ゲイ読み赤江瀑160「艶刀忌」
◯ 「艶刀忌」 《オール讀物》 1984年2月号
赤江は数多くの単行本を文藝春秋から上梓(11冊は最多)しているが、その割に文春の大衆小説誌の看板である《オール讀物》に発表作が少ないことは以前も述べた。
雑誌ではなく出版部のほうに親しい編集者でもいたのだろう、とその時も憶測したが、あながち外れでもなさそうだ。本作で80年代の文春の小説誌への寄稿はオシマイとなる。7年後の91年に一度きり「眠る劇場」を書いているがその後は梨のつぶて。
本作から始まる1984年の赤江は、極端に作品数が少ない。長編含め5作しか書いていない。それまでは、年間10作以上を10年もっとキープしていたのに、この前年8作(短編だけである)とペースを落とし、1984年に至ってガクンと数を減らした。寄稿する雑誌も数を絞りつつある。
おそらくは、長年の多作を自律しようとしたのか、それと、1985〜86年に集中して、謡曲を下敷きにした中編連作の意欲作〈惑星たちの舞曲〉(『遠臣たちの翼』)を発表するのでその影響も考えられる。
下世話な話をすると、この頃、「オイディプスの刃」の映画化が決まり、文庫も点数を増やしたので、齷齪と雑誌に作品を書かなくても良くなったのかもしれない。いや、そんなお財布の状況まで考えて論じるのは赤江には相応しくないけど、孤高耽美の作家だっておまんま食わねえ訳にゃいかないものね。
大戦中、戦時少国民だった赤江瀑には、戦後処理の方法にも異論があったと思われる。国民を盾にしておいていざ戦争に負けると、何一つ国民のことを守ってくれなかった国体、軍部、憲兵、国家権力。そこに土足で上がり込んで踏み躙る占領軍GHQ。
そんな暴虐の一端が刀剣狩りだとすると、のちに愛刀家となり小説をものした赤江からすると、腑の煮え繰り返るような思いだっただろう。
今回もまた「永仁五年三月の刀」の時同様、参考文献として柴田光男と大河内常平の『趣味の日本刀』(雄山閣出版)が文末に挙げられている。
戦争で全てを失った女の思いがけない身の内の執念が、一本の刀の光に炙り出される。
祝子は三味線芸者で生計を得ている老女。遠い昔には人並みの暮らしもしていたが、広島の実家もM県の嫁入り先も戦争で皆殺しにされ、夫は戦死。それからは一人で生きてきた。
嫁入り先の矢吹家に代々伝わる名刀があった。越前守助広の銘を持つ美術館クラスの逸品だ。しかしそれも、進駐軍の刀剣禁止令で没収されて行方知れずになってしまった。
進駐軍の刀狩りは「永仁五年三月の刀」でも物語に取り入れられている。その時は、没収された『螢丸國俊』は海に沈められた、とも語られているが…
その刀は、祝子の婚礼の初夜の床飾りだった。魔を切るための守護の破魔刀。一代で一回しか飾られない貴重なもの。
「わたしがね、その刀について知ってる知識は、それだけなの。それと、『越前守助広』という銘を教わっただけ」
と、祝子は、言った。
「だから、手放してはいけない刀だとは思ったわよ。でも、日本が敗けたんだもの。刀は持てなくなったんだもの。仕方ないでしょ。それに……主人も、家も、家族も、みんな、いなくなってしまったんだもの」
「……破魔じゃなくて……別の方を、切ったのよね」
かぼそく、甲高い音が、咽笛をふるわせて祝子の口から洩れた。
長いこと、その声は泣きやまなかった。
泣きつきるまで、祝子自身も、その声をもてあました。
歳月を飛び越えて、突然、焼け跡の蔵の匂いが押し寄せてきた。その中で泣き崩れている若い稚い頃の女身が、いまこの五体に蘇ったかと、うろたえた。
祝子にとってのその刀は、新婚の熱い夜、自分と夫の郁光の抱擁を見守ってくれた守り刀だった。繰り返し何度も抱きすくめ求め尽くし、歓楽に咽びそして愛する人は眠りに落ち、彼女ひとりがその刀と向かい合った。その刀身をつくづくと眺めたのだった。
そんな刀を無情にも、進駐軍が没収していった。
昭和24年になってGHQと日本政府は刀剣所持許可証の全国審査を開始した。彼女は失われてしまった婚家の形見を取り戻したくて、蔵に残されていた押形(刀の拓本)を持って警察に届け出た。
しかし、助広の行方は杳として知れなかった。婚家との縁もそこで尽きたように思えた。
それが何十年もの歳月を経て、突然、刀剣保存協会から発見の知らせの手紙が来た。刀の買い主側から八百万円で改めて買い取りたいとの提案だった。美術館に私財を投じて貴重なコレクションを寄贈している篤志家らしい。
とにかく会ってみようと出向いた祝子は、刀の買い主大宮の代理人だという息子の薫国に会った。
薫国は、戦死した亡き夫・郁光に瓜二つだった。
祝子は今の芸者仕事でなんとか暮らして行けるからと金銭的な申し出を断り、刀はそのまま大宮家の所有となった。
それからというもの祝子は、その刀が展示された美術館に通うようになった。だが、刀は見ない。薫国にも会わない。そのまま踵を返すばかり。
(六十の老いの坂をもう越えきった三味線芸者。おい。おまえ、なに血迷ってやがるんだい)
初夜の床の間の日本刀が、眉間の先へ迫ってくる。濤瀾の刃文の濡れた光が躍る。郁光の軽い寝息が、いつの間にか薫国の息音に変る。夜着をはだけてゆっくりと薫国が起きあがる。炎色に視界が燃え立ちはじめてくる。
この毎日が、わからなくなった。
美術館の林に続く坂道を、ある日並んでおりてきた薫国と、あどけない肩を触れ合っていた少女なような女の子。
よく似合った二人連れだった。
なぜ、あの二人を見ると、心がふるえてくるのだろう。自分が自分でなくなるような気がしてくるのが、わからなかった。
見つめていると、祝子は絶えず、いまにも自分がなにかをしでかしそうな気がしてくるのだ。なにを? それがわからなかった。
いや、二人を見ていなくても、その感じは不意に起こった。いまでは、もうどこにいても、みさかいなくやってくる。
座敷で三味線を弾いていて、ふっと身内に刃物を呑んでいるような恐怖におびえることがあった。弾く手はとめはしないけれど、しきりに手はその刃をなでまわしているようだった。
どうしたというのだろう。
(おい。おまえ、幾つになったんだい)
赤江にはこの十三年後にも「刃艶」という作品を書いている。エロティシズムの憑座としての刀。刀に宿るなにものか。それが作家の想像力をいたく刺激するのだろう。
『八雲が殺した』 1984.6. 文藝春秋
『八雲が殺した』 1987.5. 文春文庫
『名刀伝 傑作日本刀小説アンソロジー2』 2015.11. ハルキ文庫(細谷正充・編)
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