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こんにちは!皆さん。

今日は「平和」について書きたいと思います。

少し大きなテーマです。

正直に言えば、以前の僕にとって「平和」という言葉は、少し遠いものでした。

もちろん、戦争は嫌ですし、世界が平和であってほしいと心から願っています。

ただ、それはどこか遠い国の出来事や、学生時代の歴史の教科書の中に書かれている「言葉」でもありました。

僕はこれまで、飲食やサービスの仕事を通じて、日本のさまざまな場所で暮らしてきました。

東京、千葉、横浜、山形、そして広島。

現在は長崎で働いています。

この「広島」と「長崎」という二つの街で暮らした経験が、僕の中にある「8月6日」と「8月9日」の意味を少しずつ変えていきました。

それまで単なる「日付」だったものが、明確な「場所」と結びついたからです。

そして場所と結びつくと、その向こう側にいたはずの「人々の姿」が見えるようになります。

だから今では、8月6日と8月9日は僕にとって特別な日になりました。

もちろん、僕は戦争を経験していません。

原爆を経験したわけでもありません。

ですから、その恐ろしさを本当の意味ですべて理解できるなどとは、とても言えません。

ただ、広島と長崎という二つの街で暮らしたことで、以前よりも原爆について考える距離が、圧倒的に近くなった気がしています。

#長崎原爆の日 #平和について考える #8月9日 #戦争と平和

教科書の中にあった8月6日と8月9日


広島に住んでいると、原爆の記憶は特別な場所だけにあるわけではないことに気づきます。

街を歩けば川があり、路面電車が走り、普通に会社へ向かう人がいて、観光客がいます。

少し歩けば原爆ドームや平和記念公園があります。

でも、その周辺にも当然ながら「普通の日常」が広がっています。

僕が身を置いてきたような飲食店があり、コンビニがあり、居酒屋からは美味しそうな匂いが漂っています。

みんな普通に働き、普通に食事をして、普通に笑っています。

僕はそこに、不思議な感覚を覚えました。

「この場所で、あの出来事があったのか」

そう考えると、街の見え方、そして歴史の見え方がすっかり変わります。

長崎に来てからも同じでした。

急な坂道を歩き、路面電車に揺られ、浦上の街を通ります。

現在の長崎には、ごく普通の、豊かで穏やかな生活があります。

ところが1945年8月9日午前11時2分、この街の上空で原子爆弾が炸裂しました。

長崎は現在も8月9日に平和祈念式典を行い、その記憶を世界に伝え続けています。

ここで僕が強く感じるようになったことがあります。

戦争によって壊されるのは、決して「建物」や「街」だけではないということです。

そこにあった、取るに足らないような「普通の一日」が根こそぎ壊されるのです。

誰かが美味しい朝ごはんを食べていたかもしれません。

誰かが「行きたくないな」と思いながら仕事へ向かっていたかもしれません。

子どもが外で夢中になって遊んでいたかもしれません。

長崎に残る記録にも、1945年8月9日の朝、子どもたちがセミ取りをして遊んでいたという、ごく普通の夏の風景が残されています。

