いつもの縁側に座って
「広い庭のある家がほしい」
結婚して十数年。転勤族だった私達は10年ほど前に地元に戻り、念願のマイホームを建てた。田舎ならではの広い土地。広い庭。
「広い庭は手入れが大変よ」
そんな母の言葉を本当の意味で思い知ったのは、父が亡くなった後だった。
家が完成して間もなく、夫は単身赴任となり、真新しい家に取り残された私と子ども達。暮らし始めてわかる一軒家の管理の大変さ。大分手が掛からなくなった当時小学生の育児と言えども、仕事、家事、習い事の送迎、役員等々、息つく暇もない毎日。憧れの広い庭まで手が回らない。
雑草は次々と生えるし、花は手入れをしないと美しく咲いてくれない。もともと寒暖に異常に弱い私は、屋外が嫌いで、汚いことをするのが嫌いで、虫が嫌いで、庭の手入れなんて出来るはずもなかった。そもそも、どこからどう手を付けていいのかすらわからない。
そんな時、救世主が現れた。
私の実父だ。
父は働き者で、器用で、物知りで、山川海でこそ漲る力を発揮するような人。小刀一本あれば、未開の地でも生きていけるような人だった。
そんな父が「庭を持て余しているなら畑を作ったら?」と提案してくれた。
そんなことできるの? だってこの庭は運動場のような真砂土。固く乾いた更地。こんな所で野菜が作れるの? そもそもプランター菜園すらしたことのない私が畑の管理なんて出来るの?
***
早速、畑作りは始まった。もう一度言うが、ここは何もない更地だ。コンクリートのように固まった地盤だ。
父は近くない距離を毎日のように通い、小さな畑を作り上げた。元測量士の父。ミリ単位まで計ったのかというくらい、きっちりと区画整備された畑が出来上がった。ついでに花壇も。

様々な道具を持って来ては、庭を開拓して帰っていく。空っぽだった倉庫には棚が出来、農機具や父お手製の道具が並べられていく。
家の鍵も渡していたが家にはほとんど入らず、車から庭へ直行。綺麗な家を泥で汚してはいけないからと休憩も外でする。家にはトイレに入るぐらいだった。
私は手伝うこともほとんどなく、ただ時々窓の外を覗いては、出来上がっていく庭を眺めていた。
暑い日も寒い日も、父と母(父の補助)は毎日のように我が家に通い、せっせと庭作業をしてくれた。
私がした事といえば、仕事が休みの日に水分補給のお茶出しをしたり、暑い日に冷たいそうめんを準備したりするくらいだった。
お昼になると小さな畑が見える縁側で軽食を取りながら、畑の話を聞く。今年はミニトマトの出来がいいとか、ともりが好きなサンチュ植えてみたとか、散歩していたらレースみたいな可愛い花があって種を分けてもらえたから植えておいたとか。
気がつけば何もなかった花壇も季節折々に可愛い花を咲かせていた。毎年、種類も増えていく。
庭に出れば新鮮な無農薬野菜が採れる幸せ。そして父の作る野菜は、本当に美しく、美味しかった。野菜嫌いだった我が子が「じぃじの野菜」だけは食べた。

夏は、オクラにキュウリにトマトにナスにピーマン。冬は、大根にカブにブロッコリーに小松菜にチンゲン菜にホウレン草。毎回、変わり種の野菜もあって、父のユーモアが光った。「アレ食べてみたか? 試しに作ってみたんよ」
私は(時々)水やりをして、野菜を収穫するのみ。それなのに「ともりの野菜はうまいなぁ」と言う。私は全然手を掛けていないのに。
父は昔からそうだ。自分の事より私の事、母の事。暑い中汗だくになって作業しているのは自分なのに、ちょっと私が庭に出ると「暑くないか?」と、パラソルを立て椅子を準備し(おまけに座布団まで)日陰を作って座らせる。そして自分は固いコンクリートブロックを引き寄せ、腰を下ろすのだ。
冷たいお茶を渡すと「タイミングええなぁ。ちょうどお茶が欲しかったんよ」と嬉しそうに飲み干す。
