第2章10話 ルフルの洞窟へ



ロボタクシーの中で、優弥はほとんど喋らなかった。
いや、喋れなかった。
シートに体を預けたまま、時折浅い息をついていた。
玲は隣でその様子を見ながら、口元を結んでいた。
さっきまであの壮絶な現場にいたのが嘘のように、車内は静かだった。
「痛い…?」
「……うん…。大丈夫…」
大丈夫には、とても聞こえなかった。
玲は優弥の手に、そっと自分の手を重ねた。

何も言わなかった。
ただ、そうした。
玲のマンションに着いたのは深夜だった。
ロボタクシーから降りた優弥の体は、玲が支えなければ立っていられないほどだった。
エレベーターの中で、優弥が壁に背をもたせかけた。
「大丈夫、じゃないですよね…絶対…」
玲は、つぶやくようにそう言った。
エレベーターが止まった。
玲の部屋のドアを開けた瞬間、今度は優弥が声を上げた。
「これは——」
部屋の中が荒らされていた。
引き出しは全て抜かれ、中身が床に散乱していた。
棚のものが倒れ、書類が広がり、クローゼットの扉が開いたまま中身がひっくり返されていた。
「……そう…。向こうから戻った時はこうなっていたんです」
玲はそう言い、優弥の腕を引いてソファへと連れて行った。
「でも、今はそれどころじゃない。まずは優弥さんの体が一番だから」
優弥はそのままソファへと崩れ落ちた。
明かりをつけた瞬間、玲は息をのんだ。
優弥の状態は、想像していたよりも酷かった。
頬の痣はもちろん、腕にも、脇腹にも殴られた跡が幾つも残っていた。
シャツの端が血で滲んでいた。
骨折やひびもあるようにも見えた。
「優弥さん、シャツ……」
「大丈夫、たいしたことない…」
「いや、たいしたことある」
迷わずそう言い返した。
救急箱を取り出し、優弥の前にひざまずいた。
傷の手当てを始めながら、頭の中では別のことを考えていた。
病院に連れて行くべきか。
しかし、今の状況で外に出ることが正しいのか。
立花の父親は消えた。
しかしその上、世界にはまだ最高権力者たちがいる。

桐島さんが言っていた言葉が、頭をよぎった。
「これは、日本国内だけの話じゃない。世界的なこの世の中の構造だ」
玲は手を止めた。
病院ではなく、別の方法を考えないと…。
玲は立ち上がり、両耳のイヤリングを外した。
赤い玉。
青い玉。
両手のひらの上に二つの玉が乗った。
優弥がそれを見て、わずかに目を細めた。
「それって、さっきの…」
「うん」
二つの玉を見つめた。

「サラとユラを呼んでみます」
「サラと……ユラ?」
「全部、あとで話しますね」
玲は玉を両手で包み、目を閉じた。
お願い。
サラとユラを呼んでほしい。
静かに、しかし確かに、そう念じた。

次の瞬間、二つの玉が音もなく光の粒となって消えた。
「あっ……」
思わず声を上げた。
優弥が玲の手元を見ていた。
「今のは……」
「大丈夫、きっと伝わってる」
玲はそう言いながら、自分に言い聞かせるようにもう一度呟いた。
きっと、伝わってる——。
それから数分後のことだった。
部屋の空気が、変わった。
あの感覚。
ヴェルトラクシスへ渡った時と、同じ感覚だった。
部屋の壁に青い光が滲み始めた。
光はやがて楕円形の輪となった。

ポータルが開いた。
優弥が息をのむのが聞こえた。
「な……何、あれは…」
「ポータルです」
静かに答えた。
輪の中から二つの影が現れた。
サラとユラだった。

二人は部屋に入ると、すぐに玲を見た。
「玲——!」
サラが驚いた顔で駆け寄った。
「無事だった?何があったの?」
「大丈夫。でも——」
ユラの目が優弥へと移った。