「今日の夕飯は何にしようか」

「週末はどこにでかけようか」

そんなふうに、明日の予定を立てていた人も絶対にいたはずです。

それが、突然なくなる。

この事実を知ると、僕には原爆の恐ろしさが少し違って見えます。

破壊されたのはインフラではありません。

「明日が来ると思っていた人たちの、ささやかな生活」まで、一瞬で奪われたのです。

これは、とても重く、胸を締め付けられる事実です。

#広島原爆 #歴史を学ぶ #平和記念公園 #原爆ドーム

「平和を大切にしましょう」だけでは、少し遠い


平和について語る時、よく使われる言葉があります。

「平和を大切にしましょう」

もちろん、その通りです。

反論するところは一切ありません。

ただ僕は、この言葉だけでは少し主語が大きすぎるとも感じています。

「世界平和のために、あなたは何ができますか?」

そう聞かれても、困ってしまう人は多いのではないでしょうか。

僕も間違いなく困ります。

明日から世界平和のために行動してくださいと言われても、何から始めればいいのかわかりません。

かなりの無茶振りです。

飲食店の現場でいえば、入社したばかりのアルバイトスタッフに「明日からこの店を世界一の三つ星レストランにしてください」と突然言うようなものです。

いや、まずテーブルの拭き方から教えてください、となります。

だから僕は、「平和」というものを、もっともっと手の届く範囲で、小さく考えてもいいのではないかと思っています。

これをものすごくざっくり言えば、こういうことです。

平和とは、普通の明日を当たり前に想像できることなのではないか。

最近は、そんなふうに考えています。

明日の仕事の仕込みの手順を考える。

週末に友人と美味しいものを食べに行く約束をする。

来月の旅行のためにホテルを予約する。

好きなチームの次の試合を心待ちにする。

満員電車で少しイライラする。

スーパーで「最近、野菜が高くなったな」と文句を言う。

こういうものです。

ずいぶんと地味で、平凡です。

でも、こういう「退屈とも言えるような普通の日々」が明日も確実に続くと信じられることは、本当はものすごく大きなことなのではないでしょうか。

僕たちは平和というと、国連の会議や、白い鳩が飛んでいるような壮大な景色を想像しがちです。

でも実際の平和は、もっと泥臭くて、生活臭がするものなのかもしれません。

朝起きて仕事へ行き、夕方になったら家へ帰り、そして、また明日と言える。

僕が長年携わってきた飲食やサービスの仕事も、結局はこの「当たり前の日常」の上にしか成り立ちません。

僕は最近、それだけで十分すごいことだと思うようになりました。

#日常の尊さ #平和の定義 #当たり前の日常 #ライフスタイル

8月9日に、サッカーの試合がある日常


そして本日、2026年8月9日のことです。

僕が働いている長崎スタジアムシティでは、Jリーグの試合が開催されます。

V・ファーレン長崎と京都サンガF.C.が、19時からPEACE STADIUM Connected by SoftBankで対戦します。しかも、明治安田J1リーグの記念すべき第1節です。

