見出し画像

ゲイ読み赤江瀑037「冬のジャガー」

◯ 「冬のジャガー」《小説新潮新春号》 1975年2月

 1963年の三池炭鉱のCO闘争を背景にした、ひとりの女の悲劇である。魔の宿りは社会的な大きな事故が原因であり、そんな彼女を探す者、保護した者、それぞれの視点で描かれる。
 ジャガーは彼女に宿った兇暴性のメタファーであり、途中まではタイトルがどう関係してくるのか、さっぱり分からない。赤江らしい、タイトルを先に思いついたパターンなのだろう。

 探す男は、博基。彼が探しているのは、嫂の鞠子。彼女は昭和三十X年のO炭鉱の大事故で父と婚約者を亡くし、直後にそのショックで母も亡くしている。
 ヤマで働く博基の兄と知り合い結婚したが、四年後の四十X年の事故で夫が被災し、病院に担ぎ込まれた。彼女は事故の混乱の中で、行方不明になってしまった。夫は後遺症に苦しみながら、博基が面倒を見ている。

 テレビの人探しの番組で、博基は鞠子の手がかりを訴える。すると、謎の女の電話で、鞠子がとある瀬戸内の島で死んだと情報が。
 彼女が死んだ時、とある有名人が一緒だった。一の枝拳という写真家。写真家で拳って…土門拳ですか?

 拳の方も、テレビを見た元の妻から、死んだ女の素性を知らされて驚いていた。彼女は糸村シズ子、と偽名を名乗って拳のところでまる一年暮らしていた。危うい兇暴性を秘めており、拳の言うことだけは聞くので、いつも連れて撮影旅行に行ったりしていた。
 なにしろ、拳とシズ子の出会いはこうなのだ。

 彼女が死ぬ一年前の冬だった。彼女は、新宿のあるデパートの裏路で、男の愛撫をうけていた。シャッターをおろしたビルの壁によりかかり、男は立ったまま彼女の腰を抱えこんで、激しく動きつづけていた。一の枝は、見るともなしに見て、その前を通りすぎ、行きつけのスナックの階段をおりた。スナックが満席だったのでまた上ってきて、通りへ出ようとしたときのことだった。抱擁を終えて男がズボンをたくしあげている背へ、彼女の腕がとつぜんふりかざされるのを見た。その手には、彼女が一瞬かがみこんで路傍から拾いあげた煉瓦がわしづかまれていた。
 一の枝は、自分でもふしぎであった。とっさに彼の口から歌声がほとばしったのだ。歌など歌ったことのない自分が、とにかく夢中で、歌を歌って通りへ出た。見もしらぬ女の一本の腕、それをふりおろさせまいとすることだけのために。
 女はいきなり振り返り、機先をそがれて煉瓦をはなした。男は結局何も気づかず、そそくさと路地を出ていった。行きずりの男女であるらしかった。一の枝も、その前を通りすぎた。と、すぐであった。路地の奥で物音が起こった。にぶい重い音だった。引き返すと、女はうずくまって、地面に煉瓦を叩きつけてはしきりにこなごなに砕いていた。
「君……」一の枝は思わず声をかけた。
「わからん……わからんのよ……」
 と、彼女は口のなかで呟いていた。
 それがシズ子の、最初に聞いた声だった。
「自分でもわからんの……知らん間に、そんな気になってるの……いつもそう……だから、これからだって、そう……」彼女は急に顔をあげた。「わたしを警察へ連れてって。見たでしょ。警察へつき出して。そして、檻のなかに閉じこめて!」

『野ざらし百鬼行』文藝春秋

 これは「影の風神」のヒロインの夫・将吉のパターンと同じだ。トラウマから来る殺人衝動を抱えた人物像。
 以前は、赤江作品の同種のトラウマ持ちは自己破壊へと直走るのが常だったが、ここのところ、「ニジンスキーの手」の弓村高のような獣性を無意識に放つパターンに回帰している。

 その殺人衝動の獣性から、一の枝は、かつてメキシコ取材の時に見た、人喰いジャガーを思い出したのだ。

 シズ子は島で、たまたま崖っぷちで漁師の乱闘に遭遇した時、『ちくしょおうっ』(コウメ大夫かしらw)と叫んで乱闘の中へ飛び込んで行き、崖から転落した。
 シズ子が拳といる時は何故か衝動を抑えていられたのは、拳もまた、水銀公害で家族を失った天涯孤独の身であったからだと、彼は気づいていた。シズ子が時々洩らす、「ガス」「CO」という言葉から、彼女のトラウマの正体も薄々分かっていたのだ。

 作中「O炭鉱」と仮名で呼ばれる三池炭鉱は、筑豊地方である。赤江のホームタウンの下関から目と鼻の先。赤江は放送作家時代、ノンフィクションやドキュメンタリーも手掛けていた。もしかすると、炭鉱粉塵爆発の被害者の悲惨な境遇も知悉していたのかもしれない。
 社会的な事件が大きく取り扱われた、赤江にしては珍しいタイプの短編だった。現実の社会闘争の水脈が顔を覗かせたのは、「ホルンフェルスの断崖」くらいだったから。

『野ざらし百鬼行』 1977.7. 文藝春秋
『野ざらし百鬼行』 1988.1. 文春文庫

いいなと思ったら応援しよう!