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47歳になりました。そして『庭の話』の今後について。

今日、47歳になりました。そして、もろもろご心配おかけして申し訳ございません。現時点で、報告できることはないのですが講談社さんからは丁寧に謝罪をいただいて、前向きな方向で話し合いをしています(今日の午後も予定しています)。

とりあえず、いまの僕がみなさんに言えることは、もしまだ未読のひとがいれば『庭の話』を改めて読んで欲しいということだけです。

『庭の話』は「……ではない」という否定ではなく、「……であるという」肯定の言葉で書いた本で、それは僕がこの何年か、いろいろな現場ーーケアやものづくり、公衆衛生や自然保護などーーに足を運び、そこで試行錯誤している人たちとの議論を経て、はじめて可能になったものです。この本は僕のマニフェストのようなもので、「庭プロジェクト」や「宇野書店」はその端的な実践です。

そして『庭の話』は一言で言えば「〈何者か〉であるかを問わない」回路でしか救われない魂がある」ということを書いた本です。僕は「何者か」にならないと人間は生きていけないというオブセッションが、そしてその心理を換金し、集票に利用することを可能にした情報技術が、この時代に大きな足かせになっているのではないか、そしてどうすればそれを乗り越えられるのかを考えた本です。

ただ、その分「何者かになる」ことだけが救いだと信じて、生きてきた人たちは反発「したくなってしまう」本でもあると思います。サンクコスト的に、「何者になろうと」してきた、している人たちにはたぶん、その「何者かになる」ことへの欲望が(政治的、経済的に利用されていることが)社会の分断の原因だと述べているこの本の主張は、受け入れるのに抵抗があるのだと思います。

誤解してほしくないのですが、僕は別に「何者かになる」ことの欲望をまったく否定してはいません。市場(からの評価)も共同体(からの承認)も否定していません。むしろ積極的に人間に必要なものだと、当然のように考えています。しかし、それだけでは救われない人々がいて、そういった人々やそういった人々になってしまう可能性をケアしない限り、これからの公共性を考えることはできない、社会の分断をケアすることができないというのが僕の考えです。それは『庭の話』を落ち着いて、しっかり読んでもらえれば理解できると思います。

たぶん、この本に反発「したくなる」心理は大きく分けてふたつあって、ひとつは「共同体の弊害を指摘して欲しくない」と言うものです。そしてもう一つは人間は承認欲求の奴隷なので、それは「制作」では相対化できないと言うものです。しかしどちらも『庭の話』に僕が書いたことを、よく理解してない人の反応だと思います。

前者については、僕は共同体の存在や価値を少しも否定していません。ただ共同体には大きな副作用があり、そのために共同体とは別のレベルで、つまりメンバーシップを問わないレベルで人間個人を許容する領域がないと、社会はセーフティーネットを失うと言うことを指摘しているに過ぎません。
後者に関しても、僕は人間が承認欲求から完全に解放されるなんて少しも思っていません。ただ歴史的に考えて「制作」そのものの快楽でそれが相対化されることはまったく珍しいことではなく、この本ではそれがいかに発生しやすい環境を構築するか(どのような制度や環境が必要なのか)ということを論じています。だから僕は『庭の話』の後半では消費や労働の問題を扱い、「制作」のハードルをいかに下げるのかという問題を取り扱っているわけです。

ただ、こうした内容を指摘すること自体が、たとえば家族や共同体の「父」(アルファ雄)になることでの自己実現を、ずっと目指してきた人やそれに憧れてきた人、そういった共同体で無難な位置を確保して考えるのを止めたい人には「嫌な」ことかもしれないし、「本よりも本を読んでいる自分が好き」なタイプの人は、自意識の問題の外側というか、制作そのものの快楽の存在を認めると自分が偽物のように感じられてしまって「嫌な」のかもしれないと思います。繰り返しますが、僕はそんなあなたのことを否定しているのではなく、「そうではない」回路(庭)を用意するとことが、これからの社会には必要だという話をしているわけです。これは個人のアイデンティティに直結する話なので、なかなか受け入れてもらえないと思いますが……。

市場や共同体「だけ」では救われない魂がある。そして、あまり気づいている人はいないかもしれないけれど、誰もがいつでも、そのような状況に置かれる可能性があるし、現にそのような人たちは社会のいたるところに存在している。そして僕は「何者か」を問われない場所ーー「市場」でも「共同体」でもない「社会」ーーがしっかり成立していることが、やっぱり大事だと考えています。

いま、『すばる』で連載している『第四の主体のためのノート』は『庭の話』の直接的な続編です。僕と同世代の、ある中年男性を主人公にした(?)ひとつの物語のような批評にしたいと考えています。(このnoteにも3ヶ月遅れで転載していくつもりです。)

本当は、47歳の抱負的なものを(どちらかと言えば自分自身に言い聞かせるために)書くつもりだったのですが、気持ち的にどうしても『庭の話』の話になりました。今日もこの後、講談社さんと話し合いがあります。どのようなかたちになったとしても、『庭の話』はみなさんに手にとってもらえるかたちは維持したいと思います。もしよかったら、未読の方は手に取ってみてください。そして、47歳の僕もよろしくお願いします。47歳は、楽しみながら新しいことに挑戦するつもりです。

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宇野常寛 僕と僕のメディア「PLANETS」は読者のみなさんの直接的なサポートで支えられています。このノートもそのうちの一つです。面白かったなと思ってくれた分だけサポートしてもらえるとより長く、続けられるしそれ以上にちゃんと読者に届いているんだなと思えて、なんというかやる気がでます。