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「自分を生きる」とは何なのか

久しぶりの投稿。

ここ最近、旅だったりと外に向けての大きな動きは少ないものの、いろんな学びや気づきを通して自分の意識が日々変化しているのを感じている。
ただ、アウトプットが全然追いついていない。

下書きやネタは沢山あるのだけど、エネルギーが乗らないとうまく書き進められないのと、日々の意識のアップデートにより、下書きしたものが「あれ、今の私の感覚ではまた違ってくるな」となってしまって、なんだかスムーズにアウトプットできていない。。

なんなら過去の投稿も、「あちゃー、なんとも未熟な表現だったなぁ。。」と目を逸らせたくなるようなものも沢山あったりして😂

でも、今この瞬間も未熟だし、死ぬまで成長の過程だから、そのプロセスをそのまま表現して残すことに恐れずにいようと思う。
いつまでも完璧は訪れないから、そのままで走り続けようと思う✊

私のプロフィールにもあるとおり、このnoteは「わたしを生きるジャーニー」をテーマに綴りはじめた。
そして私にとって「自分を生きる」とは何なのか、そのプロセスをやっと言語化出来そうな気がしている。

現時点での私の経験や感じてきたもの、その学びの落とし込みということを前提に書いてみようと思う。



<「わたしを生きる」旅路のプロセス >

幼少期に親からの条件付きの愛を経験する。
これは多くの人が大なり小なり経験しているものであり、親自身もその親から受け取ってきたもの。
「成績が良いと喜んでもらえる」
「いい子にしていたら褒めてもらえる」
「お兄ちゃんなんだから我慢して」など…
「ありのままの自分ではなく、○○である自分が愛されるんだ」と受け取ってしまう。
「○○でなくては愛されない、価値がない」という思い込みが生まれる。

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誰かの為になることで、誰かからの言葉によって、自分の価値を認識したり、価値を証明しようとする。
「他者からの評価=自分の価値」になりやすく、承認欲求や自己犠牲になりやすい。この思い込みは、苦しみや人間関係のトラブルも起きやすい。
今の社会の仕組みも評価が可視化されやすく、この思い込みを助長してしまう。

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「本当の自分」と、「社会に求められる自分や他者に期待される自分、それに応じようとする自分」にいつの間にかズレが生じ、そのギャップに苦しむ。もしくはそのズレに気づけないまま、その役割を抱え続ける。
本当は自分は何がしたいのかわからなくなる、生きる意味を見失う、といったことも起きてくる。
これが極端になると心身の不調をきたす。

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自分への癒しと赦しがはじまる。
幼少期に抱えた未解決の感情やトラウマを、一つひとつ丁寧に感じ、癒していく。
「○○でなくては愛されない」という思い込みから、自分はそのままでも愛される存在だという感覚へと上書きしていく。
自分の内側にある傷ついた女性性と男性性を癒し、依存心や過度な自立心の偏りから、本来のバランスを取り戻していく。
自分を愛することを学びながら、自分自身を再構築していく過程でもある。
自分自身が抱えてきた痛みだけでなく、家系に受け継がれてきた負の連鎖にも向き合い、それらを癒していく。
自分に寄り添い、自分を愛する覚悟とともにその道を歩む。

※ここで自分自身で向き合うことを避けて、他者の愛や評価だけで自分を埋めようとしたり、自分を成り立たせようとしても根本的な解決は難しい。

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誰かを助けたい、こうあってほしい、こうあるべき…そんな強い想いの背景には、自分の中にまだ癒しきれていない過去の傷や痛みが投影されていることがある事に気づく。

強すぎる使命感や「自分がどうにかしなくては」という思いは、ときに相手をコントロールしたい気持ちや、共依存の関係を生み出してしまうこともある。
この段階では、「正しい・間違っている」「良い・悪い」という価値観で物事を判断し、自分の正義を相手に押し付けやすくもなる。

相手の自由意志と選択を尊重すること。
相手の人生の責任と主導権は相手自身にあることを前提に、その人が本来潜在的に持っている生きる力や、自ら成長する機会まで奪ってしまわないかを見つめる事も大切。

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全ての存在がそれぞれに尊い学びの中を生きている。どんな経験にも意味があり、その一つひとつが、その人だけの大切な人生のプロセスである。
その事に尊敬と慈愛を持って見守ることの大切さを知る。
その過程に優劣はない。先に進んでいるから良いのでも、成長のスピードが早いから良いわけでもない。それぞれのタイミングとペースがある。

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癒しが進むにつれて、何かが出来るかどうか、何かを成し遂げたかどうかの前に、ただ私という存在自体に価値があったと認められるようになる。
何者かになろうとして自分の価値を証明する必要はなくなる。
わたしはわたしのままで良い、という感覚が増えていく。

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何者かになろうとせずとも(自分の価値を見出そうとせずとも)、自分の純粋な喜びと愛に生きる事が自然と誰かを癒したり、勇気づけたり、誰かの喜びや生きる力になっていく事に気づく。

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その無理のない自分のままで心地よい循環の中に生きる事の喜びを感じられる。
各々が自立した健全な相互依存の関係の中で生きられる。

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「わたしはわたしを生きている!」
それが社会への、世界への貢献になっているという実感。



ここで伝えたいのは「わたしは私を生きている」という実感を得ることがゴールだと言いたいのではなくて。
迷いも葛藤も喜びも、すべてが「自分を生きる」プロセスであり、全てが尊い経験で、その経験自体にすでに価値があるということ。

その過程で表現が生まれ、アートも生まれる。
悩み、葛藤し、もがきながらも一歩踏み出し活動していく姿は人の心を動かすし、勇気や感動を与える。

下に向かう矢印の一方通行ではなく、何度も行ったり来たりを繰り返すし、ある事柄では前に進めたように感じても、また別の事柄を通して振出しに戻ってしまったような気持ちにもなる。
でもちゃんと進んでいる。

誰だって自分らしく生きる事で、誰かの力になれたら幸せだ。
きっとみんなそこに向かっている。

それには自分を内省しみつめる、内側へのアプローチと、社会やコミュニティの仕組み・在り方を見つめる外側へのアプローチが必要だろうと思う。

この旅路は条件付の愛からはじまり、自分を愛すること、自分と他者を赦すこと、無条件に愛することまで続いていく、ずーっと愛を学ぶプロセスでもあるように思う。


そして一番大事なのは

誰のものでもない、わたし自身の感覚を誰よりもわたしが信じてあげる事でしか「自分を生きる」ことは始まらない
ということ。

周りのサポートを受ける事は出来る、背中を押してもらうこともできる。
でも、本当に自分を変えられるのも、救えるのも、愛せるのも、最終的には自分の意志なんだ。

簡単に一朝一夕にできる事ではないし、本当にコツコツと地道な道のりだと思う。
その過程で孤独を感じることもあるかもしれない。

それぞれの旅路は異なるけれど、一人じゃないし、同じように歩む仲間もいるし、わたしもいる。

これからも「私を生きる」ジャーニーを歩んでいこう☺️








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