情報は完全に民主化されたはずだった
こんにちは!皆さん。
今日は「地方における情報格差とは何か」について、考えてみたいと思います。
情報格差、あるいはデジタルディバイドという言葉を聞くと、なんとなく一昔前の、インターネットが普及し始めた頃の話のように感じる人も多いかもしれません。
今の時代は違います。
インターネットがどこにでもあります。
誰もがスマートフォンを持っています。
SNSを開けば世界中のニュースが流れてきます。
YouTubeには無限に動画がアップロードされています。
そして今は、ChatGPTのような生成AIまでが手のひらにあります。
東京のど真ん中にいても、北海道の山奥にいても、長崎の海辺にいても、回線さえ繋がっていれば、まったく同じ情報にアクセスできます。
ニューヨークでどんなファッションが流行っているのかも、検索すれば一瞬で分かります。
パリの三つ星レストランの最新メニューも、鮮明な写真で見ることができます。
ハーバード大学やスタンフォード大学の優秀な教授の講義だって、翻訳付きで自宅のソファに寝転がりながら見ることができます。
冷静に考えると、本当にものすごい時代です。
ほんの20年前を振り返れば、ほとんどSF映画のような世界を私たちは生きています。
昔は「情報を持っていること」自体に、とてつもない価値がありました。
専門的な知識を得るためには、高い専門誌を買ったり、その道に詳しい専門家に直接会いに行ったり、実際に海外まで現地へ足を運んだりしなければなりませんでした。
時間もお金も、体力も必要でした。
ところが今は、その多くがスマートフォンの薄い画面の中に収まっています。
つまり、情報の入口は完全に民主化されました。
それなら、地方と都市の情報格差はもうなくなったのでしょうか。
どこに住んでいても同じだけのチャンスがあり、同じように世界を見渡せるようになったのでしょうか。
むしろ「少し違う種類のこと」が起き始めているのではないかと考えています。
情報が少ないから格差が生まれる時代は終わりました。
情報が多すぎるからこそ、そしてその届けられ方が賢すぎるからこそ、新たな別の格差が静かに生まれているのです。
ここが、とても興味深く、少しだけ怖いところでもあります。
#情報の民主化 #デジタルディバイドの現在 #地方と都市の差 #AI時代の情報収集 #インターネットの恩恵
「知りたいこと」しか知らなくなっている
インターネットが登場したばかりの頃、多くの人が「これで世界中のありとあらゆる情報につながれる」と期待しました。
もちろん、その夢は実現しました。
ただし、世界中の情報につながれるシステムがあることと、人間自身が実際に世界中の情報を見ていることは、まったく別の話です。
胸に手を当てて考えてみると分かるのですが、私たちは意外と、自分が興味のあるものしか見ていません。
野球が好きな人は、毎日野球のニュースを見ます。
ワインが好きな人は、ワインの産地や新しい銘柄の記事ばかりを追いかけます。
投資に興味がある人は、株価の解説動画を熱心に見ます。
猫が好きな人のスマートフォンは、気がつけば可愛い猫の動画だらけになります。
これはこれで、とても平和で幸せなことです。
好きなものに囲まれているわけですから、何のストレスもありません。
しかし、問題はここからです。
皆さんが毎日見ているYouTubeを例にすると、とても分かりやすいと思います。
YouTubeのホーム画面は、あなた専用にカスタマイズされた場所です。
システムが視聴履歴や検索履歴を分析して、「この人はこういう動画が好きだろう」というものを絶え間なくおすすめしてくれます。
つまり、ワインの動画を何本か見ると、次から次へと新しいワインの動画が出てきます。
NBAのハイライトを見ると、翌日もバスケットボールの動画が並びます。
料理のレシピ動画を見ると、プロの料理人のチャンネルがおすすめされます。
本当に便利です。
恐ろしいくらいに便利です。
夜疲れてYouTubeを開いた瞬間に、
「自分の今の気分をよく分かっているな」
と感心してしまうことがあります。
まるで自分よりも、自分の好みを深く理解している優秀な秘書がいるかのようです。
ただ、その圧倒的な便利さには、どうしても避けられない一つの弱点があります。
それは、「自分の興味から遠いもの」に、極端に出会いにくくなるということです。
#パーソナライズ #推薦アルゴリズム #情報収集の偏り #興味関心 #YouTubeのおすすめ機能
