その世界の面白さを知る人
サンドウィッチマンと芦田愛菜ちゃんが
MCを務める『博士ちゃん』という番組が、
好きです。
何かにドはまりして、大人顔負けの知識を、
ただただ、「スキだ!」という理由で、
これでもか、これでもかと
身につけちゃった子ども達。
私が、全く知らなかった世界のことを、
イキイキと、夢中で話す様子を見てると、
よく分からなくても、
つられて楽しくなってくる。
赤ちゃんが、何が面白いのか、ツボって、
ケラケラと独特の笑い方をするのを
聞いてると、
こっちも、なんにも可笑しくないのに、
ゲラゲラ笑ってしまう。
あの感覚に似ている。
誰かの、心底楽しい!は、
周りの不機嫌なんかも吹き飛ばして、
愉快、愉快!に変えていく。
そんな力が、あるんじゃないか。
そして、その子ども達を、
ニコニコと見守って来たであろう、
周囲の大人たちにも頭が下がるのです。
あぁ、本当に。
素直なスキ!という気持ちを、
大事にしてくださって、ありがとう!
そういうお前は何者か?なのですが、
代わりに礼でも言いたい衝動にかられます。
楽しさを「教えてくれる人」、
楽しさを「大事にしてくれる人」。
それは、この世知辛い世界の、
うれしいカケラ。
そんな誰かとの出会いが、
何かを動かしたり、
別世界への扉になることもあるからです。
私にとっては、
中学校の美術の先生がそうでした。

そのどれもに、心が高鳴った。
華奢で、小柄なのに、妙に存在感がある。
そこいるだけで、
周りがパァッと明るくなるような、
不思議な魅力のある先生でした。
その先生の授業。
中学生相手に、かなり本格的なレタリングを教え込みます。
明朝体とか、ゴシック体とか、
いわゆる、印刷したような文字を、定規などを使って、手で書くのです。
その(中学生なりに)本気のレタリングを組み合わせ、作るポスターは、なかなかの気合の入りよう。
なんとな〜く、テキトーに
「作らせられた」感が出ない。
先生は、やるからには!の人だったのです。
他にも、好きな曲を選んで、
それを売るつもりで、
レコードジャケットをデザインさせたり。
アンリ・ルソーの絵を、
クラスの人数で分割して、
それぞれ担当箇所を描いて、合体。
大きな1枚の絵にしてみたり。
先生の授業は、私にとって、
「自分で考えて、表現する」の原点となったのでした。
そこまで影響されたのは、
先生が心底「美術の世界」の
楽しさを知る人だったから。
それを、誰かに伝えたくてたまらなくて、
教師になった人だったから。
だから、その「楽しい!」に揺さぶられて、
中学生だった私は、動かされた。
美術の入り口が、「楽しい!」を知る先生で、
本当に良かった。
願わくば、義務教育のとっかかりが、
その世界の楽しさを知る人だったら
どんなに良いか。
「覚えるのが当たり前」
「頑張らんと、大変なことになる」
そんな焦りや不安ではなく、
ただただ、その世界の「楽しい!」を
まずは教えてもらう。
覚えなければならない数式も、
なぜ、その人が、その数式を必要としたか。
そこから知れば、ただの数式にも、
ドラマがあることを知る。
あぁ、その人のおかげで
それをまたイチイチ、
最初から考えずに済む。
なるほどなぁ、となる。
「いいから、覚えろ」より、ずっといい。
数式にも、
それを心底「楽しい!」と感じた人がいて、
それに揺さぶられて、
楽しさが伝染していく。
その人達のアウトプットは、
ただの知識や、
日々量産される「お役立ち情報」ではない。
そこに上乗せされた、
「面白くてワクワクする」気持ちがある。
だから、つられて
こちらの気持ちまで、上がってくる。
力や数で、少ないもの、弱いものの声が、
かき消せれてしまうこの世の中にあって、
誰かの見る「楽しい!」の小さな世界が、
どんなに人を笑顔にさせるか!
そんなつもりがなくても、
その「楽しい!」に、
つられて気分が良くなる人がいるなんて、
こんなスンバラシイことあるだろうか!
だから、世界がきな臭い、
胡散臭いときほど、
「楽しい!」「うれしい!」が
大事になってくるのだと
私は、思います。
だから、応援いたします!
九州の片田舎から!
フレー、フレー!
日本の、世界の、
博士ちゃん&博士さん!
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