チャーリーとチョコレート工場と、ミッキーの薄切りパン【湧的思考8】
**日々あらゆる考えが湧き出て止まらない私の思考。その一部を【湧的思考】としてお届けします。**
チャーリーとチョコレート工場の「貧しいが幸せ」を伝える冒頭の演出
全然専門分野じゃないけど、演出について、少し話します。
少し映画のネタバレ(冒頭15分くらい)を含みます。
金曜ロードショーで、『チャーリーとチョコレート工場』を観た。厳密には子供を寝かしつけなければいけないので、冒頭の15分くらいしか観れてないのだが。けど15分観ただけでも、やっぱティム・バートンは凄いなぁと感じた。消したけども。(前々から思っとるが、金曜9時から二時間は深いんじゃ!7時からやってくれ!)
映画は、こんなナレーションで、チャーリーが紹介される。
“Charlie Bucket was the luckiest boy in the entire world. He just didn’t know it yet.”
(チャーリー・バケットは世の中で最も幸運な少年でした。しかし彼自身はまだそれを知りませんでした)
そして、ここから、チャーリーが『めちゃくちゃ貧乏少年』であるということを観客に理解させる演出へと入る。
さて、どのようにビジュアルや芝居の台詞回しで、この貧しさの奥行きと、その貧しさの正当性を視聴者に伝え、感情移入させなければいけない。ナレーションで繋ぐこともできるが、くどくなるし、映画の世界観に没入できなくなる。
たとえば、次いで
「それは、お父さんがいつものように、お母さんがパートで稼いだお金をスロットマシンにぶっ込んで、溶かしてしまった晩に起こりました。」
みたいなナレーションが入ってはだめだ。
まず、ティムバートンは、驚くほど傾いた家をフレームに映し出した。エンディングでサザエさん一家が突入した瞬間の家くらいに斜めっている。
この演出で、「この世界には、建築基準法もなければ、重量の規則性もない」という、得意のファンタジーな世界観を成立させる。(だから、のちにチャーリーが取った『これって拾得物横領罪じゃないか』という行動もラッキーで片付けさせる)
雪の降りしきるなか、チャーリー少年が、その斜めな我が家に入ると、
母親と四人の老夫婦が暖かく迎える。
この場面は様々な情報を伝える。
「実はチャーリーの家は、三世帯同居で、とっくに定年退職した祖父と祖母ばかりか、ひいおじいちゃんやひいおばあちゃんがまでご健在なので、国の社会補償だけではやっていけないが、追い出すようなことは考えられないくらいに優しいので、貧しいのです」という余計なナレーションは必要ない。
このシーンだけでそれを、演出だけでやってのけるのだ。
やがて場面は、母親がキャベツのスープを作るシーンへと映る。そこへ、今度は父が帰ってきて、家族に挨拶をして、キッチンでスープを作る母親にハグをする。とても仲睦まじい雰囲気。(ここで、貧乏の要因は父親のギャンブル依存や、一向に働かない親父のせいではないかという疑念は完全に消える)
母親は、夫に「何か、スープの具材になるものはあったか」と聞く。たじろぐ夫の様子を見て、察した妻はこう言う。
“Nothing goes better with cabbage than cabbage.”
キャベツに合うのは、やっぱりキャベツね。
いっけんすると、ものすごい当て擦りにも、聞こえなくもないが、母親のウィットに富んだ切り返しに私もクスリときた。
ちなみに、この少し後の場面に出てくる、失職状態になった夫に対する
“I’ll just thin down the soup a little more.”
