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ゲイ読み赤江瀑178「春睡る城」

◯ 「春ねむる城」 《別冊婦人公論春号》 1986年4月

 〈惑星たちの舞曲〉も最終作となる。単行本では「元清五衰」、「躍れわが夜」に続き三番目に収まっている。

 この連作でひとつ特筆しておきたいのは、雑誌掲載時から踏襲された、岡田嘉夫画伯のイラストである。単行本もそれぞれの作品の冒頭に、文面を割るようにしてレイアウトされたイラストが、必ず一葉添えられている。
 この頃、岡田画伯は赤江以外にも、皆川博子や田辺聖子などと組んで、独特の点描的イラストを施した華麗な単行本をいくつも出版している。赤江の装幀装画は本作と『香草の船』『月迷宮』の三冊。
 今回のトップ画はもちろん、「春睡る城」のイラストである。この五葉のイラストは、文庫には残念ながら収録されていない(毎回、このイラストをトップ画像に使ってもよかったかもしれない)。

 古い城の石垣の下の路を、柔らかい春の陽のぬくもりに包まれてゆっくり歩いている男がいる。
 屈託のない明るい顔。のびやかな均整のとれた肢体、おおどかに、無心に、その満身を陽ざしにゆだね、春の城趾の静寂にひたりきって、彼はじつにのどかな足どりで、ゆったりと歩いていた。
 ときおり、眼をあげ、乱石積みの高い石垣を仰ぎ見る。そのまなざしも駘蕩として充ち足りていた。いくらか眠たげに、とにきは眩しさをおさえかねたまなざしに見えもする束の間もありはしたが。歩きながら彼の手は、その足どりよりももっとおおどかに、のびのびと動いていた。一枚一枚着衣を剥ぎとり、剥ぎとるはしから、陽ざしのなかへ高々とそれを放りあげ、シャツも、下着も、やがて靴も、見るまに毟りとられていき、脱衣を完了しきった彼は、する以前の姿よりさらに屈託なげに見え、ぬくぬくとしたその裸体は、陽に戯れ、光に躍って、一瞬春が大地へ放したふしぎな生きもののようにも見えた。
 人けない古い城の石垣の路は、かげろうがさかんに燃えたち、城石も、男の裸体も、そのとき燦爛たる光の幻界に領されたものの気配をまとい、それがごく自然な事の成り行きででもあるかのごとく、男の姿はゆっくりと光のなかを泳ぐように躍動しながら、やがめ城石の内へ向かって消えて行った。
 透明に耀いながら石垣の奥へ溶けて呑み込まれて行く男の肢体を、邦秋は、ちょうど映画のフィルムのなかの一光景をでも見るように、まのあたりに眺めていた。
「あらまあ、お客さん。お箸つけて下さいよ。いくらも召し上がっちゃいないじゃありませんか」
 襖をあけて入ってきた仲居の声で、邦秋はわれに返った。

『遠臣たちの翼』中央公論社

 「春の寵児」以来の城下町のストリーキングである。それが夢幻であるのも一緒だ。だが、今回そのあやかしを夢見るのは、まだ人生も知り初めぬ少年たちではなく、五十を過ぎた作家である。
 もと童話作家の邦秋は、冬の夜、とある港町の割烹旅館の座敷で、春の城趾の白日夢を見ていた。
 その座敷には、青磁の花瓶と香合が飾られ、そこには線描で平家蟹が彫られている。この平家蟹が、邦秋の生涯を貫くトラウマであり、生い立ちを知る形見でもあった。

 彼は四歳で生家を失い、両親を喪い、たった一人の兄とも生き別れて見ず知らずの土地に養子に貰われていた。
 記憶の中の全てが朧であったが、生家には、平家蟹をモチーフにした調度品や器やらがひしめいていた。

 その割烹旅館の座敷に上がったのは、十年前以来のことだった。今回是非ともこの店を訪れて平家蟹の花瓶を確かめてみたかったのだ。
 十年前、彼は兄の十七回忌でこの街を訪れて、その花瓶を見かけた。その時思った。もしや、蟹の磁器は失われた生家から出た物ではないか。生家のことを知る手がかりがあるかもしれないと。

 成人する頃、初めて彼は兄からの葉書を受け取った。兄の顔も親の顔も全く記憶になく、ただ平家蟹のことだけが意識に刻み込まれていた。手紙でそれを訊ねると、確かに兄弟たちの生家には平家蟹のものが溢れていたという。
 だが、兄とは数回、手紙のやり取りをしただけで、若くして逝ってしまった。兄は遺言で、自分の葬儀や法事に弟を呼ぶのは戒めていた。遠い土地から来るだけでも大変で、自分よりも辛い思いをした弟に出費させるのが忍びないのだと。遺族はそれを忠実に守った。

 いつか、邦秋が四十を過ぎた頃、十七回忌の知らせが届いた。嫂がもう招いても金銭的にも家庭的にも大丈夫だろうと判断したのだ。
 そして、その直会なおらいで、彼は平家蟹の器に再会したのだった…

 時間軸がジグザグに遡及してゆくのはいつものことだ。戦前に焼失して無くなってしまった生家に沢山あった平家蟹のモチーフが、邦秋に童話を書かせた。三十半ばで童話作家となったが、後は鳴かず飛ばず。
 その頃、同業者の童話作家の女から、世阿弥のことを嫌味っぽく教えられた。「初心忘るべからず」の教えである。

