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体は借り物。脳は反抗期ー怠ける脳と、正直な体。その間で生きている。

今年の7月、痛風の発作に襲われた。

朝起きた瞬間、足首に針を刺すような痛みが走り、立ち上がることすらできなかった。

最初はねんざかと思った。けれど、あの痛みはそんな生易しいものではなかった。


病院で検査を受けると、医者は静かに言った。

「尿酸値がかなり高いですね。フェブリクを飲みましょう」

その瞬間、自分の中で何かが切り替わった。

体は正直だ。日々の怠けや油断を、帳尻を合わせるように突きつけてくる。


あの痛みは、まるで「体からの最後通告」だった。

それ以来、毎朝フェブリクを一錠飲むことが、私の日課になった。

薬を飲むたびに思う。

この一錠は“痛みを消す薬”ではなく、“自分の慢心を思い出させる錠剤”なのだと。





自分VS脳みそ



人生のほとんどの戦いは、外ではなく内側で起きている。

相手は他人ではなく、自分自身――もっと正確に言えば“脳みそ”だ。


脳は怠ける天才で、いつも言い訳を探している。

「今日はやめておけ」「明日でいい」「一杯くらい大丈夫」

理屈を並べ、都合よく自分を甘やかす。


その声に何度も負けてきた結果が、7月の痛風だった。

体は、サボった心のツケをきっちり取り立てに来た。

それを思えば、フェブリクを飲むという行為は、

“薬を飲む”というより、“自分の弱さを受け入れる儀式”に近い。


だから私は今、「健康とは自分VS脳みその戦い」だと思っている。

自分がどれだけ理屈をこねても、体は真実を知っている。

どんな言い訳も、体には通用しない。





借り物の体



仏教には「空(くう)」という考え方がある。

すべてのものは固定された実体を持たず、関係の中で存在している――という思想だ。

つまり、私たちの体も“自分のもの”ではなく、“一時的に借りているもの”にすぎない。


そう考えると、健康とは体を長持ちさせる技術ではなく、

借り物を丁寧に扱う態度なのだと思う。


この体は、若い頃のように無茶をしても許してくれない。

飲みすぎれば痛みで抗議し、怠ければ鈍さで知らせてくる。

体は常に正直で、嘘をつかない。

問題は、私たちがそのサインをどこまで聞こうとするかだ。





フェブリクが教えてくれること



人は、痛みを経験して初めて「生きるとは管理すること」だと知る。

健康も、仕事も、感情も――放っておけば崩れる。

私にとってフェブリクは、その“管理”の象徴になった。


だから、時々、フェブリクを飲みながら思う。

この小さな錠剤は、体を守るための薬であると同時に、

自分の“怠け癖”と闘うためのスイッチでもあるのかもしれない。


この数ヶ月、私は自分の中に“もう大丈夫だろう”という油断が生まれるたびに、

あの7月の朝の痛みを思い出すようにしている。

それは苦い記憶ではなく、今を整えるための小さな道標になった。





終わりに



結局、誰よりも私の体は味方であり、最大の敵だ。

その二つが常にせめぎ合いながら、私は今日も生きている。


薬を飲む日々は、敗北の証ではない。

それは、戦い続けるための静かな誓いだ。

そして、いつかこの体を返す日が来たとき、

「いい使い方をした」と笑えたなら、それでいい。

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