この日程を知った時、僕は少し考え込みました。

8月9日です。

長崎に原爆が投下された、決して忘れてはいけない日です。

その日の夜、大勢の人がこのスタジアムへ集まります。

選手がピッチを走り回ります。

ボールを蹴ります。

ゴールが決まれば、地鳴りのような歓声が上がります。

悔しがる人もいれば、抱き合って喜ぶ人もいます。

スタジアムのVIPラウンジやフードエリアを管理する僕たちは、おそらく朝から大量の仕込みに追われ、汗だくになって走り回っているでしょう。

そして、その熱狂の舞台となるスタジアムの名前には「PEACE(平和)」という言葉が刻まれています。

なんとも不思議な巡り合わせです。

午前11時2分。

長崎の街にはサイレンが響き、静かで深い祈りの時間が流れます。

そして19時。

スタジアムには、熱狂と歓声が響き渡ります。

一見すると、まったく正反対の光景に見えるかもしれません。

静かな祈りと、大きな歓声です。

でも僕は、この二つは決して矛盾しないのではないかと思っています。

むしろ、これらが同じ日、同じ街にあることにこそ、非常に大きな意味があるような気がしてならないのです。

#長崎スタジアムシティ #ピーススタジアム #Jリーグ開幕 #Vファーレン長崎

平和とは、静かにしていることではない


「8月9日は厳粛な祈りの日なのだから、スポーツやビールを楽しんでいいのだろうか」

そんな疑問や葛藤を持つ人もいるかもしれません。

その感覚は、とてもよくわかります。

犠牲になった方々への祈りを捧げ、痛ましい歴史を絶対に忘れないことは大切です。

それは、大前提です。

ただ、平和を願うことと、人生を謳歌して楽しむことは、相反するものではないと僕は思います。

むしろ、逆です。

人が好きなスポーツを心から楽しめること。

家族や恋人と連れ立ってスタジアムへ行けること。

スタジアムグルメを頬張りながら、友人と笑い合えること。

対戦相手のサポーターが、遠く京都から長崎へ安全に旅をして来られること。

選手が90分間、全力で戦えること。

試合が終わったら、みんながそれぞれの日常へ、無事に帰れること。

これこそが、平和だからこそ享受できる「豊かさ」そのものではないでしょうか。

サッカーでは、相手チームと本気でぶつかり合います。

勝ちたいと渇望します。

場合によっては、90分間ずっと「あのチームには絶対に負けたくない」「今日の審判はどうなっているんだ」とイライラすることすらあります。

でも、ホイッスルが鳴って試合が終われば、そこで終わりです。

相手は決して憎むべき「敵」ではありません。

リスペクトすべき「対戦相手」です。

ここは、戦争とスポーツの決定的に違う、とても大きな違いだと思います。

ルールがあります。

審判がいます。

時間が決められています。

勝敗がつきます。

そして試合が終われば、ノーサイドでお互いの日常へ戻っていきます。

僕は、スポーツの持つ根本的な素晴らしさの一つは、ここにあると思っています。

意見が違ってもいい。

応援するチームが違ってもいい。

勝ちたいと牙を剥いてもいい。

競争してもいい。

それでも、お互いの存在そのものを壊し合う必要はありません。

もちろん、スポーツと戦争を単純に同じ土俵で語ることなどできません。

そんなに簡単な話ではないことは承知しています。

ただ、「対立すること」と「相手の存在を否定し、奪うこと」は明確に違うのだと、スポーツは僕たちに教えてくれる気がします。

#スポーツと平和 #スポーツの力 #ノーサイド #サッカー観戦

平和は、全員が仲良くなることではない


これは、僕が30年以上やってきたマネジメントやサービスの現場でも同じことが言えるかもしれません。

よく、組織作りの文脈でこう言われます。

「みんな仲良く、一枚岩になりましょう」

でも僕は、全員が無理に仲良くする必要まではないと思っています。

人間ですから、考え方は十人十色です。

好き嫌いもあります。

仕事に対する価値観も違います。

応援するサッカーチームですら違うのですから、すべての考えが綺麗に一致するはずがありません。

むしろ、違っていて当然です。

だから僕は、平和とは「一切の対立がない無菌状態」ではなく、「対立しても、決して壊し合わない状態」なのではないかと考えています。

ここは、マネジメントにおいても結構大事なポイントです。

自分とは違う、あるいは気に入らない意見を聞いた時に、

「そういう考え方もあるんですね」

と、ひとまず受け止められる。

どうしても納得できない時には、

「僕は少し違うと思います」

と、言葉で伝えられる。

そして、それでも同じ職場、同じ社会という場所に一緒にいられる。

これは言葉にするのは簡単ですが、実践するのはなかなか難しいことです。

昨今のSNSを見ていてもわかります。

少し意見が違うだけなのに、言葉の刃で相手の存在そのものを否定するところまでエスカレートしてしまうことが多々あります。

右か左か。

賛成か反対か。

味方か敵か。

世の中は、ものごとをどんどん極端な二択にしたがります。

でも実際の人間社会や現場は、そんなにシンプルではありません。

白と黒の間には、無限に広がるグラデーションのようなグレーの領域があります。

平和を考える時も、「みんなが同じ考えになれば平和になる」という全体主義的な方向だけではなく、「違う考えを持ったまま、なんとか一緒に生きられる」という方向から模索してみてもいいのではないでしょうか。