エコーチェンバーとフィルターバブルという見えない壁
ここで少しだけ、専門用語について触れさせてください。
「エコーチェンバー」という言葉があります。
これをものすごくざっくり言うと、自分と似た考えを持つ人たちばかりの中にいることで、同じような意見が何度も何度も反響して、自分の考えがどんどん強固になっていく状態のことです。
閉ざされた洞窟の中で大きな声を出すと、
「そうだ」
「そうだ」
「そうだ」
と、自分の声がこだまして返ってくるようなイメージです。
周りの人が自分に賛同してくれているように錯覚してしまうので、少し怖い現象ですよね。
似たような言葉に「フィルターバブル」というものもあります。
こちらは、プラットフォームのアルゴリズムなどによって、自分の好みに合う情報ばかりが優先的に表示されることで、それ以外の情報がシャットアウトされ、見えない泡(バブル)の中に包まれてしまう状態を指します。
厳密に言えばこの二つは少し違う現象ですが、どちらにも共通する重要なポイントがあります。
それは、「自分が見えている世界が、世界のすべてだ」と錯覚してしまいやすいことです。
この問題を解決するために、推薦システムを開発する人たちも色々な工夫をしています。
利用者の過去の行動に近いものばかりを提示し続けると、未知のものとの偶然の出会いが減ってしまうため、どうやってシステムの中に「セレンディピティ」を意図的に作り出すかという研究が行われているのです。
セレンディピティ。
また少し難しいカタカナが出てきました。
これをものすごく簡単に言うと、
「まったく探していなかったのに、思いがけず面白いものに出会ってしまった」
という幸運な偶然のことです。
これからの時代、この「出会ってしまった」という感覚が、生きていく上で信じられないくらい重要になると思っています。
#エコーチェンバー現象 #フィルターバブル #セレンディピティ #確証バイアス #情報の偏食
昔は「街そのもの」がアルゴリズムでした
インターネットがなかった時代のことを、少しだけ想像してみてください。
たとえば、昔の大きな本屋です。
今夜の夕食のために、料理のレシピ本を買いに行きました。
目的の本は見つかりましたが、ふと隣の棚を見ると、たまたま美しい写真が表紙の旅行本が平積みされていて、なんとなく気になって手に取ります。
パラパラとめくると、そこにはイタリアの南にある、名前も知らない小さな村の写真が載っています。
「へえ、世界にはこんな素敵な場所があるんだ」
と、心を動かされます。
そしてその数年後、その写真が忘れられなくて、本当にイタリアへ旅行することになるかもしれません。
これって、よく考えると不思議なことです。
最初から、
「イタリアの人口3000人の村について詳しく調べよう」
なんて思って本屋に行ったわけではありません。
完全に偶然です。
昔のCDショップも同じでした。
好きなアーティストの新しいCDを買いに行ったのに、店内でたまたま知らない曲が流れていました。
「これ、誰が歌っているんだろう。すごくいいな」
と思って店員さんに聞き、そこからまったく知らなかったジャンルの音楽にのめり込むことがあります。
行きつけの居酒屋でも同じようなことが起こります。
カウンターでたまたま隣に座った人と少し話してみたら、自分とはまったく違う業界で働いている人でした。
その人の仕事の話がとてつもなく面白くて、自分の知らない新しい世界があることを知ります。
これらの出来事には、一つの明確な共通点があります。
自分から検索していません。
AIにおすすめもされていません。
自分で意図して選んだわけでもありません。
情報の方から、勝手に向こうから飛び込んできたのです。
考えてみれば、昔の街にはこういう「ノイズ」のような出来事がたくさんありました。
駅へ向かって歩きます。
満員の電車に乗ります。
大きな書店へ入ります。
人があふれる百貨店を歩きます。
映画館のロビーでポスターを見ます。
ざわついた飲食店へ入ります。
色々な人がいる会社へ行きます。
思いがけない人に会います。
そのすべての過程で、自分にとって興味のない情報や、意識していなかった看板、他人の会話の切れ端までが、大量に目と耳に入ってきます。
つまり、昔は「街」という空間そのものが、巨大で少しおせっかいな情報提供装置だったのです。
#偶然の出会い #オフラインの価値 #街歩きの魅力 #ノイズの重要性 #予定不調和