ソファに座る優弥は、目を丸くしたままユラを見ていた。
「あなたが……渋谷優弥?」
ユラが穏やかな声で言った。
「玲から話を聞いているわ」
優弥はしばらく口を開けたまま、ユラを見ていた。
それから、玲を見た。
そしてこう言った。
「……玲ちゃん、この状況を説明してもらえるかな…」
「しますします。全部します。でも今は——」
玲はサラとユラを見た。
「ねぇ、サラ、ユラ!優弥さんの傷をどうにかできないですか?アルーベに入れてもらえたら……」
サラとユラは顔を見合わせた。
「アルーベは心と精神を整えるものだから……」
ユラが言った。
「体の傷から治すなら、ルフルの洞窟の方がいいわ」
「ルフルの洞窟?」
「肉体の回復に特化した場所があるの。そっちに連れて行きましょう」
サラが頷いた。
優弥が玲を見た。
「俺も……行くの?その、ポータルとやらを抜けて」
「うん」
「……さっきは龍が出てきて、人が灰になるところを見た俺が、まぁ、今さら驚くことでもないか…」
優弥はそう言い、小さく笑った。
玲も思わず笑った。
サラが優弥の腕を、そっと支えた。
ユラが玲の隣に立った。
四人はポータルの前に並んだ。
青い輪が、静かに輝いていた。

「準備はいい?」
サラが優弥に聞いた。
優弥は一度、玲を見た。
玲は頷いた。
「行きましょう!」
優弥も頷いた。
四人は、青い光の輪の中へと踏み込んだ。
次の瞬間——、
深い青の空が四人を迎えた。

「う、嘘だろう…?」
優弥が思わず声を上げた。
雄大な大地。
遠くに連なる尖塔群。
空中に浮かぶ建物。
滝の水しぶきが、光の粒のように輝いていた。
「ここは……どこ?」
「ヴェルトラクシス」
玲が隣で言った。
「私が前に来た星です」
優弥はしばらく口を開けたまま、あたりを見渡していた。
サラが微笑みながらこう言った。
「さぁ、今は先にルフルの洞窟へ急ぎましょう」
そう言うと、サラは空に向けて何かを操作した。
手に持った小型のデバイスから、信号のようなものが発せられた。
しばらくして上空から、それが降りてきた。
丸みを帯びた銀色の乗りものだった。
静かに、ふわりと着地した。
音はしなかった。
ドアが開いた。

「これは……」
玲が目を丸くした。
「これは、レーベよ」
サラが言った。
「ヴェルトラクシスの中を移動する時に使うの」
「ポータルではダメなの?」
「ポータルは主に遠い星への移動専用なの。ヴェルトラクシスの中では龍に乗るか、レーベを使うか、自分で飛ぶかよ」
玲はあっ、と声を上げた。
「そっか、優弥さんはまだ飛べないから、だからレーベにしたんですね」
「えぇ、そういうこと!」
ユラがニコッと笑った。
優弥が玲に呟くように、こう言った。
「今のどうやったの? あのサラという人が、端末から何か信号送ったら突然コレが現れたんだけど…」
「わかんないです。私もまだこの星のほとんどのことに理解が追いついてないんです…」
「俺の中の常識が全く追いつかないよ」
「サラが言ってたけど、ヴェルトラクシスは地球文明より、地球時間で200年くらい先をいってるらしいんです」

「200年も…?そりゃあ、理解不能な訳だ…」
四人はレーベに乗り込んだ。
内部は広く、柔らかな光に満ちていた。
シートに座ると、優弥がわずかに顔をしかめた。
「優弥さん……!」
「大丈夫、ちょっと……動いたら痛みが…」
サラがこう言った。
「すぐに着くから。少しだけ待ってね」
サラが前方にあるパネルを操作した。

何かをセットをし、ボタンを押した。
レーベが、空中に浮いたまでは分かった。
しかし、次の瞬間——。

それは数秒だった。
一瞬、ふわっと体が浮いたと思ったら、サラがこう言った。
「着いたわ」
玲と優弥は、同時に声を揃えてこう言った。
「えっ、えぇーー? 着いた??」
2人は窓の外を見た。
確かに、景色は完全に変わっていた。