30年間、様々なバックグラウンドを持つスタッフたちと働いてきた僕としては、そのほうがずっと現実的で、しなやかだと思っています。

#多様性の理解 #ダイバーシティ #組織マネジメント #人間関係の悩み

広島と長崎が教えてくれたこと


広島と長崎という街に住んで肌で感じたのは、この二つの街が決して「過去の悲劇だけの街」ではないということです。

当たり前ですが、街は今も力強く生きています。

人が忙しく働いています。

子どもたちが学校へ通い、笑い声を響かせています。

新しいビルが建ち、新しいレストランがオープンします。

そこには恋愛もあり、失恋もあります。

熱狂的なスポーツがあり、感動的なライブもあります。

とびきり美味しいお酒と料理があります。

日々、本当にいろいろなことが起きています。

それでも、街の風景の中には、あるいは人々の心の奥底には、確かな過去の記憶が残っています。

僕はこの「両方が共存している」ということが、とても重要なのではないかと思っています。

忘れません。

でも、止まりません。

祈ります。

でも、生きます。

過去を見つめます。

でも、未来へ向かって進みます。

どちらか一方だけを選ぶ必要はないのです。

「絶対に忘れてはいけない」と強い言葉で言われ続けると、少し息苦しくなってしまう人もいるかもしれません。

特に、戦争を直接知らない僕たちのような世代にとって、巨大な悲劇をどう受け止め、どう消化すればいいのか戸惑うこともあるでしょう。

僕も同じです。

だから、その重すぎる歴史のすべてを、完璧に背負おうとしなくてもいいのだと思います。

まず、知る。

少しだけ、想像してみる。

家族や友人と、そのことについて話してみる。

それだけでも、立派な第一歩ではないでしょうか。

8月9日だから、一度だけ時計を見る。

11時2分になったら、仕事の手をほんの少しだけ止めて、目を閉じる。

それでも十分だと思います。

平和について考え、日常に落とし込む方法に、たった一つの正解などありません。

#長崎の歴史 #復興の歩み #未来志向 #平和学習

11時2分の静けさと、19時の歓声


僕は今年の8月9日、きっと少し不思議で、忘れられない一日を過ごすと思います。

午前11時2分。

81年前、この街の上空で何が起きたのかを想像し、祈る時間があります。

そして、その約8時間後。

19時。

同じ長崎の街にある真新しい「PEACE STADIUM」で、キックオフの笛が鳴り、ボールが転がり始めます。

鍛え抜かれた選手たちが走ります。

サポーターが心の底から声を出します。

スタジアムを訪れた子どもたちが目を輝かせます。

劇的なゴールが決まれば、スタジアムが揺れるくらいの歓声が長崎の夜空に響き渡るでしょう。

そこには、弾けるような笑顔があります。

涙が出るほどの悔しさがあります。

血が沸き立つような興奮があります。

そして何より、僕たちが愛してやまない「日常」があります。

僕はそれを不謹慎だとは、少しも思いません。

むしろ、僕にはとても美しく、象徴的にすら感じます。

81年前にこの場所で奪われたものの一つが、人々の「普通の日常」だったとすれば。

その同じ街で今、人々が集い、美味しいものを食べながらスポーツを心から楽しめることには、とてつもなく大きな意味と希望があるはずだからです。

もちろん、サッカーの試合を開催すること自体が直接的な平和活動だ、などと無邪気に言うつもりはありません。

現実はそこまで単純ではありません。

でも、平和だからこそ、サッカーができるのです。

平和だからこそ、京都から長崎へアウェイのサポーターが応援に来られるのです。

平和だからこそ、二つのチームが全力でぶつかり合えるのです。

平和だからこそ、試合後にレストランでビールを飲みながら、

「今日の試合は最高だったな」

「いやいや、あの審判の判定はおかしいだろ」

などと熱く語り合いながら、家路につけるのです。

そんな、文句や愚痴まで含めて、すべてが愛おしい日常です。

これは、本当にぜいたくで、尊いことなのだと思います。

#スタジアムの熱気 #日常と非日常 #長崎の風景 #スポーツツーリズム

平和は、たぶん「何も起こらないこと」の積み重ねです


「平和」という言葉は、あまりにも大きすぎます。

