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「(都市部のホワイトカラー層の大好きな)改革」の時代はなぜ終わったのか

先日、年末に引き続いて與那覇潤さんと対談した。テーマは「外国人問題」だ。もちろん僕も與那覇さんもいわゆる「外国人問題」が半ば疑似問題に近いことは百も承知だ。その上で、なぜこのようなことがーー存在してもいない「問題」がひとり歩きしたり、実際の問題が都合よく脚色されて独り歩きしたりすることがーー起きるのか、そしてこの排外主義的なムードがこの先どうなるのか、中長期的にどう対応するべきなのかを議論した。

たいへん残念なことに、すでにフェーズとしてはこの排外主義的なムードに「水を差す」ということで、おそらくは僕たちはいわゆる「ネトウヨ」たちから、攻撃の対象になるだろう。先に「反日」論客を攻撃してスッキリするという目的が存在して、それに合わせて都合のいい情報が(当然、内容は吟味されない)「論拠」として(5分くらい検索されて)挙げられてくる……という展開が簡単に目に浮かぶのだけれど、こうした頭の痛い状況をどう打破というか、「改善」していく道筋をしっかり議論したので、ぜひご覧いただきたい。

さて、その上で今日書いておきたいのはこの議論の中で與那覇さんが示した「平成」政治の分析のことだ。これが滅法面白く、当日は収録の事情を忘れて話に夢中になってしまったのだが、與那覇さんは平成の政治史のターニング・ポイントは2015年の安保法制にあったと言う。

どういうことかというと、それまではいわゆる平成の「政治改革」のムードが生き残っていた。つまり55年体制を日本の政治文化の未熟と断罪し、特に旧社会党的な左派のそれを敗北主義(最初から二着安泰狙いの処世術)と批判し、時代遅れの社会/共産主義を捨て、「第三極」として主に経済政策で自民党と対立する勢力を形成するーーこれが「平成の政治改革」だった。その行き着く先は、中道二大政党による「常に政権交代可能性のチラつく議会制民主主義の成熟」で、2009年の民主党政権はその「成果」のはずだったのだけれど、たった3年で民主党政権は崩壊し、この試みは「失敗」に終わった。

僕はその平成の政治改革の理念は基本的に間違ってはいないと考える(いろいろ、いや山程反省点はあるが……)。しかし年末の「宇野書店」のイベントで音喜多駿が述べたように、「日本維新の会」の自民党との連立はこの「第三極」の消滅以外の何ものでもないい。いや、まだ国民民主党が……と言いかけたそこのあなたは、玉木雄一郎が早苗様の一の子分になりたくて、毎日アピールしている現状をシビアに評価するべきだろう。

そして與那覇さんはこの「平成」の「改革」のモードの「終わりの始まり」は2015年であり、ここには身も蓋もないことを言えば「階級」の問題が強固に存在すると言うのだ。

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僕はもはやFacebookやTwitterは意見を表明する場所としては相応しくないと考えています。日々考えていることを、半分だけ閉じたこうした場所で発信していけたらと思っています。

宇野常寛がこっそりはじめたひとりマガジン。社会時評と文化批評、あと個人的に日々のことを綴ったエッセイを書いていきます。いま書いている本の草…

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