なぜ人は自殺するのか / 絶望に至るさまざまな背景【精神科医が考える】
今回は「なぜ彼は自死を選んだのか」「なぜ〇〇さんは亡くなってしまったのか」という、非常に重く、しかし避けては通れないテーマについてお話しします。
身近な人や、ニュースで知る著名人の悲報に接したとき、私たちは「どうして」という問いを繰り返さずにはいられません。精神科医がこうした事態をどのように分析し、どのような視点でその背景を捉えているのかについて、心理構造を探ります。
◾️「理解できない」と「納得できる」の境界
精神科医が自死の問題を考えるとき、まず大きく二つの視点に分けて評価を行います。
一つは、医学的な病状の悪化による「了解不能なケース」です。
例えば、統合失調症による幻覚や妄想に支配されたり、双極性障害の激しい病状の変化によって現実を正しく認識する「現実検討識」が歪んでしまったりする場合です。
「誰かに見張られているから死ぬしかない」といった、周囲から見れば到底納得できない理由であっても、本人の中では切実な論理として成立してしまっています。
こうしたケースでは、薬物療法の自己中断がなかったか、あるいは入院による安全確保がなぜ難しかったのか、といった医療的側面を検討します。
また、抑うつ障害(うつ病)の一部でも、重症化すると妄想に支配されることがあります。
一方で、多くの皆さんが知りたいのは「絶望による自死」、つまり、ある種の「了解可能性」があるケースではないでしょうか。
借金があり、誰からも愛されず、将来に希望が持てないから死を選んだ。
このように、周囲が「その状況なら絶望しても無理はない」と感じる背景について、その絶望が形成されるプロセスを追ってみます。
◾️ 心を追い詰める内的な要因と外的な要因
人が「人生が詰んでしまった」と感じる絶望の背景には、内的な特性と外的な環境が複雑に絡み合っています。
内的な要因として顕著なのは、10代の思春期特有の過敏さです。
脳の発達段階において、他人の目が異常に気になったり、強い劣等感に苦しんだりすることがあります。
社会の変化に自分の成長が追いつかない、というキャッチアップの難しさが絶望に繋がるのです。
これは大人になっても地続きの問題として存在し、回避性パーソナリティ症や依存性パーソナリティ症、あるいは「見捨てられ不安」に支配されやすい境界性パーソナリティ症を抱えている場合、その苦しみはより切実なものとなります。
プライドがへし折られたことに耐えられないという自己愛性パーソナリティ症的な側面が影響することもあります。
また、加齢による体力の衰えや痛みの増強、あるいは知的能力障害(知的能力発達症)や神経発達症(発達障害)によって社会に適応できない苦しさ、外傷後ストレス障害(PTSD)による終わりのないフラッシュバックなども、死を強く意識させる内的要因となります。
週に何度も透析を受け続けなければならないといった身体的な苦痛も、心を疲弊させる大きな要因です。
ここに、ブラックな職場環境やパワハラ、貧困、借金、孤独、あるいは親からの虐待や性的搾取といった過酷な外的要因が重なります。
お金があれば、あるいは良き理解者が一人でもいれば踏みとどまれたかもしれない。
こうした内と外の要因が複合的に積み重なった結果、逃げ場がなくなっていくのです。
◾️ 絶望を構成する複雑なパズル
絶望とは、いわばうつ状態の一種です。
自分を取り巻く世界が「死ぬよりひどい場所」に見えてしまう状態を指します。
恋人や友人、職場の仲間に裏切られ、信頼していた人からお金を横領されるといった経験は、その人の世界観を根底から破壊します。
中には、カルト的な洗脳によって「今死ねば天国に行ける」といった命令に支配されてしまうケースもありますが、多くの場合はもっと日常的な「絶望の積み重ね」です。
なぜ〇〇さんは自死を選んだのか。
その答えは、これまで挙げた要因のどこかに引っかかり、それらがパズルのように組み合わさってしまった結果だと言えます。
しかし、ここで重要なのは、どんなに複雑に見える問題も、一つずつ「分解」することが可能であるという視点です。
親との問題は解決が難しくても、新しい恋人や良き友人に出会える可能性は残っています。
お金の問題であれば生活保護などの社会保障があります。
10代の過敏さは、年齢を重ねることで脳が安定し、うまくやり過ごせるようになることが多いのです。
絶望という巨大な塊を、扱える大きさの課題へと解体するアプローチを提示します。
◾️ 解決の鍵は「分解」と「時間」にある
パーソナリティの特性による生きづらさは治療で変えていくことができますし、知的能力の問題も適切なトレーニングや社会的なサポートで環境を整えることができます。
依存症も、一人では無理でも繋がれる場所があれば回復の道が開けます。
一気にすべてが解決する「魔法」はありませんが、根気よく一つずつ解きほぐしていくことで、絶望の濃度は必ず薄まっていきます。
外来診療をしていると、それまで「死にたい」と切実に訴えていた方が、ふとした瞬間に「やっぱり死にたくない」と涙を流される場面に何度も立ち会います。
本当の意味で「死」を望んでいるのは、妄想などの病的な状態にある場合がほとんどであり、多くの人は「今の苦しみから逃れたい」のであって、生そのものを否定したいわけではありません。
生きることは確かにきつい作業です。
しかし、私たちの脳は、ゆっくりとしたトレーニングを積めば、できることを少しずつ増やしていく能力を持っています。
その変化には時間がかかりますが、それでいいのです。
焦らずに時間をかけて回復を待つことの意義を再定義します。
◾️ 遠回りを許容するトレーニング
精神科の領域では、物事を「年単位」のスパンで捉えます。特に若い方にとって、1年や2年という月日は永遠のように長く、取り返しがつかない時間のように感じられるかもしれません。
しかし、人生という長い目で見れば、それは単なる少しの遠回りに過ぎません。
若くして成功しなければならない、立ち止まってはいけない、といった強迫的な観念を緩めていくことが大切です。
脳が新しい環境に適応し、スキルを身につけていくには相応の時間が必要です。
その時間を自分に許してあげること、それ自体が重要な治療のステップとなります。
今回は、なぜ自死という選択がなされてしまうのか、その背景を精神科医の視点で分析しました。
みなさんは、「問題を分解して考えていく」という手法について、どのように感じたでしょうか。
一気に解決しようとせず、一つずつ分けて考える。
その視点が、みなさんの心の平穏にどう作用するか、多面的な心のありようをどう捉えていくか、一緒に考えていければと思います。
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