だから僕たちは、つい「何か大きなこと、特別なことをしなければならない」と肩に力が入ってしまいます。

でも僕には、世界中の紛争を止める力はありません。

国と国との複雑な交渉もできません。

核兵器をなくす具体的な方法もわかりません。

一個人としてできないことは、山のようにあります。

とはいえ、だからといって「何もできない」わけではありません。

過去の歴史を知ることはできます。

悲劇を忘れないことはできます。

他人の痛みや価値観に耳を傾けることはできます。

自分と違う考えを持つ人を、すぐに「敵」だと決めつけないことはできます。

そして何より、今ここにある日常を「当たり前のもの」だと思いすぎず、感謝することはできます。

今日、健康に仕事ができます。

今日、美味しいご飯が食べられます。

今日、離れて暮らす家族にLINEで連絡できます。

今日、ビールを飲みながら好きなスポーツを見られます。

明日の予定を、わくわくしながら立てられます。

おそらく平和というのは、こういう「特に何も起こらなかった、平凡な一日」の地道な積み重ねなのだと思います。

ニュースのヘッドラインにはなりません。

歴史の教科書にも、決して載りません。

でも本当は、その「何も起こらない一日」こそが、人類にとって一番の奇跡であり、ありがたいものなのかもしれません。

#幸福論 #何気ない日常 #生きる意味 #マインドフルネス

8月9日に思うこと


というわけで、今年の8月9日。

僕はここ、長崎スタジアムシティで働いています。

午前11時2分には、静かに目を閉じ、81年前の長崎を少しだけ想像したいと思います。

そして19時になったら、すべてのお客様のために、目の前の仕事を一生懸命やりたいと思います。

スタジアムに来てくれたすべての人たちが、最高の環境でサッカーを楽しむ。

選手たちが全力で最高のプレーを見せる。

応援する人たちが思い切り声を出し、熱狂する。

試合が終われば、それぞれが満足感とともに家へ帰っていく。

そして翌朝になれば、また新しい、普通の一日が始まります。

僕は今、それこそが平和の形なのではないかと思っています。

平和とは、争いについて眉間に皺を寄せて考え続けることだけではありません。

美味しいものを食べて普通に笑えることでもあります。

好きなものを、大きな声で「好きだ」と言えることでもあります。

自分とは違う誰かと、同じテーブルを囲み、同じ場所にいられることでもあります。

そして、「また明日ね」と、当たり前のように言えることでもあります。

8月9日。

長崎にとって、そして僕にとって、とても大切な日です。

だからこそ、過去へ祈りを捧げるだけではなく、その先にある「日常の尊さ」まで、しっかりと噛み締めてみたいと思います。

午前11時2分の、深い静けさ。

19時の、スタジアムを揺るがす歓声。

僕には、その二つが同じ一日の中にあること自体に、希望と意味があるように思えてなりません。

PEACE STADIUMという名前のスタジアムで、サッカーボールが転がります。

選手が走ります。

人々が笑います。

誰かが勝って、誰かが負けます。

それでも試合が終われば、ノーサイドでお互いの日常へ帰っていく。

そんな普通の、けれど奇跡のような夜が、これからもずっとずっと続いてほしいです。

そして来年も、再来年も、そのずっと先も。

8月9日には過去を忘れず祈りを捧げ、同時に未来の予定を笑顔で立てられる、そんな街であってほしいと心から願っています。

僕にとって平和とは、手の届かない壮大な理想だけではありません。

「明日もきっと、普通に暮らせる」と信じられることです。

今年の8月9日。

長崎の真っ青な空の下で、あらためてそのことを考えたいと思います。

#平和への祈り #未来への希望 #長崎の夏 #また明日

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菅野 大輔 (ワインテイスター/食クリエーター:かんの だいすけ) よろしければ、サポートお願いします。 自分のモチベーションアップのためと、今後のためにインプットに使わせて頂き、またアウトプットできればと。サポート頂いた方へはちゃんと返信させて頂きます。

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