「わかる」の手触りは、脳の“圧縮”が生む
そして抽象は、誰の中にも既にある
はじめに:私は「わかる」を“感覚”として扱っている
「わかる/わからない」って、よく考えると不思議だ。
私たちは普段、それを説明できているから判断しているわけじゃない。むしろ先に、
なんか腑に落ちた
つながった感じがする
予測できそう
手触りがある
みたいな“感覚”が立ち上がって、そのあとに言語化が追いつくことが多い。
ここで私はひとつ仮説を置く。
「わかる」は、脳内モデルがうまく圧縮できたときに生まれる“手触り”である。
1. そもそも脳は圧縮装置である
脳は、体験をそのまま全部保存できない。
容量も注意も時間も足りないから、必然的にこうする。
体験(生データ)を
何らかの規則・パターンにして
次の予測に使える形にまとめる
この「規則」が、私には関数みたいに見える。
経験 → 圧縮 → 関数化(モデル化) → 予測
つまり私たちは、気づいていようがいまいが、毎日ずっと“圧縮”している。
2. 「わかる」とは、圧縮が成功した合図かもしれない
圧縮が成功すると何が起きるか。
情報がまとまって軽くなる
次の挙動がだいたい予測できる
例が変わっても転用できる
迷子になりにくくなる
この状態に入ったとき、主観として現れるのが「わかる」っぽい。
逆に「わからない」は、圧縮が失敗している状態だ。
どこが重要か分からない
ルールが抽出できない
予測が立たない
その場しのぎの記憶に頼るしかない
だから私は、「わかる」を説明能力ではなく、まずは内部状態の手触りとして扱っている。
3. どんな人もすでに“抽象”を持っている(言語化できるかは別)
ここで面白いのは、
抽象は、賢い人だけが持つものではない
ということだと思う。
誰でも生活しているだけで経験を圧縮している。
つまり誰でも「暗黙の関数」を持っている。
この状況ではこう振る舞えばいい
これは危ない/これは安心
この人にはこう言うと通る
みたいな判断は、言語化できなくても動く。
それはもう抽象であり、モデルであり、関数だ。
違いがあるとしたらおそらく、
その抽象を言語にして点検できるか
例外(残りかす)を捨てずに持てるか
あたりだ。
4. 子どもが“素直”に見えるのは、関数がまだ固まりきっていないから
子どもが素直に見えるのは、性格というより構造の話として
関数(世界のルール)がまだ固定されていない
更新が速い
例外を飲み込みやすい
体験がそのまま残りやすい
からだと思う。
大人は、関数が強くなる。
強い関数は便利だけど、更新コストが上がる。
便利さ(省エネ)と引き換えに、更新のしにくさが増える。
だから大人は頑固に見えるし、子どもは柔らかく見える。
5. 問題は「偏った関数」が“正解”として固定されること
圧縮は強力だけど、危険でもある。
限られた経験から作った関数は、偏る。
たとえば少ないデータで、
「世の中はこうだ」「人間はこうだ」と決めてしまう。
しかも脳は省エネしたいから、その関数を使い続ける。
道ができるとその道ばかり通る。
そして怖いのはここだ。
わかってしまうと、
何を発端に迷い、どう寄り道したかが消える。
「迷ったこと」自体を忘れる。
結果、関数が固定され、反例に気づけなくなる。
6. 精度が上がる人は「関数に乗らない経験」を保持できる
ここで私が気づいたのは、
精度が上がる人は、関数に乗らない経験(例外・違和感)を捨てない
ということだ。
私はこれを「残差(Residual)」と呼びたい。
気持ち悪い
違和感
なんか引っかかる
言語化できないけど“ある”
この残差は、圧縮しきれなかった情報だ。
残差を捨てると、早く“わかった気”になれる。
でもモデルの歪みが残る。
残差を保持すると、気持ち悪い。
でも後から「あれは重要だった」が起きて、関数が更新される。
7. メモリが多い人の強さは「容量」より“仕組み”かもしれない
最初私はこう思った。
圧縮しないでもっていられるメモリがないと、偏った関数が正になってしまうのでは?
今もこれは部分的に正しいと思う。
でも、より本質は「容量」よりも
反例を保存できる
違和感を保留できる
自分の関数を疑える
外部メモリ(ノートや他者)に預けられる
という保持の仕組みの方かもしれない。
つまり「メモリが多い人」ではなく、
「残差を消さない仕組みを持つ人」が強い。
8. 実践:残差を消さないための“迷子ログ”
ここまで書いて、私が一番使えると思った方法はこれだ。
迷子ログ(理解した直後に3行で残す)
何が分からなかった?
何を誤解してた?
何が決め手でつながった?
理解すると寄り道が消える。
だから「理解の直後」にしか残せない情報がある。
数学も同じで、完成した解答より、解いている途中の手つきが学びになることがある。
哲学も同じで、結論より「混乱の扱い方」が価値になる。
おわりに:私は「わかる」を“圧縮の手触り”として扱いたい
私が今いちばん面白いと思っているのはここだ。
人間は誰でも抽象を持っている
「わかる」は圧縮が成功した手触りかもしれない
そして成長は、残差を捨てずに関数を更新することかもしれない
だから私は今後、「結論」だけを書くよりも
迷ったログ
違和感の残差
どこで接続したか
も一緒に残していきたい。
それが誰かの“採用基準”の種になったら嬉しいし、
何より自分の関数の精度が上がる気がしている。
