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AI時代、影響力を持つのは「孤独に思考を重ねてきた人」だった。──"エネルギーがとてつもなく大きい人"の、見えない習慣

「そこまで考えたことなかったです……」
「みんな、そこまで考えてないからねー」

私は、こういう言葉を、本当によくかけられてきました。

そのたびに、ほんの少しだけ、心がしぼむような感覚があって。
「あぁ、私は、考えすぎなのかもしれない」と、落胆してみたり。
「気にしない」を、半ば強引に採用してみたり。

そんな私が、今朝、震えました。 ワナワナと、ドギマギと、あわあわと。 心の奥底から、何かがこみ上げてくるような、あの感覚です。

きっかけは、心理学界の巨匠であり、私が密かに"心の仙人"と呼んでいる、諸富祥彦先生のNewsPicksの記事でした。

「一億総AI壁打ち時代」のなかで、人と人との対話に、なぜ価値が残るのか──。 そんな問いを、深く、深く、掘り下げる対談が、そこには綴られていました。

実は私には、「思考の時間」という、ちょっとオタクな習慣があります。

モヤモヤした感覚を、モヤモヤしたまま。 モヤモヤしながら、ずっと、自分と対話をし続ける時間。

たった、ひとりで。 無音と、空気が澄みきった部屋で。

えぇ、地味です。 そして、実に、孤独です。

このモヤモヤは、考えても、考えても、答えが出てきません。 まるで、霧のなかを、ひとり歩いているような感覚。

「私って、根暗なのかな?」
「自分、大丈夫かな?」

そんな問いが、何度も、ふっと浮かびます。 それでもなお、モヤモヤから目をそらさずに向き合い続けるのですから、エネルギーを根こそぎ持っていかれるような、激しい消耗感が、あるのです。

ところが、です。 不思議なことが、ある瞬間、ふと起こるんです。

「あ……これか」
「これが、根っこだったのか」

点と点が、線で繋がる瞬間が、必ず訪れる。

そして、面白いのは、ここからなんです。 この「根っこと、握手する」瞬間に到達すると、自分のなかのエネルギー総量が、際限なく広がっていく感覚に、包まれるのです。

突然ですが、あなたの周りに、いませんか。

"なんだか、エネルギーが、とてつもなく大きい人"

そういう人って、もともと大きなエンジンを積んで生まれてきた、というわけではなくて。

「本当に、それでいいのか?」 「本当に、これが、私の答え?」

思考して、思考して、思考しまくって。 根暗になって、根暗が、いつの間にか孤独に変わって。 孤独の闇のなかで、ようやく、ちいさな光を見出して──。

そんなプロセスを、何百回と繰り返してきた人なのではないかと、私は思うのです。

確かなエビデンスは、ありません。 でも、そんなレンズを通して人と接していくと、単なる「凄み」ではなく、「深い」と感じられる人との出会いが、たしかに、ある。

私がここで言う「深い」とは──。

────────
孤独を愛し、
孤独のなかから、
光を見出せる人。
────────

そういう人のことです。

諸富先生は、記事のなかで、こんなふうに語っておられました。

言葉になる前のモヤモヤを、哲学者ジェンドリンは「フェルトセンス(言葉にならない、漠然とした身体感覚)」と呼んだ。 そして、その境界線に踏みとどまって考え続けることを、「TAE(Thinking at the Edge)」と名づけた。

このTAEこそが、「自分の頭で、本当に考える」ということと、イコールなのだ、と。

その一節を、読んだ瞬間。

私が、ずっと孤独な部屋で続けてきた「思考の時間」が。 「変人の、地味な趣味」ではなく、ちゃんと意味のある営みなのだと、ようやく、認められたような気がしたのです。

だから、震えたのだと思います。

「みんな、そこまで考えてないからね」と、笑われ続けてきた、あの時間が。 「考えすぎ」と、片づけられてきた、あのモヤモヤが。

実は、AIの時代だからこそ、いちばん価値ある場所に、置かれていたのだ──と。

そして、もうひとつ。 ふっと、点と点が、繋がる瞬間がありました。

"エネルギーがとてつもなく大きい人"の、正体です。

あの人たちは、もともと特別だったわけじゃなくて。 AIには絶対に肩代わりさせられない、この「自分の身体感覚で、モヤモヤと向き合い続ける作業」を、何百回と、繰り返してきた人だったのではないか、と。

孤独を愛する人。 AI時代に、自分の頭で、本当に考えられる人。 "エネルギーがとてつもなく大きい人"。

たぶん、この三つは、同じひとりの人を、別の角度から呼んだ言葉だった。

そう、思ったのです。

AIとの対話は、便利です。 「理解した」までは、秒速で辿り着けます。 私も、よく相談します。

でも、たぶん、AIには辿り着けない場所が、ある。

「確かな、納得感」 「私は、どう生きるのか」

そういう、人生の根っこに触れる感覚だけは、孤独のなかで、自分自身と握手するときにしか、生まれてこない。

そんなふうに、思うのです。

もし、あなたが、いま。

「考えすぎだよ」と言われて、心がしぼんでいたら。 「みんな、そこまで考えてないよ」と笑われて、自分の感性に、自信を失いかけていたら。

どうか、そのモヤモヤを、捨てないでください。

それはきっと、あなたが、あなた自身の「根っこ」と握手しようとしている、いちばん大切な時間だから。

霧のなかを歩く時間は、孤独で、消耗します。 でも、その先には、確かに、光があります。

私は、そう信じています。

▼ 私を朝から震えさせた、諸富祥彦先生の記事は、こちらから読めます。

心の根っこを、そっと抱きしめてもらえたような、一本でした。 諸富祥彦先生に、心から、ありがとうございます。


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