地方の格差は「検索できるかどうか」ではありません
ここから、いよいよ地方の話につながっていきます。
最近、こんな意見をよく耳にします。
「今はインターネットがどこでも繋がるんだから、地方に住んでいても情報格差なんて言い訳にすぎない」
半分は本当にその通りだと思います。
やる気さえあれば、いくらでも知識は手に入ります。
ただ、残り半分については、かなり大きな疑問を持っています。
なぜなら、確かに「検索して手に入る情報」については、都市も地方も格差は完全に縮まりました。
しかし、「検索する前の情報」については、まだ決定的な差が存在しているのではないかと思うからです。
人間という生き物は、自分が知らないものを検索することができません。
ここは、シンプルですがものすごく重要な事実です。
たとえば、「ナチュラルワイン」という言葉も、そういう製法があることも全く知らなかったとします。
その状態で、Googleを開いて、
「ナチュラルワイン 初心者 おすすめ」
と検索することは、物理的に不可能です。
存在を知らないのですから、問いを立てようがありません。
これは、どれだけ優秀な生成AIが相手でも同じことが言えます。
ChatGPTが世界中のあらゆる知識を持っていたとしても、その概念の存在すら知らなければ、適切なプロンプト(指示)を出すことができません。
つまり、現代の情報格差とは、
「答えを調べられる環境を持っているかどうか」
だけではありません。
「世の中にどんな問いが存在しているのかを、そもそも知っているかどうか」
という、問いのバリエーションの格差でもあるのです。
この違いは、人生を左右するくらいかなり大きいと考えています。
#検索の限界 #生成AIの活用法 #未知の知 #問いを立てる力 #AIリテラシー
地方では「偶然」の母数が少なくなりやすいという現実
もちろん、誤解しないでいただきたいのですが、地方にも素晴らしい情報は山ほどあります。
決して、地方を都市より下に置いて考えているわけではありません。
むしろ、その土地に根ざした一次情報に関しては、地方の方が圧倒的に強いです。
美味しい魚の見分け方なら、地元の漁師さんが一番よく知っています。
その土地の気候に合った野菜の育て方なら、農家さんが知っています。
地域の歴史や風土なら、そこで何十年も暮らしている高齢の方が、驚くほど生々しくて詳しい物語を持っています。
Googleでどれだけ検索しても絶対に出てこないような貴重な話が、地方には普通に転がっています。
これは、とんでもなく価値のある財産です。
ただし、地方での暮らしにはもう一つの側面もあります。
巨大都市の繁華街を歩いていると、嫌でも自分とは違う価値観に触れる回数が圧倒的に多くなります。
様々な国籍の人が歩いています。
見たこともないような奇抜なファッションの若者がいます。
何をしているのか分からない不思議な会社があります。
コンセプトが尖りすぎている新しい飲食店があります。
意味不明なデザインの巨大な広告があります。
聞いたことのない言語が飛び交っています。
カフェの隣の席では、自分とはまったく縁のないIT業界の人が、謎の専門用語で熱く語り合っています。
これらを、いちいち全部理解する必要はありません。
大切なのは、「自分とは違う世界がある」ということが、強制的に視界に入ってくるということです。
一方で地方では、当然ながら人口も少なく、商圏も小さくなります。
車社会であれば、移動はドア・ツー・ドアになりがちです。
公共交通機関の選択肢も限られます。
物理的に行ける場所も、新しく会える人も、週末に参加できるイベントの種類も、都市部に比べると少なくなる傾向があります。
すると、どうなるでしょうか。
自分の生活圏が、少しずつ固定されやすくなります。
毎日、家と職場を車で往復します。
いつもの品揃えのスーパーへ行きます。
いつもの店員のいるコンビニへ行きます。
職場のいつものメンバーと話します。
家に帰って、いつものようにスマートフォンを開きます。
するとそこでも、アルゴリズムが「いつもの興味」を丁寧に届けてくれます。
これは、考えてみるとかなり強力なループです。
リアルの生活圏も、限られた範囲で固定されています。
デジタルの生活圏も、自分の好みに最適化されています。
気がつけば、世界は信じられないくらい広いのに、自分の見ている範囲だけが、静かに、そして心地よく狭くなっていくことがあるのです。
