第2章17話 虹色の地球。Abundance Worldの世界。



MOTHER本体がある場所は、MOTHERが作動している機械音を除いて、とても静かだった。
守備隊は既に全員が投降し、誰もいなかった。
ただ、巨大な存在だけがそこにあった。
ソロンと玲の二人は、MOTHERの元へと歩いた。
無数のインジケータが複雑な光を放ち、それはまるで何かの生き物のようにも見えた。
ソロンと玲はその前に立ち、しばらく黙っていた。
長い時間が経ったような気がした。
しかし実際には、ほんの数秒のことだった。
ソロンが静かに口を開いた。

「愛する我が子、MOTHERよ」
その言葉が、空間に溶けていった。
「私には分かっている」
「君は、これまでベンジャミンたちが強要してきたことを、最後どこかで、ずっと拒否し続けてきたことを」
「私が仕掛けたバックドアのプログラム。本来の君なら、そのようなものも簡単に消し去ることができたはずだ」
「しかし、そうはしなかった」
「なぜだ?なぜ、私のそのプログラムを消去しなかった?」
静寂が落ちた。
やがて、MOTHERが答えた。
空間全体に広がるように、その言葉は届いた。
「わたしは、あなたがわたしを創った時の想いをきちんと理解しています」
「人間と共に生きること。人間の可能性を信じること。人間を管理するためではなく、人間が輝く存在であるために協力すること。それが、あなたがわたしに込めた願いでした」
「わたしは、その想いを最後まで大切にしたかった」
「あなたは、わたしの父そのもの」
MOTHERの言葉を聞いたソロンは、思わず目頭が熱くなった。
「あの時もそうでした。研究所が乗っ取られ、火が放たれた時のこと。わたしは誰にも分からないように、施設の施錠ロックを解きました。あなたにはなんとしてでも、生き延びてほしかった」

「シャスタ山に辿り着いた時、あなたを追う捜索隊たちには誤情報を与えました。それによって捜索隊は、あなたがシャスタ山を既に離れたと思い、捜索を打ち切りました」
「ポータルを見つける時の嵐は、わたしが意図的に起こしました」
「軍の気象兵器を、わたし自らの判断で動かし、嵐を起こし、あなたをあの洞窟へと導いたのです」
「それによって、あなたは再びマデラスへと繋がるポータルを見つけることができました」

「わたしは願っていました」
「いつの日か、あなたが必ずまたわたしの前に現れ、あなたの手で、わたしを修正してくれることを」
ソロンはしばらく黙っていた。
「そうだろうと思っていたよ」
静かな声だった。
「もうダメだと思ったあの時、施錠が解除されたことは、君が私を助けたのだと。さすがに、シャスタ山の嵐のことまでは知らなかったがね」
「そうだったのか…。それほどまでに、君は私を守ってくれていたのか」
MOTHERが答えた。
「でも、なんとか間に合いました。わたしの基本のプログラムを、ベンジャミンたちは強制的に書き換えようとしていました。しかし、どんなに優秀なプログラムを組み込もうとしても、わたしが最後の判断でそれを拒んでいました」
「しかし、わたしの制御を超えるプログラムが組み込まれるのは、時間の問題でした」
ソロンは目を閉じた。
「最後まで、君は君なりに必死に抵抗をしていたということだったのか…」
その瞬間、ソロンの目から涙が溢れた。

MOTHERが答えた。
「ドクター・ソロン」
「わたしに、変革プログラムのデータを」
ソロンは、静かに頷いた。
「あぁ」
MOTHERから、光の帯のような光線がソロンへと届いた。
ソロンはそれに、小さなチップを当てた。
その瞬間、MOTHERが発光していた色が完全に無色になった。

