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日本人とは何か⑤ 美辞麗句と隠蔽の歴史


はじめに 

下記の画像は、街にあふれかえるゴミや日本人の行儀の悪さを撮影したものですが、不快に思われるかもしれませんのでご注意ください。また、結果的に隠し撮りとなってしまいましたが、この惨状を一目でお伝えするために、ご理解いただければ幸いです。他意はありません。

日本は清潔で、人々は礼儀正しく優しいと言われます。また、日本人は勤勉かつ優秀で、日本食はどれも安くて美味しい。皆さんもご存じのとおり、「日本は "すごい" !!」と強調するコンテンツがメディアやインターネット上に溢れて久しいですが、一方で、没落ぶりも "凄い" のです。それらは私の想像をはるかに超え、最近は外出がためらわれるほど。

さまざまな文献や書籍に目を通し、実際に現場を歩いて痛感させられるのは、日本の歴史は隠匿・隠蔽、改ざんや残虐非道を抜きにしては語れないことがよくわかります。また、日本では美辞麗句も隠蔽の道具と化して、無知かつ簡単に煽動される人々を欺き続けているのです。

正直さや潔さなど、日本人の比喩に使われる言葉からは想像できないような、嘘、卑怯さ、騙し討ち、自作自演、隠蔽、改ざんの数々が歴史から炙り出されるたびに、毎日、歴史に触れている私でさえ、「またか⋯」と気が滅入り、事実を受け止めるまで時間がかかります。それは、今までの歴史教育との温度差もありますし、世間に流布する言葉やつくられた日本人のイメージとの乖離も原因かもしれません。

学校や職場で陰湿なイジメやパワハラなどの嫌がらせ行為が起きると、比較的都市部の方が問題にしやすい印象があります。それは、共通認識の問題かもしれません。

一方、地方では、昔からその土地に根付く古くからの力関係が大きくて、労働基準などあってないような職場も多く、元同僚は、新卒から会社一筋で勤め上げた人でしたが、定年目前で解雇され、一円たりとも退職金を支払いたくない会社の常套手段に嵌められました。もちろん、労働基準局に訴えるのですが、当時、その会社の親族が全権を握る立場にあり、役立たず。

ゴミだらけの上野、このような光景は珍しいことではなくなりつつあります
上野では比較的新しいビルのエレベーターホール
画像には写っていませんが、ゴミの散乱と短期間でここまで汚れたタイル床は見たことがありません

先日、公共交通機関を利用した際に、いろいろと驚くことがありました。というのは、一見、好青年風の男性は彼女と仲睦まじく着座していますが、あろうことか通路を荷物で塞ぎ、他の乗客が困っていてもお構いなし。私も予約した席にたどり着くまで、一苦労でした。

次は、通路を挟んだ席の乗客で、彼女は乗車するやニオイのきついスナック菓子を頬張ります。あろうことか、サンダルのままシートに足を上げたりと周囲の目もはばからず好き勝手。しまいにはこの有り様でした。

他者と自分、または、公共の場とプライベートといった境界があいまいなのでしょうか?

山梨から乗車した女性は見るところ20代後半から30代半ば。今までこのような光景を見たことがなかったので、驚きました。

全滅を玉砕、敗戦を終戦、一億総懺悔との言葉は戦争責任を曖昧にしました。そもそも玉砕とは、「玉のように美しく砕け散る」という表現が示すように、名誉や忠節を守って潔く死ぬことを意味します。その由来は、6世紀の中国の文献に由来し、名誉のために死ぬことを「玉砕」と表現したことが始まりです。

日中戦争から太平洋戦争(大東亜戦争)に至るまで、少なくとも日本にとって中国は敵国のはず。しかし、中国に由来する言葉、玉砕を用い、後方支援のない将兵の餓死、病死も英霊にしてしまう。

また、英霊も『隋書』など中国の古典にみられる言葉で、英華霊秀の気をもって生まれた、つまり優れた人を意味しました。日本では幕末に藤田東湖の漢詩「和文天祥正気歌」(「文天祥の正気の歌に和す」)の一節「英霊未嘗泯/長在天地間」(「英霊いまだかつて泯びず、とこしえに天地の間にあり」)という漢詩の一節が志士の間で詠われ、広まリました。

もともと英霊は、戦死者にのみ使われる特別な用語ではなく、葬儀の際に故人に語り掛ける弔辞で「霊魂」のことを「英霊」と言うのが1940年代までは一般的でした。それがいつしか戦死者へ用いられる言葉の代名詞のようになり、今日に至ります。

「日本人とは何か?」
皆さんはどのようにお考えになるでしょうか? コロナ禍以降、訪日外国人旅行者の質が悪くなったのは火を見るよりも明らかですが、日本人のモラルの低さも目立ちます。



※拙文のお目汚し、大変失礼いたします。また、あらためまして、不快感を与えるような画像につきましては、心よりお詫び申し上げます。


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