ゲイ読み赤江瀑005「赤姫」
◯ 「赤姫」《小説現代》1971年9月号
タイトルの赤姫とは、歌舞伎のお姫様役のこと。赤い振袖を着るのでこの呼び名となる。
語り手はシナリオライター。ライターの友人の映画監督・坂田が、近頃、売り出し中の役者・蘭公に執着していた。
歌舞伎など見向きもしなかった坂田が何故か蘭公を映画化したい、と言い出したのだ。公演の最中、客席で坂田の狼狽する様子を目撃したライターは心配になる。坂田は赤姫が板の上に登場した途端、取り乱した。
蘭公は『鳴神』の雲の絶間姫を演じている。絶間姫は代表的な赤姫役だ。
そして劇場で、赤姫の衣裳が盗まれる事件が起きる。語り手は坂田の犯行ではないかと疑い、坂田の身辺に探りを入れるが…

歌舞伎を扱うのは「獣林寺妖変」に引き続いてのことだが、明らかに熱量が下がった気がする。
学士=カレッジ俳優たちの盛衰という、いわば身内の悲劇を目の当たりにしていた赤江ならではのエモーショナルな破滅劇が「獣林寺」ならば、こちらは、「殺し蜜狂い蜜」で導入した一人称を使いながら、一歩引いたクールな作風とでも言えばいいのだろうか。
手筋で書いた作品なのかもしれない。小説を発表するようになって5作目なのに、小さくまとまっている。アンソロジーにも採られず、単行本の文庫化以外の再録がないのも仕方あるまい。
中間小説誌でデビューして、最初の頃は「必要以上にセクシュアルな場面」(「インタビュー われは海の子、虚空の子」《幻想文学》57号)があったと言うが、エロスの要素を抜きにして赤江の文学は語れないし、本作でも、のちに夫婦となる男女がティーンエイジャーの時に、妻の姉の情事を目撃したことが、現在の事件の遠因になるという展開である。
人物の掘り下げも出来ていない。ただの歌舞伎衣裳フェチの窃盗犯の話になってしまっている。衣裳をおっ被せて妻を…とか、ただの『毛皮のヴィーナス』譚でしかない。
紙幅のせいにしてはいけないが、そもそも、蘭公の屋号なども記されず、小説の設定自体があたや疎かである。「獣林寺」の時のこうるさい位の設定に比べ、簡単に済ませている。
肉体を以て「魔」を生み出すはずの蘭公も、単なる好青年としか描かれず、あくまで物語の主人公は赤姫の衣裳だと言わんばかり。
ならばもっと赤姫の衣裳に宿る魔を描けばいいではないか、と思うが、それ以上に作者の筆は衰退する映画業界への恨み言に傾いてゆく。作者自身、映画監督になる夢を抱いて芸術学部の門をくぐったのだ。自主映画の製作で借金を抱えて破滅して行く坂田は、テレビに押されて斜陽となった映画界の姿そのものだ。
追い打ちをかけるように、語り手が制作に関わった蘭公のテレビ・ドキュメンタリーが放映される。映画とテレビと歌舞伎の三角関係の物語だった。
今回は引用したいほどの箇所もないので、引用なしです。何が足りないって、圧倒的に枚数が足りないのだ。おそらく、それまでの作品は原稿用紙100枚前後の、中編と言って良い分量だったが、「赤姫」は物語の入口で終わってしまった感が強い。いちおう、謎の呈示と謎解きはあるのだが駆け足で、お得意の情念の爆発が見られない。
中間小説誌の規定の依頼枚数で書くとこうなった、と言うべきか。残念ながら、赤江の作品は今後、乱造の時代が来て、このような短めの作品が増えてしまう。それにつれて、単行本未収録の作品もちらほら出て来る。
短い枚数でも「ひとふでがき」の美しさを身に付けるのは、もう少し先のことだ。過渡期の作品なので、高い評価は難しい。
『罪喰い』 1974.3. 講談社
『罪喰い』 1977.6. 講談社文庫
『罪喰い』 2016.8. 小学館P+Dブックス