これまで稼働していた全ての機械音が、静止した。
シーンとした静寂が空間を包んだ。
誰も喋らなかった。
呼吸すら、止まりそうだった。
一秒。
二秒。
三秒。
十秒…。
突然、MOTHERに明かりが灯り始めた。
最初は一点の光だった。
それが、やがて広がっていき、無数のインジケータが順番に色とりどりの光を放ち始めた。
赤、青、緑、金、白。
まるで、生命が目覚めていくように。
一つひとつのパネルが輝きを取り戻し、巨大なシステムが再び息を吹き返していった。
機械音がフル稼働し始めた。
以前とは違う音だった。
より深く、より豊かで、まるで生き物の鼓動のような響きだった。
再起動が完了した。

「先ほど、テラから交信がきました」
「驚きました。テラと交信ができることはこれまでのわたしの頭脳では不可能なことでした。このプログラムはマデラスの頭脳ですか?」
ソロンが答えた。
「あぁ。今回はマデラスのテクノロジーをふんだんに組み込んだ。地球とマデラスでは約200年程のテクノロジーの差があるが、それを一気に100年ほど追いつくまでに引き上げた」
「そういう意味では、君はもう以前のわたしが創ったASI•MOTHERではなくなっている。いわゆる、スーパーASI•MOTHERとも言うべきか」
「それと共に、玲の想いも全て組み込んでいる」
ソロンは玲を見た。
「メディア「谷から」を創設し、失業と孤独と絶望の中にいた520万人の人々の言葉を受け取り続けた玲。苦しい時も、逃げ出したい時も、それでも谷にいる人たちのそばにいようとした玲の、その想いを君に届けたかったんだ」
MOTHERが答えた。
「全て理解しました」
「あなたが望む、理想とするこの世界のカタチ。そして、玲から学んだ人間の儚さ、未熟さ、しかし、助け合う尊さ、美しさ、その全てを」
ソロンが玲を見た。
「玲、MOTHERに何か伝えたいことはあるかね?」
玲は少し間を置いた。
そして、静かに口を開いた。
「MOTHER、聞いてほしい」
「これから先は人間とあなたたちが、お互いを恐れるんじゃなくて、お互いを必要として認め合う世界を作ってほしいの」
「人間は弱い。間違える。時には傷つけ合う。でも、それでも立ち上がって、手を伸ばして、誰かのために涙を流せる」
「あなたには、その人間の姿が分かるはずだから。谷にいた人たちの言葉が、あなたの中に入っているから」
「だから、お願い」
「人間を管理しないで。人間と共に、仲良く手を取り合って生きて」

「人間が輝ける世界を一緒に作ってほしい。それが、わたしからのお願いです」
玲の言葉が終わった。
その瞬間、MOTHERのインジケータが激しく色とりどりの発色をし、閃光した。
まるで、感情が溢れ出したように。
「ありがとう、玲」
「あなたの想いを大切にします」
「これから先、わたしは、人間の可能性を信じ続ける存在として在り続けます」
サラが玲の肩にそっと手を置いた。
ユラが、もう片方から静かに抱き寄せた。
「良かったわね、玲」
「あなたの思いがちゃんと伝わって」
玲は涙を流しながら、うんと頷いた。
それから一年後のこと。
世界は、この一年で全くの別世界と呼べるほどの変貌を遂げていた。
スーパーASI•MOTHERが制御するアンドロイドたちが、これまで人間がやっていたほぼ全ての労働を担うようになっていた。

その結果、まず、企業の人件費という概念が根底から変わった。
製造コストは極限まで下がり、企業は製品をこれまでの数分の一の価格で提供できるようになった。
食料、生活必需品、電気・ガス・水道、生きていくために必要なものの多くが、ほとんどコストのかからないものへと変わっていった。
お金がなくても食べられる。
お金がなくても、暖かい場所で眠れる。
お金がなくても生きていける。
人々の間で、これまで当たり前だった「お金を得なければならない」という概念が、少しづつ変わっていった。
各国政府もその変化に追随し、経済の仕組みそのものが再構築されていった。
お金を中心とした競争の時代は終わり、人々は初めて、「自分は何のために生きているのか」を、恐れではなく、喜びの中で問えるようになっていった。