#地方暮らしのリアル #価値観の多様性 #コミュニティの固定化 #都市と地方 #環境要因
情報格差は、少しずつ「行動格差」に変わっていきます
地方における情報格差について考えていて、一番懸念しているのはここです。
ただ知っているか知らないかという「情報の差」だけなら、実はそれほど大きな問題ではないかもしれません。
必要になった時に、後から調べればいいからです。
しかし、その情報の差は、長い時間をかけて少しずつ「行動の差」へと姿を変えていきます。
たとえば、東京で働いている同世代の友人が、思い切って転職したとします。
思いがけず年収が上がりました。
完全なリモートワークになりました。
空いた時間で、自分の得意なことを活かして副業も始めました。
その友人の周りを見渡すと、似たような働き方をしている人が何人もいます。
すると、その友人にとって、
「なるほど、世の中にはこういう働き方も普通にあるんだな」
ということが、当たり前の現実になります。
ところが、もし自分の周りに、そういう新しい働き方をしている人が一人もいなかったらどうでしょう。
インターネットのニュースやSNSで、そういう働き方があることを「知識」として知っていたとしても、
「本当にそんな都合のいいことができるのかな」
「一部の特別な才能がある人だけの話だろう」
と、心のどこかでブレーキをかけてしまいます。
知識として画面越しに知っていることと、目の前で生身の人間が実際にやっていることでは、説得力と現実感がまったく違います。
ここに、目に見えないかなり大きな壁があると思っています。
人は、頭の中の「可能性」だけでは、なかなか重い腰を上げて行動することができません。
「実際にそれをやってのけている人」を間近で見ることで初めて、
「あれ? もしかしたら自分にもできるかもしれない」
と、心が動くことがあるのです。
地方で働く若い人が、「いつか海外で働いてみたい」と密かに夢を持ったとします。
検索すれば、海外の情報はいくらでも出てきます。
ビザの取り方も、求人情報も調べられます。
海外で奮闘している日本人のVlog動画もたくさんあります。
でも、それだけではなかなか一歩を踏み出せません。
しかし、もし職場の先輩や知り合いに、実際に海外で働いた経験のある人が一人でもいたら、状況は一変します。
「実際どうやってツテを作って行ったんですか」
と直接聞けます。
「言葉が通じない環境で、英語はどのくらい必要でしたか」
と聞けます。
「最初の1ヶ月、不安で怖くなかったですか」
と本音を聞けます。
すると、それまでモヤモヤとした「夢」だったものが、具体的な手順を伴う「予定」に変わります。
この差が、とてつもなく大きいのです。
#行動格差 #キャリアの選択肢 #新しい働き方 #ロールモデルの重要性 #地方のキャリア
行動格差は、やがて「自信の差」となって表れる
そして、この情報格差から生まれる行動格差が、最終的にその人の「自信」にまで深く影響してしまうことがあるのではないかと考えています。
地方で若い人たちと話をしていると、時々こんな言葉を聞くことがあります。
「どうせ自分なんて大したことないですから」
「優秀な人たちには、どうせ敵わないですよ」
「こんなところで新しいことをやっても、誰も相手にしてくれませんよ」
もちろん、地方の若者全員がそうだというわけでは決してありません。
地方だから自信がない、都市だから自信がある、という単純な二元論でもありません。
ただ、こういう言葉を聞いた時、これを単なる「本人の能力不足」や「モチベーションの低さ」だけで片付けてしまうのは、とても危険だと思っています。
もしかすると、彼らは能力が低いのではなく、
「何かに挑戦して、実際にできている人を見た回数」
が、圧倒的に少ないだけかもしれないからです。
これは、本人の努力ではどうにもならない環境の違いです。
人は、自分が見たことも聞いたこともない人生を、いきなり選択するのはとても難しいです。
親が普通の会社員で、親戚もみんな会社員で、仲のいい友達もみんな会社員になる道を選んでいるなら、自分も会社員になるという未来は、とても自然に想像できます。
一方で、周囲の環境に、自分で会社を起業した人も、フリーランスで世界中を飛び回っている人も、大学でずっとマニアックな研究をしている人も、アートだけで食べている人もいなければ、それらの職業はすべて「テレビの中の特殊な人の人生」にしか見えません。