野菜の苗植え(出来上がった畝に穴を開けて入れるだけ)を子どもと一緒に体験がてらしていたら、「ともりは何をやらせても要領がええな」と絶賛する。
「誰でも出来る作業をしているアラフォーのおばさんの一体何をそんなに褒めることが出来るのか」ついでに「なぜこんなおばさんにいつまでも可愛いと言えるのか」。気恥ずかしくなるが、父は本気で言っているので黙って受け入れる。私は幾つになっても、父にとっては「愛おしい可愛い娘」らしかった。
***
自然を愛し、家族を愛した父。日曜大工が好きで大抵のものは作り、何でも修理してくれた父。釣りバカで山草が好きで、体は大きくないのに力が強くて、身軽で、痩せの大食いで、病気知らずだった父。
そんな健康で働き者の父が病に侵された。肺癌だった。
病院嫌いな父は、癌に侵されても「治療はしない」と頑なだった。
昔から「太く短く生きたい」「病院のベッドで生き長らえるのは嫌だ」と意思表示をして来た父。家族としても父の意思はきちんと理解していた。
それでも。
「少しでも可能性があるのなら」と家族は想う。治療を受けてほしいとみんなで説得した。そして手術も放射線治療も薬物治療も全て受けることになった。——でも癌はいつまでも居座った。
何かをしていないと落ち着かないような人の身体が少しずつ不自由になっていく。大好きな釣りにも山にも行けなくなって、副作用のせいで外出も難しくなっていった。
好きな事を一つ、また一つと奪われる。如何ほど辛いことだったろう。それでも、父はいつも笑顔で前向きだった。
「ともりの家になら行ける」とギリギリまで我が家に通い、庭作業をしてくれた。力持ちだった父の鍬を振る勢いが弱まり、早朝から夕方までほとんど休みなく作業していた父が座って休憩することが多くなった。
「無理しないでよ?」
「うん。しとらんよ。肺が半分ないなったけん、すぐに息が切れるんよ。あーしんどっ」
そう笑って、少し休憩したらまた作業を再開する。
「大丈夫なん? 無理しとんやないんかな?」母に小声で伝える。母も心配なのは同じ。それでも「お父さんは好きでやりよるけん。畑仕事好きやし、ともりを喜ばせたいんよ。好きなこと全部奪うわけにはいかんやろ?」と心配そうに見守っていた。
「のんびりやろうよ」
休憩タイムを増やし、縁側でお茶を飲み、お菓子をつまむ。ちょうどその頃、未知のウィルスが蔓延している時期で、私も休職していた。
人と会わなくても、家族で畑を耕して、野菜を収穫して、談笑できる。青空の下「おいしいね」と縁側でおにぎりを食べられる幸せ。

縁側に座って父が鍬を振るのを眺めては、時々交代してみる。病気の父より力がなく、すぐ選手交代をしようとするダメダメな私。
「休憩にもならんな」と母にツッコまれ、笑って鍬を受け取る父。
でもやはり少し作業をすると「ちょっと休憩」と指定席のコンクリートブロックに腰を下ろす。
「情けないのぉ……。すぐに息が上がる……」
肩で息をする父を見て、息が詰まりそうになる。「無理しないで……」と暗く言いかけてやめる。
代わりに「肺が半分しかないけんな~」と悪戯っぽく言ってやる。すると父はハハハと笑う。「でも私よりはまだまだイケてるよ」と言うと、「ほんまや」と明石家さんまさん風に返してくれる。
癌が骨に転移して車いす生活になるまで、父は我が家に通い続けた。
我が家に来られなくなった後も、スマートフォンの使い方を伝授して、動画電話で畑の様子を見せながらアドバイスを受けつつ、野菜を育てた。
やがて自宅での緩和治療が始まり、二つ目の季節が変わる頃、ついに声を聞くことも叶わなくなった。永久に——。
***
現在は母にアドバイスをもらいながら、畑を続けている。あまりにも大変で畑を潰すことも考えたが、どうしても出来なかった。