スープをもう少し薄めればいいわ
という健気なセリフへの伏線になっている点も見逃せない。
このように開始15分で、視聴者をこの健気なチャーリー一家に感情移入させる。私も子供を寝かしつけなければいけないというタスクさえ発生しなければ、ダラダラ観ていた。
話は逸れるが、たまに映画の宣伝で、「衝撃のラストを見逃さないでください」みたいに煽るけど、いや、それをさせないように面白くつくるのがあんたらの仕事やろ、と思う。『カメラを止めるな!』みたいな例外もあるが。
基本的に、面白い作品は最初から面白い。
主人公に金がない理由
さて、演出の話に戻る。
まず、『貧しい正直者』というモチーフは、設定としてめちゃくちゃ使い勝手がいい。
日本昔ばなしも、シンデレラも、赤毛のアンも古今東西使われまくってる。アニメ世界名作劇場なんて、揃いも揃って貧乏少年(少女)である。少し昔だが、『お金が無い!』という、織田裕二主演のドラマが大ヒットしたが、これも同じモチーフである。みんななぜかお金が無い。
いわば擦り尽くされたテンプレなのだが、まだまだ使える。ティファールみたいに使い勝手のよさがみなから愛されるのだ。
何故なら、最初がマイナスであればその後の話がプラス(スカッとする)の方向にしか進まないからだ。貧しいけど、心は優しい主人公が出てきたら、そんなんハッピーエンドになるに決まっている。
激アツ展開の確定演出。なぜなら、これ以上悪くならない。チャーリーとチョコレート工場も、このテンプレを使っている点では月並みな設定といっても仕方ない。
しかし、いかに、この『貧しさ』と『優しさ』をうまく表現させるかで、作品としてのクオリティに雲泥の差が生まれる。
説明ではなく演出の力で魅せる
単純に、「50億の借金があります」と伝えれば、貧乏だという情報は伝えられるが、全く感情移入できない。「あっそう... 」でおわりだ。
相手は、プレゼンを聞きに来ているわけではない。ストーリーに浸りに来ているのだ。数字の大きさだけで伝えてはだめなのだ。
その点において、チャーリーとチョコレート工場という作品は素晴らしい演出であった。チャーリーの優しさが滲み出る、言葉や対応、それをつつむ家族とのやりとり、なんかもう、めちゃくちゃ応援したくなる。
「ほなら、おっちゃんがチョコレートなんぼでもこうたるわ」と言いたくなる。ドンペリだって入れたくなる。
これが、演出の力なのだ。
さて、貧しい演出という点で、もう一本。ディズニーのジャックと豆の木という古いアニメーションも思い出したのでこれも紹介したい。
1ミリの食パンで作るサンドイッチ
結構ミーム化してるのでググったら出てくるけど、ミッキー、ドナルド、グーフィーが夕食だか朝食だかをみんなで食べるシーン。これがまた、貧乏の演出としてインパクトがあり、秀逸である。
ミッキーが、サンドイッチを作るために、一斤の食パンを二枚ずつにスライスしてみんなの皿に配っていくのだが、その薄さが尋常じゃない。8枚切りどころでは無い。
テレビショッピングで包丁の切れ味をアピールするかのごとく、すけっっすけでペラっペラの、吹けば飛ぶような食パンが切り分けられ、ひらりひらりと舞うように皿に落ちる。
それを涙を溢しながら、見つめるドナルドやグーフィーたちの表情がまた、せつない。
次いで、一粒の豆をまた人数分にスライスしていく。
これがまた、薄い。これを先ほどのパンで挟み込んでサンドイッチをつくる。
そして、カメラは薄いパンと豆を挟んだ名ばかりのサンドイッチをつかみ、眺めるドナルドの正面のカットを映す。悲しいかな、薄いパン越しに、ドナルドの顔がしっかりと透けている。
直後、ドナルドは発狂して皿ごと食べ出す、そんなシーンだ。
なぜ監督はミッキーにこれほど薄くパンを切らせたのか。なぜ、サイコロカットにしなかったのか。
それは、パンと豆の薄さが、貧乏のパロメーターとして機能することを理解していたからである。
貧乏とは、薄さである。といわんばかり。
これが、演出なのである。
まあ、とくにオチもない話ではありましたが、思いつきで記事にしました。
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