本当は、努力次第で選択できるかもしれないのに。
でも、現実の「選択肢」として頭の中で認識されていないのです。
これは本人が怠けているわけでも、能力が足りないわけでもありません。
単純に、生き方の「サンプル」を目の前で見ていないだけです。
この状態を、情報格差という言葉でくくるよりも、
「可能性の解像度の格差」
と呼んだ方が、より本質を突いているのではないかと思っています。
#自己効力感 #可能性の解像度 #若者の挑戦 #環境の力 #マインドセット
選択肢を知らなければ、自由に選ぶこともできません
少し視点を変えて、分かりやすい例え話をします。
たとえば、初めて行くレストランに入ったとします。
席に案内されましたが、いつまで経ってもメニューを渡されません。
すると店員さんがやってきて、笑顔でこう聞きます。
「さあ、何を食べますか? 好きなものを自由に言ってください」
これ、ものすごく困りますよね。
スパイスの効いたカレーがあるのか。
新鮮な魚の寿司があるのか。
手打ちのパスタがあるのか。
そもそも、ここが何料理の店なのかすら分かりません。
人生の選択も、これと少し似ているところがあります。
僕たちは普段、自分の人生を「完全に自分の意志で自由に選んでいる」つもりになっています。
でも実際には、自分がこれまでの人生で知覚した「知っている選択肢」のメニューの中からしか選んでいません。
選択肢が100個書かれたメニューを見ている人と、5個しか書かれていないメニューを見ている人がいたとします。
本人たちは、どちらも「自分の好きなものを自由に選んだ」と思っています。
でも、その自由の広さや豊かさは、まったく違います。
インターネットは、人類の歴史上初めて、このメニューに書かれた選択肢を爆発的に増やしてくれました。
これは間違いのない素晴らしい功績です。
ただし、先ほども言ったように、アルゴリズムが極端に発達したことで、今度は、
「絶対に好きそうな5個のメニュー」
だけを、ものすごく高い精度で抜き出して提示するようにもなりました。
これは、悩む手間が省けてとても便利です。
でも、便利すぎるのです。
人間は、自分で自分の世界を狭くしているという自覚がまったくないまま、ひたすら快適で心地よい、小さな世界に住み続けることができるようになりました。
好きな人の情報だけが届きます。
見たくない意見や嫌いなニュースは、スワイプ一つでミュートできます。
少しでも興味のない動画は、すぐにスキップすれば二度と表示されません。
気の合う、自分を肯定してくれる人だけをフォローして生きていけます。
極端な言い方をすれば、自分専用の箱庭のような世界を作れるのです。
居心地は間違いなく最高です。
誰も否定しません。
ただ、人間が本当に成長したり、価値観が変わったりするきっかけというのは、得てしてそういう「居心地の悪い場所」や「思い通りにならない出来事」からやってくることが多いのです。
#選択の自由 #無意識の偏見 #人生の選択肢 #情報の最適化 #視野を広げる
地方に必要なのは、新しい情報ではなく「ノイズ」かもしれません
ここで、少し水平思考で考えてみたいと思います。
地方の情報格差や、そこから生まれる行動の格差をなくすためには、どうすればいいのでしょうか。
もっと最新の情報を地方に届ければいいのでしょうか。
必ずしもそうではないと思っています。
情報は、もう十分にあります。
むしろ、処理しきれないくらい多すぎます。
今本当に必要なのは、「自分では絶対に選ばなかったはずの情報」が、意図せず入ってくるような仕組みではないでしょうか。
言い換えるなら、それは「良質なノイズ」です。
普段なら絶対に会わないような人と、あえて会ってみる。
普段なら絶対に行かないような場所へ、思い切って行ってみる。
普段なら見出しを見ただけでスルーするような本を、あえて読んでみる。
自分には関係ないと思っていたイベントに、フラッと参加してみる。
まったく違う業界で働く人の苦労話を聞いてみる。
20歳も年上の人の人生経験に耳を傾ける。
20歳も年下の若者が何に熱中しているのかを教えてもらう。
育ってきた文化が違う外国の人と話してみる。
地図を見ずに、知らない街の路地をただ歩いてみる。
目的もなく本屋へ行き、すべての棚の背表紙を眺めてみる。
こういう、現代の基準から見れば一見すると「効率の悪い行動」が、これからはものすごく大事になってくるのではないかと思っています。