夫が帰って来る事になり、父がやっていた力仕事を託す。でも父の作業姿を見ていない夫に、父のしていた作業を言葉で伝えるのは、なかなか至難の業だった。それにどんなに父を真似てみても上手く出来ない。同じようにやっているつもりなのに何かが違う。情報もスキルも足りない。
庭の木も花も野菜も元気がない。
野菜が大きくならない。
美しく育たない。
車の運転が出来ない母も我が家に来る回数が激減した。動画電話で畑の映像を見せながら、母にアドバイスを乞う。
「何で前みたいに上手く野菜が出来んのやろ?」
「お父さん、見えない所で手を変え品を変え、肥料やら土やら、手を入れて育ててたからねぇ」
「そうなの?」
「そりゃそうよ。キンカンの木だって、レモンの木だって元気やったやろ? 毎日綺麗に草を引いて肥料やって、大事に大事にお世話してたんやから。同じに出来るわけないやん」
電話を切り、畑に水をやり、縁側に座って畑を見つめる。10月中旬に植えた大根やカブや青菜が15㎝程伸び、風に揺れている。
今夏もそれなりに夏野菜は実ったが、相変わらず父ような立派な野菜は作れなかった。
端に追いやられた父の指定席を見やる。何となく座ってみた。想像通り固く、冷たく、ブロックの穴の嫌な感触がお尻に伝わる。
***
「こっちに来て座りなよ。お尻痛いやろ?」
畝の横に置いたコンクリートブロック。そこが父の指定席だ。
「ここでかまんかまん。またすぐ作業するけん」
言い終わらないうちにまた作業を始める父。父に近寄ってみる。
「何してるの?」
「ん? 継ぎ目から出てる葉っぱを取ってるんよ」
「なんで?」
「いらん葉っぱに栄養を取られるけんな。それにここからまた枝が出てくるんよ。でも枝は三つまで。それ以上は切り落とさないかん」
「えー。これ花が咲いてるから、実になるやん。なのに切るん?」
「惜しい気持ちを我慢して切るんよ。ごめんって言いながらな。ごめんっ!」
そう言って、父はナスの枝を切り落とした。
「もったいない~。ナスさんごめんねぇ~」
私が悲しい声でそう言うと父が切なそうに笑う。
***
父から直接受けた数少ないアドバイス。でもどうやったって、父のように思いきって枝は切れないし、肥料の量も回数も手入れの方法もわからない。
「もっと色々と教わっておけば良かった。もっと一緒に作業すれば良かった」そう何度も後悔した。
でもね、私が外に出れば、あれやこれやと私の事ばかり気に掛けて作業にならなかったでしょう?
「だから仕方なく全部任せてたんだってば。お父さんは騎士で私は姫だもんね?」
そう言ったら、きっと可笑しそうに笑うんだろうね。
***
今日も縁側に座ってのんびりと畑を眺める。するとあの時の笑った顔も呆れた顔も照れた顔も嬉しそうな顔も、鮮明に蘇るんだ。
並々ならぬ苦労と努力をして、社会的に立派な椅子に座っていた父が、現役引退後、青空の下うちの庭で、座り心地の悪いブロックに座っている。それも気持ち良さそうに。
昔から「ともりは父のコピーだ」と周りから言われる程に、趣味嗜好がぴったり合った私達父娘は、とても馬が合い、子どもの頃から様々な分野の色々な話をしてきた。「恋愛」分野以外のね。
ねぇお父さん。私ね、お父さんの事務所を改装して夢を叶えたよ。あとね、子どもが私の母校を受験するんだってさ。あとね、お父さんの名前の一字をもらった子は、とっくに私の身長を抜かしたよ。あとね、私、小説を書いたよ。お父さんの名前を文字ったペンネームなんだよ?
ねぇお父さん。
私、頑張れてるかな?
いつもみたいに褒めてくれる?
たくさん話したいことがあるよ。
たくさん聞きたいことがあるよ。
ねぇ、聞いてよ——。

今年も咲いたよ。
お父さんが見つけてきた可愛い花。
レースみたいな花。
オルレアの花――。
了
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