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人間が「場所」に自由を感じる条件(カフェとコワーキングスペース、そして宇野書店)

今日は空間についての「そもそも」の話をしてみたい。

僕はよくチェーン店のカフェで仕事をしている。自分が契約しているシェアオフィスが1つと、関係者特権で無料で使用できるコワーキングスペースが2つある。しかし、ほとんど行かない。理由は単純で、「宇野」として認知されるからだ。もっと言ってしまえば、カフェでどこの誰か分からない人間として「許容」されるのが気持ちがいい(安心する)からだ。僕の考えでは、カフェが、ラップトップを広げて「仕事」をする人間で溢れてしまうのは、たぶんこれが原因だ。XやYouTubeのコメント欄には、承認欲求ばかりが強く、能力は低い人が溢れていて、彼ら彼女らの脳内は「何者かになりたい」みたいな願望でいっぱいなのだろうけど、人間には「何者か」になりたいという欲望と同じくらい、「何者かを問われずに許容されたい」欲望があるのだ。その欲望が、自分のやっていることが、どこの誰かとは関係なく受け入れられている状態を心地よく感じさせているのだ。

そして今日は、そのうえでもう少し踏み込んで考えてみたい。

たとえば、宇野書店にはこうした考えから「仕事」ができるデスクと椅子(と電源)を設置している。おかげさまで、いろいろな人に使ってもらっているのだけれど、世界には(たとえば東京には)、同じような設備があり、もっといい立地にありながら、まるで使われていないような場所がたくさんある。大きなオフィスビルの「コミュニティスペース」「(自由に使っていい)ワーキングスペース」みたいなやつがまさにそれで、立地も設備も宇野書店のそれよりもぜんぜんいい。しかし、あまり使われていないケースがたくさんある。これをどう考えたらいいのだろうか。

僕の考えでは、この問題は人間が何に自由を感じるのかという問題にかかわっている。

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僕はもはやFacebookやTwitterは意見を表明する場所としては相応しくないと考えています。日々考えていることを、半分だけ閉じたこうした場所で発信していけたらと思っています。

宇野常寛がこっそりはじめたひとりマガジン。社会時評と文化批評、あと個人的に日々のことを綴ったエッセイを書いていきます。いま書いている本の草…

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