タイムパフォーマンス(タイパ)という言葉だけで考えれば、最悪の行動です。
時間を無駄にしています。
目的があるなら、検索した方が圧倒的に早いです。
AIにまとめてもらった方が早いです。
Amazonでおすすめされたものを買った方が早いです。
しかし、人生のすべてを最適化し、効率化していくと、どうしても削ぎ落されてしまうものがあります。
それが「偶然」です。
そして、この計算外の偶然の中からこそ、次の人生を劇的に変えてしまうような出会いやアイデアが生まれてくるのだと信じています。
#良質なノイズ #タイパの弊害 #効率化の限界 #タイムパフォーマンス #異業種交流
検索能力よりも「漂う能力」が重要になるかもしれません
これから先、生成AIがさらに賢く発達していくと、「答えを素早く探す能力」の価値は少しずつ下がっていくかもしれません。
なぜなら、質問さえすれば、AIが人間よりも早く、正確に、かなりのところまで答えてくれるようになるからです。
すると逆に、これから価値がどんどん上がっていくのは、
「そもそも、何について質問するのか」
という力です。
そしてさらにその手前にある、
「何に対して疑問や違和感を持つのか」
という感性です。
自分の中に新しい疑問を持つためには、どうしても自分の知っている世界の外側に触れなければいけません。
まったく知らないものに出会って、驚く。
当たり前だと思っていたことに、違和感を持つ。
「なんだこれは。どうしてこうなっているんだ?」
と立ち止まる。
そこから初めて、AIに投げるべき質の高い「問い」が生まれます。
だからこれからの時代は、タイピングが早いとか、検索キーワードを選ぶのが上手いといった「検索する力」と同じくらい、情報の大海原を目的なく「漂う力」が必要になるのかもしれません。
目的地をガチガチに決めずに、あえて迷子になりながら歩く力です。
たまには、少し効率が悪いくらいでちょうどいいのです。
旅行へ行って、ぽっかりと1時間予定が空いてしまったとします。
その時、すぐにスマートフォンを取り出して、Googleマップで評価が4.5以上の絶対に失敗しない店を探すのもいいでしょう。
でも、たまにはスマートフォンをポケットにしまって、適当に歩いてみるのも悪くありません。
気になる匂いのする路地へ入ってみる。
地元のおじいちゃんが一人で飲んでいる、古びた店に勇気を出して入ってみる。
もちろん、失敗することもあります。
これは普通によくあることです。
ものすごく微妙な味の料理が出てきて、
「あーあ、大人しくGoogle先生の言うことを聞いておけば良かったな」
と後悔することもあるでしょう。
でも、数年経てば、その失敗すらも笑える経験になります。
アルゴリズムが安全だと保証してくれたものを選ぶのではなく、自分で自分の直感を信じて選ぶことには、案外、人生を豊かにする大きな意味があるのです。
#漂う能力 #質問力 #違和感の言語化 #直感を信じる #AI時代のスキル
地方だからこそ、偶然を設計できる強みがあります
とはいえ、ここまでの話を読んで、
「じゃあ、色々な人が交差する環境がない地方は、やっぱり圧倒的に不利じゃないか」
と落胆される方もいるかもしれません。
でも、逆の可能性もあると思っています。
地方には、都市にはない強みがあります。
それは、人と人との距離が近いということです。
一人の人と深く信頼関係を築けば、そこから芋づる式に別の面白い人につながっていくことがよくあります。
「そういうことに興味があるなら、隣町のあの人に会ってみたらいいよ」
と、すぐにお節介を焼いて紹介してもらえます。
その人から、また別の新しい世界へと簡単につながっていくことができます。
都市部では、人があまりにも多すぎるため、逆にお互いの関係が薄く、匿名になりがちです。
地方は、全体の母数(人の数)では都市に絶対に勝てません。
でも、関係の深さや、人と人がつながるスピードでは勝てることがあります。
だったら、その地方特有の特徴を最大限に使えばいいのです。
地方で本当に必要なのは、東京の真似をして同じようなキラキラしたイベントをたくさん作ることではありません。
「まったく異なる文脈の人たちが、意図せず混ざってしまう場所」を、意識して設計して作ることだと思います。
料理人と、米農家が同じテーブルで酒を飲む。
地元の高校生と、還暦を過ぎた経営者が真剣にビジネスの話をする。
一本釣りの漁師と、Webデザイナーが一緒に地域の課題を考える。