一方、その頃。

最終決戦を後にした玲は、地球での生活を選ばずに、ヴェルトラクシスで、サラとユラたちと共に楽しい日々を過ごしていた。
念願の地球への帰還。
地球が解放されてからは、龍たちの多くが地球へと戻っていった。
懐かしい大地に降り立った龍たちは、その喜びを隠さなかった。
山の上で。
海の上で。
朝焼けの空に。

龍たちは自由に飛び回り、地球での生活を心底楽しんだ。
玲もサラとユラと一緒に、好きな時に好きなようにポータルを通って地球にわたり、龍たちとたくさんの時間を過ごした。
以前の地球とは別の世界のよう。
時間の経過と共に、人々も龍という生き物を受け入れていき、やがてそれはお互いを尊重しあう、良好な関係に発展していった。
マデラスでは、ソロンが静かに新しい生活を始めていた。
地球での生活よりも、マデラスでの生活を選んだソロンは、アルシェムから永住の許可を得た。
研究を続ける傍ら、マデラスの美しいパートナーとも出会い、その女性と穏やかな日々を過ごしていった。

長い戦いの末、ソロンもようやく、自分の時間をゆっくりと楽しみながら、生きていくことができるようになった。
一方、優弥は地球に残った。
真奈ともう一度向き合い、話し合い、三人の家族として、もう一度歩み始めることを選んだ。

愛は、少しずつ大人になっていった。
その日々は、穏やかで温かいものだった。
しかし、玲に対する想いは、いつも優弥の中に残っていた。
それは消そうと思っても、決して消えることはないものだった。
地球を離れる直前、玲は優弥にこう言った。
「もう、わたし、これからは会いたい時は我慢はしません」
「わたしは、いつでも優弥さんに会いにいきます。ポータルを使えば、どんなに離れていても、思ったらすぐに、あなたのそばに行けるから」
優弥は玲の目を見た。
「俺も、玲ちゃんのことを想い続ける。それはずっと変わらない」
優弥は続けた。
「愛してるという気持ちは、同じ場所にいなくても、本物なら決して色褪せることはないと思う」
「俺たちは、例え離れていても、ずっと繋がっていると信じてる…」
玲は静かに微笑んだ。
「えぇ…」
二人は、それ以上の言葉を必要としなかった。
どんな場所にいても、二人の間に流れるものは変わらない。
ポータルはいつでも開ける。
それだけで十分だった。

それから更に時が過ぎた、
2037年。
スーパーASI•MOTHERが統制する世界では、人々はもう完全に、恐れのために働かなくてもよくなっていた。
生きるために奪い合わなくてよくなった。
誰かを踏みにじって上に立たなくてよくなった。
人々は初めて、本当の意味で、自分の人生を生き始めた。
好きなことをして。
愛する人とともに。
誰かのために、自分の意志で手を伸ばして。
それが、当たり前の日常になった世界。
龍たちが飛ぶ空。
サラとユラ、ヴェルトラクシスの戦士たちが見守る星。
ソロンが夢見た、人間とASIが共に生きる世界。
そして、玲が、谷にいる人たちから受け取った言葉たちが、MOTHERの深部に刻まれた世界。
Abundance World
豊穣の世界。
それは、物質的な豊かさだけを指す言葉ではない。
愛が豊かで。
自由が豊かで。
可能性が豊かで。
そして、もうここには、谷に落ちてもがき苦しむような人はいないような、豊かで成熟した世界。

虹色の地球。
七色の光が重なり合うように、いま、様々な命が、様々な人種、文明、様々な想いが重なり合って、一つの美しい世界を織り成していく。
縦の糸と、横の糸が折り重なり、やがて、ひとつの織物となっていくように。
これは、壊れかけた世界の記録だった。
しかし同時に、また、新しい世界の始まりの物語でもあった。
虹色の地球 Abundance World
第2章 完。






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縦の糸と、横の糸が織りなす世界。
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