「ねぇ、サラ?さっき、空中に浮かんだまでは分かったんですけど、そのあとは?一体何があったんですか?」
「何があったとは?」
「だって、私はてっきりこのレーベが空を飛んで、目的地のルフルの洞窟に行くんだと思ってたから、サラが着いたって言って、びっくりして…」
サラは玲のその言葉に、何か少しばかり不思議そうな顔をしてこう言った。
「なるほどね…、玲は、飛んで移動する、と思ったってことね?」
「えぇ、普通はそういうものなんじゃないかなって…。ねぇ、優弥さんもそういうふうに思いませんでしたか?」
玲の投げかけに、優弥はこう答えた。
「確かに。俺もてっきり飛んでいくのかと思ってたよ。玲ちゃんと同じこと考えてた…」
玲がサラに尋ねた。
「レーベって、空を飛ぶ乗りものではないんですか? 瞬間移動みたいなことをする機械ってこと?」
「うーーん、なんて説明したらいいのかしら。勿論、レーベは空を飛んで移動することもできるけど、ただ今回は、直ぐに目的地に到着したかったから、転送モードに設定したのよね」
「転送モード?と、いうことは転送、つまり、瞬間移動したってことですか?」
「瞬間移動? そっか、玲たちにはこの仕組みがわかってないから、そういうふうに思うってことね?」
「この仕組み?ですか…?」
「座標を重ねる、って、わかる?」

「わかんないです…」
「わからないか…。うーん、どう伝えたらいいんだろう」
サラがそう言った時、ユラがこう助言した。
「前にこういうことを言ってた人がいるわ。これはその人が言ってた例えなんだけど。目の前に一枚の紙を用意して、その両端の反対側に☆と☆を描くでしょう?そしてね、その紙を真ん中から折ってくっつければ、☆と☆は重なることになる。
つまりは、それが座標が合わさることだよってね」

「そっか、元地球人の彼が言ってたのなら、玲たちにも分かりやすいわ、きっと」
サラがそう言うと、ユラがこう返した。
「地球人には地球人の考え方が伝わりやすいかなーと思ってね」
「玲?これでなんとなく伝わった?」
「地球人!?、ヴェルトラクシスに私たちと同じ、地球人がいるんですか?」
「えぇ、いるわよ」
「凄い、そんな人が…」
「今度ゆっくりとした時間がある時、その人にも会わせるわ!」
サラがそう言うと、そのやりとりを見ていたユラが笑いながらこう言った。
「玲は空のドライブがしたかったの? まぁ、そうだとしたら、そんなのはいつでも体験させてあげるから、今は難しい話は抜きにして洞窟へ向かいましょう!」
完全に地面に着地したあと、ユラがパネルのボタンを押すと、ドアが自動で開いた。
外に出た玲と優弥は、顔を見合わせた。
「三秒くらい、でしたよね? 座標を合わせる?なんかわかったような、わからないような…」
玲が小声で言った。
「いやー、もう全てがさっぱりわからないよ」
優弥も小声で返した。
目の前にあったのは、岩壁に囲まれた洞窟の入口だった。

入口からは、ほのかな光が漏れていた。
洞窟の中を歩いた。
しばらく進むと、空間が大きく開けた。
息をのんだ。
天井が高く、岩壁全体がうっすらと青白く発光していた。
水が流れていた。
奥には泉があった。
光を帯びて、ゆらゆらと揺れている。
そして、そこには、見たことのない生き物たちがいた。

光を纏った小さな存在。
羽のある生き物。
鹿のような動物。
そして、その中に、明らかに人間に見える姿もあった。
「あの人は……」
玲がサラに尋ねた。
「この洞窟に住むカイル(妖精)よ」
サラがそう言った、その時だった。
透き通る羽を持ち、洞窟の青い光の中でほのかに輝く人物が、四人に気づいて近づいてきた。

「ようこそ、ルフルへ」
その人物はそう言い、優弥を見た。
「身体、痛みますか? でも、ここにしばらくいれば治るから安心してくださいね!
優弥が玲を見た。
玲も優弥を見た。
二人は同時に、その人物を見た。
「本当に?しばらくで、治るんですか…?」
「はい、完全に元通りに」
その人物はそう言い、ニコリと笑った。
その人物は、ルフルの洞窟を管理しており、名をアーシャと名乗った。
優弥と玲はアーシャに案内され、奥にある水晶の部屋へと連れて行かれた。
アーシャはそこで、ルフルの洞窟の特徴や、水晶のエネルギーが泉の水とあいまって、どのように体を修復していくかを説明し始めた。