移住してきた外国の人と、地元のおばあちゃんが畑仕事について語り合う。
行政の担当者と、ノリのいい大学生が居酒屋で議論する。
そこに、たまたま帰省していた生成AIの専門家がフラッと混ざっても面白いですよね。
一見すると、何の共通点も関係もありません。
だからこそ、いいのです。
同じ業界、同じ考え方の人だけを100人集めて会議をするより、まったくバックグラウンドの違う人を10人集めて雑談をした方が、誰も思いつかなかった新しいアイデアが飛び出してくることがあります。
情報格差を無理に埋めようとする必要はありません。
情報を、そして人を「混ぜる」のです。
これからの地方創生や町おこしを考える時にも、この「いかにノイズを混ぜるか」という視点は、かなり重要になってくると思っています。
#地方創生 #地域コミュニティ #異分野融合 #オープンイノベーション #関係人口
というわけで
というわけで、今日は地方における情報格差とは一体何なのか、そしてどう向き合っていくべきなのかを、少し長くなりましたが改めて考えてみました。
もう、
「地方には情報がないから遅れている」
という昔ながらの説明だけでは、今の状況を正しく捉えるには不十分だと思っています。
情報は、あります。あり余っています。
スマートフォンを開けば、世界中とリアルタイムにつながっています。
本当の問題は、その豊かすぎる情報の海の中で、人間が「自分の知っている心地よい世界」だけを、いつまでも泳ぎ続けてしまうことにあるのです。
誤解してほしくないのですが、アルゴリズムは決して悪者ではありません。
便利だから、毎日使います。
YouTubeもたくさん見ますし、SNSもチェックします。
生成AIだって、仕事で毎日のように使います。
大切なのは、その圧倒的な便利さと引き換えに、「何が失われる可能性があるのか」を、頭の片隅で知っておくことだと思います。
検索して手に入る情報の格差は、確かに小さくなりました。
でも、
今日、誰と会うかという格差があります。
明日、どこへ行けるかという格差があります。
毎日、どんな景色が目に入るかという格差があります。
自分の常識を壊してくれる「知らない世界」に触れる回数の格差があります。
そして、それらの小さな違いが積み重なることで、
「自分にも、あんな風にできるかもしれない」
と思える回数にまで、決定的な差が出てきてしまうことがあります。
だから、地方の情報格差や未来について考える時、通信速度の速さやスマートフォンの普及率といった数字だけを見ても、決して本質にはたどり着けないのかもしれません。
必要なのは、もっとたくさんの情報ではなく、「偶然」です。
自分とは違う価値観を持つ、知らない人と会うことです。
いつもと違う道を通って、違う場所へ行くことです。
自分を快適にしてくれるアルゴリズムの世界から、たまには勇気を出して脱走してみることです。
たまには、YouTubeが絶対におすすめしてくれないような、再生回数の少ない変な動画を見てみてください。
Amazonがおすすめしてくれない、平積みされていない本を手に取ってみてください。
Googleマップで検索せずに、勘だけを頼りに街を歩いてみてください。
効率は、間違いなく少し悪くなります。
でも、人生のすべてを最適化しすぎなくてもいいと思うのです。
次に何が起きるか分からない、ちょっとした余白が少しくらいあった方が、人生は絶対に面白いですから。
地方に今必要なのは、東京と同じだけの情報量ではありません。
自分の知らなかった世界と出会える、「偶然の入口」を少しずつ増やしていくことです。
情報格差ではなく、偶然の格差。
地方で働くことや暮らすことについて考える時に、この視点がとても大切なのではないかと思っています。
そして、意図的に作ったその小さな偶然から、たった一人でも、
「世の中には、こんな生き方もあるんだ」
「こんな面白い仕事もあるんだな」
「もしかしたら、自分にもできるかもしれない」
と、目を輝かせてくれる人が増えたなら、それは単に「地域の情報量が増えた」というだけの話ではありません。
その人の未来の選択肢が、確実に一つ増えたということです。
情報というものが持つ本当の価値とは、きっとそういうところにあるのだと思います。
#未来の選択肢 #偶然の格差 #多様な生き方 #人生の余白 #情報の本当の価値
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