 邦秋は、世阿弥の伝書中では最初に発見されたというその『花伝』の、しかもごく冒頭のわずかな一箇所を読んだだけにすぎなかったが、眼を洗われるような、ふしぎな戦慄をおぼえた。
 それまで思いも寄らなかった未知の世界、未踏の秘境をその先に開いてくれそうな、ただならぬ驚きと予感を持った。胸が異様に昂っていた。
 思えば、一つの麻薬の香を彼が嗅いだ瞬間だった。
 世阿弥は二十数書の芸術論をこの後に展開している。能芸の花、人間の花、真理の花に関する思索や、公案を、教示し、啓蒙し、秘策として授ける厖大な理論をそこでくりひろげていた。
 花は、複雑多彩な変相を見せ、一花の上にはさらに一花の変貌の姿を加え、秘伝の奥へ奥へと思索を誘い、百花馥郁たる魔境がさらにその先にあることを教えた。
 邦秋は、その一花の精気を浴びては、自分の仕事に戻ろうと思い、さらに次なる一花の咲く奥地へ入り込んでは、眼を開き、これでもっと凄い童話が書けそうだと思い、筆を執っては、世阿弥を読み、世阿弥を読んでは、筆の許へたち戻ろうとした。
 いつか童話が書けそうな気がしきりにした。
 しきりにしながら、しかし歳月だけが、過ぎた。
 世阿弥は、絶えず邦秋には、花の秘境を山ほど抱えた百花斉放たる春が、そこに棲み、そこで睡り落ちている巨大な城のように、思えた。束の間、近く、束の間、遠く、手に届きそうでいて、届かない、花にあふれてそびえたつ春の城だった。
 視界のなかに、その城が現われるとき、邦秋の五体も若々しく、みずみずしい生彩を帯び、春の陽ざしに躍動した。

 童話を書かなくなってから、もう幾年過ぎだろうか、と邦秋は思う。歳月だけが彼をどんどん押し流し、五十の先までも運び去ってきてしまっていた。
 汽笛が鳴っていた。
 視界の外で、ときおり、なりをひそめて動くものたちの気配がする。
(こい……)
 と、邦秋は、呼びかけた。
 視界の内に、また春の陽を浴びた古い城の石垣が現われる。
 邦秋の眼はうっとりとして、潤んでいた。
(ここが、故郷)
 夢見心地に、彼は、思った。
 揺籃ゆりかごに揺られているような気がした。

同上

 これは、赤江瀑の自叙伝である。もちろん、作中人物の邦秋の人生と、作者自身のそれは全く重ならない。伝記的事実が少ないながらも読者にも知らされているのだから、生家が滅んで養子に出されて兄と死別して云々…という部分は、いつもの赤江のパターンである。悲しみの湖の如き生い立ちを課すことで、その来た道の苛烈さを物語るのはよくある手法だ。
 だが、知られていない人生に於いては、赤江瀑になる以前、いや、赤江瀑という特異な小説家になってからも、彼は人知れず苦しみ弛まぬ努力に勤しんだのかもしれない。水面上は優雅に見える白鳥の喩えを思い出せ。
 世阿弥に惹かれて、世阿弥を規範と定め、世阿弥の後をひたすら追い続ける作家の姿は、まさに赤江自身の鏡像である。

 ならば、冒頭に立ち現れた春の城趾で一糸纏わぬ姿で登場する男は、彼の描く小説の理想像のようなものだろうか。赤江文学そのものが、美しく逞しい男のまぼろしとして、そこに影現ようげんする。
 これを再読する私も、ちゃんと世阿弥と向き合いたくなって、柄にもなく岩波の日本思想大系本『世阿弥・禅竹』を引っ張り出している。通り一遍でしか読んでこなかった世阿弥の芸術論を、心底知りたくなっている。
 毎回の短い記事ではとても詳しく触れることの出来なかった世阿弥の諸論。そこに抵触しているにも関わらず読み飛ばしてしまえば、毎度お馴染みの赤江文学になってしまうだろう。
 それでもいいのかもしれない。
 だが、この場を借りて、赤江瀑という鍾愛の作家の全体像を掴んで、いまだかつて書かれざる作家論として完成させたいという野心を持つ者にとっては、世阿弥はやはり読み過ごしてはいけない、春に微睡む厖大な城だった。

 そして大きな謎である、連作の単行本の題名『遠臣たちの翼』。連作の小説誌掲載時の総題〈惑星たちの舞曲〉が、日輪としての世阿弥を位置付けているように、日輪に向かい翼を拡げるイカロスのような「遠臣」たちもまた、「惑星」と同じ意味を持つ。
 岡田嘉夫の表紙には、月(太陽?)に翼を拡げて羽搏く猛禽の姿が描かれている。これがまさに「遠臣」なのだ。

中央公論社版と中公文庫版 装画・岡田嘉夫

 それぞれの作品の登場人物たちが、遠くから世阿弥という天帝の膝下を目指す忠臣、ということでいいだろう。
 ある者は熱に翼を焼かれ、ある者は熱にも達せず、ある者は冥王星のように遠い氷の領域から遥かな日輪を望む。
 そして、作者自身もまた、遠臣の一員なのだ。

『遠臣たちの翼』 1986.10. 中央公論社
『遠臣たちの翼』 1989.11. 中公文庫

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