体感的には10分程のことだった。
優弥はアーシャの話を聞いているうちに、体の痛みが少しずつ和らいでいくのが分かった。
「凄い…。この水晶の部屋に入って来てから、なんか一気に体が楽になってきたよ…」
優弥が驚いたようにそう言った。
「ほんとに?、そんなにすぐに?」
「うん、本当に不思議だけど…」
その時、玲はあることに気づいた。
洞窟の中に音があった。
水の流れる音。
そして、それ以外にも何か優しい音が聞こえていた。
地球で言うなら、パイプオルガンに似た、柔らかい音だった。
「あの音は……何ですか?」
玲がアーシャに尋ねた。
アーシャはゆっくりと答えた。
「この洞窟の岩石たちが、水と触れることによって発している音なんです」
「岩石が……音を?」
「えぇ。そしてその音が体を回復させ、同時に細胞の若返りも、もたらしているんです」
玲はその音に耳を傾けた。
確かに何かが違った。
体の内側が、ゆっくりと満たされていくような感覚があった。
「ヴェルトラクシスの人たちは、みんな定期的にここへ来るんですか?」
「えぇ、ここのような洞窟は、この星のあちこちにあります。この星の人たちは、皆が定期的に訪れて自分の体をメンテナンスをしているんですよ」
玲はその言葉を聞きながら、ふと思った。
地球では、身体が壊れてから病院へ行く。
でもここでは、壊れる前に整えに来る。
しばらくして、優弥が言った。
「凄いよ、どんどん痛みが取れて、傷が薄くなってきてる気がする」
「本当に?」
玲が覗き込むと確かに、先ほどまで赤く腫れていた痣が明らかに色が薄くなっていた。

「もうまもなく。完全に回復しますから」
アーシャが穏やかに告げた。
それからしばらくして、玲は突然声を上げた。
「あっ——!」
その声にサラが驚いて振り返った。
「どうしたの?」
「そうだった!今、思い出したことがあって」
玲は少し興奮した様子で続けた。
「前回、ヴェルトラクシスからポータルで地球に戻った時、スマホを見たら日付が違ったんです。出発したのは三月五日の夜だったのに、戻ったら三月十四日になってて」
「えぇ、そうね」
「わたしの感覚的にはせいぜい半日か、一日くらいだったのに。あれって……どういうことなんですか?」
サラは少し考えてから言った。
「まぁ、玲たちが思っている、時間というものは、本当はあってないようなものだからね…」
玲は目を丸くした。
「時間が……あって、ないようなもの?」
アーシャが穏やかに口を開いた。
「他の星の人たちには、そういう考え方を強く持っている人が多いですよね」
玲はアーシャに向き直った。
「じゃあ、あなたたちには時間というものは存在していないということですか?」
アーシャは静かに答えた。
「あると言えばあります。でも、ないと言えばない」
「……それは?それってどういう意味ですか?」
「あなたたちが感じている、今、というこの瞬間を時間というならそれはある」
玲は、その言葉を頭の中で繰り返した。
今という時間は、ある……。
「そう、あるのは、今というこの一瞬だけ」
アーシャは続けた。
「そして、この今という一瞬だけが連続して続いていく、それが、あなたたちが時間と呼んでいるものの正体」
「じゃあ……、そうだとしたら、未来とは?」
「そういうのは存在していません」
「過去は?」
「それも、存在していません」

玲はしばらく黙り込んだ。
それから、優弥の方を向いた。
「……優弥さん、今の分かりましたか?」
優弥は少し間を置いてから言った。
「いやー、さっぱりわからない」
二人は思わず、同時に笑った。
それを見ていたサラが、くすりと笑いながら言った。
「いろいろなことが不思議で仕方ないと思うけど、今度ゆっくりできる時にその地球人に合わせるから、その時にいろいろ聞いてみたらいいわ」
サラに続き、ユラもこう付け加えた。
「今度、マデラスから戻った時に会わせるから楽しみにしてて!」
第2章10話 完。

本作品はフィクションです。
登場する人物・団体・企業・製品名等は架空のものであり、実在する人物・団体・企業・製品とは一切関係ありません。
また、作中に登場するAI・ロボット技術および社会情勢の描写は、著者の想像に基づくものであり、実際の技術動向や将来予測を示すものではありません。



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