で出てくるのは、せいぜい「今ここで生き延びる」ための言葉だ。
その二つが、記事の中で同時に並ぶ。しかも、同じ本文ではなく「注釈」として並ぶ。この配置のされ方が、すでに一つの批評になっている。つまり、いま戦争を語る/戦争を読むという行為が、そういう併置を不可避にしてしまう状況にある、ということが見えてしまう。映画の外側で、注釈という外側が生まれ、記事の外側で、また別の外側(読者の倫理や政治的態度)が生まれる。外側が外側を呼び続ける。戦争を語るとき、視界の高さは一致しない。その一致しなさを、無理に統合しないまま併置するしかない瞬間を見落とさないようにすることは、ちょっと大事なことな気がしている。
地域の音楽ワークショップの場で偶然聞いた言葉が、別の偶然のきっかけで映画に繋がっていく。そこに深い意味があるわけではない。ただ、戦争という言葉が、こういう仕方で生活の中に入り込んできた、という事実は記録しておこうと思った。
