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「戦後」を歴史化するために

先日與那覇潤さんと久しぶりに一対一で対談した。テーマは「戦後80年」ーー高市早苗政権の誕生は、少なくとも戦後民主主義という「物語」の終わりであると考えるのが僕と與那覇さんとの見解の一致で、議論はそこから始まった。

一応、断っておくが僕も與那覇さんも高市政権には(当然)批判的で、リベラルを叩く道具に使えるから高市早苗を相対的に擁護しようとか、いま高市早苗を持ち上げると数字が取れるとか、そういうことは微塵も考えていない。動画を見ればそれはさすがに理解してもらえると思うけれど、一応、ここでも注意しておきたい。

さて、その上で今日は収録からこの一週間くらい考えていたことというか、この対談、かなり手応えがあったので與那覇さんとは第二弾もやろうかと話しているのだけど、そこで一緒に考えてみたいことなどを書いてみたいと思う。それは要するに対談の中で出てきた「戦後の歴史化」という問題だ。

與那覇さんが、戦後民主主義は「ワクチン」のようなものだという(うまい例えだ)。要するに近代化の不十分な「12歳の少年」である日本が昭和初期のような決定的な間違いを犯さないようにするためのもの、それが戦後民主主義というワクチンだ。そしてその副反応が、いわゆる「戦後民主主義批判」のクリシェとして並べられる偽善性や、「ごっご」性だったりする。もちろん、その副反応は抑えられるように改善するべきなのだが「ワクチン」を打たなかったほうがいいとは言えない、というのだ。これは明晰な整理で、つまり戦後民主主義擁護(トータルでは打ってよかった)と戦後民主主義批判(副反応が出ないようにこれからは改善していこう)はこの整理で両立し、「次」に行くことができるというものだ。

しかし問題はそうする前にワクチンの効果が「切れて」しまったことだと與那覇さんは言う。具体的には2015年の第二次安倍政権における安保法制と戦後70年談話あたりがターニングポイントで、高市早苗政権はその帰結だというのだ。ではどうするか? 與那覇さん曰く、何らかの「ワクチン」を打ち直す必要があるという。ではその「ワクチン」とは何かと言うのが、僕たちの主な議題だった。

詳細はまあ、動画を見てほしいのだけれど、ここでキーワードになったのが「戦後の歴史化」だ。要するに、80年前の決定的な「敗戦」はいささか、いやかなり強引に戦前と戦後の間に分断線を引き、それ以前(1945年以前)の時代が「歴史」化され、日本人の歴史観が再構築された。あれから80年が経ち、いまだに僕たちはこの1945年に再構成された歴史がアリか、ナシかという議論を継続している。ただ現代においてはアイデンティティの政治により経済構造的、情報環境的に承認を直接的に与えてくれるナラティブが求心力を得やすいために、「ナシ」派が「アリ」派を圧倒し、10年ほど前に「ワクチンが切れてしまった」のだ。

こうして考えてみたとき、おそらく有効なのはやはり歴史の再構築なのだろう。1945年以前の「歴史」はもはや作用しない。少なくともかつてのようにーー親や祖父母が戦争を体験していた時代のようにーーは機能しない。しかし歴史化された近過去の記憶だけが支えられるものがある(特に、今日のように流動性の高い社会においては)ので、それを再構築すべきというメッセージが近年の與那覇さんの仕事の中核にあるように僕は思うし、それはとても大切な指摘だと思う。

僕が最近、労働史というか、労働者のアイデンティティ問題に関心があるのも近い問題意識で、要するに福祉国家+フォーディズム(社畜になる引き換えに「父」になる)から新自由主義+ポストフォーディズム(ビジネスで自己実現……できるのは一握りなので、実質自己啓発で成長の快楽に酔う)への変化というものも、「歴史」化するべきだと思うのだ。こうすることではじめて、戦後の「あの頃」に人格形成したあなたは「自己実現としての家父長制」イデオロギーを信じて、自分より弱い妻子に必要とされる人生が「唯一」解だと思いがちだけど、それはある時期に経済的、政治的につくられたイデオロギーなので、その差別構造はもはや肯定されないし、他の生き方もあるのですよ、的な話もできると思うのだ。(「歴史化」なくして「相対化」もない。もちろん、これは単なる「例」で、彼らが「はい、そうですか」とすぐに納得はしないだろうが、ここからはじめるしかない。)

また、福嶋亮大さんが最近よく、戦後80年という「枠組み」こそが自国中心主義だという批判を展開している。これはその通りで、南北朝鮮はいまだに「戦時中」だし(朝鮮戦争は「休戦」しているだけだ)、習近平的に言えば中国は日清戦争で日本に奪われた台湾を自国にまだ取り戻していない。戦後の「歴史化」はこうした自国中心主義を解体していくポテンシャルを秘めているとも言えるだろう。

與那覇さんは今年出版した『江藤淳と加藤典洋』(これは個人的に今年ベスト級の傑作だと思う)のポイントは晩年の加藤の「転向」に注目していることだ。


まあ、転向と言うのは大げさかもしれないが、加藤は晩年、日本と言う主体を再構築できる新しい物語を設定するというかつての自身の主張のリスクを厳しく評価するようになる。

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僕はもはやFacebookやTwitterは意見を表明する場所としては相応しくないと考えています。日々考えていることを、半分だけ閉じたこうした場所で発信していけたらと思っています。

宇野常寛がこっそりはじめたひとりマガジン。社会時評と文化批評、あと個人的に日々のことを綴ったエッセイを書いていきます。いま書いている本の草…

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