WPA SEWING ROOM
NOT TO BE SOLD
売り物に非ずとは?


ニューディール政策の一環である「WPA」
世界恐慌の煽りを受けていた社会の中、ルーズベルトはラジオでの選挙演説で「大統領に就任したら、1年以内に恐慌前の物価水準に戻す」と宣言した。1933年3月4日に大統領に就任すると、ルーズベルトは1933年に大統領に就任後、ただちに大胆な金融緩和を行い矢継ぎ早に景気回復や雇用確保の新政策を制定させた。

CCC(市民保全部隊)青少年の大規模雇用
NIRA(全国産業復興法)による労働時間の短縮や最低賃金の確保
AAA(農業調整法)による農家の生産量の調整
さらに、1935年には第二次ニューディールとして、失業者への手当給付・生活保護から失業者の雇用へという転換を行い、失業者の大量雇用と公共施設建設や公共事業を全米に広げた。

この政策がWPA(公共事業促進局)である。WPAがその活動を要約した1940年のポスターには、道路、橋、ダム、上下水道、庁舎、学校、レクリエーション施設、体育施設、空港などが完成しており、縫製や給食なども行われている。

1940年、WPAは政策変更を行い、失業者に対して建設作業ではなく工場労働に就けるよう職業訓練を開始した。そして、第二次世界大戦参戦によって軍需生産で失業者が激減したため、1943年に連邦議会はWPAを解散させた。
WPA の大規模なプログラムのなかでは、労働に従事するブルーカラーのワークウエアが製造された。

それは「SEWING ROOM」と呼ばれる縫製室で作られ、衣料には「Made by W.P.A SEWING ROOMS, NOT TO BE SOLD」(雇用促進局縫製室製品、売り物に非ず)と記載されたタグが付けられた。
縫製室のあった州では各州で、裁縫師たちは自分の仕事に大きな誇りを持ち「W.P.A」のイニシャルは「We Patch Anything」(なんでも縫う)の略であると宣言。時には軍隊の衣料を修理し、アレンジして新しい衣服を作り、それらは「WPA」の労働者が着用した。



そんな「WPA」の衣料は、デザインと縫製仕様が実に興味深い。デザインのベースはミリタリーワークウエアで、多くのアレンジが施されていること。縫製仕様は「SEWING ROOM」の名の通り、当時ワークウエアで主流だった「還縫い」はなく「本縫い」のみで作られていることである。
第二次世界大戦によって工場に軍需が生まれるまでの、牧歌的なぬくもりがそこにはある。
