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性格は診断しない方がいい理由【湧的思考12】

**日々あらゆる考えが湧き出て止まらない私の思考。その一部を【湧的思考】としてお届けします。**

カテゴライズされるスッキリ感

性格分析は、「〇〇型」「△△タイプ」と
類型化することで、スッキリしようとすることが多い。

血液型占いとか動物占いとか、キャラクターで言ったら誰タイプとか、
エビデンスに乏しい飲み会レベルのものから、エニアグラム、エゴグラム、BIG5などある程度科学的根拠を含むもの、有料の〇〇診断(たたかれたたくないので何とは言わんが)といった本格的なものまである。


たしかに、自分が『何型』か分かれば、スッキリする。
しかも動物占いみたいに、ビジュアルイメージがつけばなおさらスッキリする。
たくさん質問に答えて、最後に『ゴールに辿り着けました』みたいな到達感がある。

そういう一時的なスッキリさ欲しさに
無計画、無作為に性格分析を求めると、
思わぬ落とし穴に落っこっちゃうよって話をします。

『診断』と『問診表』

いうまでもなく、『診断』は、答え(結果)を出さないと診断じゃない。

例えば、あなたが体調不良で病院にかかったとしよう。
医者はこのように聞く。
「熱はどうですか?」「頭痛はしますか?」「食欲はありますか?」
あなたは答える。
「37.5℃あります。」「頭は痛くないです」「食欲はあります」
そうすると、医者はカルテにサラサラっと何かを、記入した後に、
神妙な顔でこういったらどうだろう。
「わかりました。あなたの熱は37.5℃で、食欲はあまりないようです、ただし頭痛はありません」

あなたはそんな言葉を欲してはいない。
欲しているのはこういうセリフだ。
「単なる『風邪』ですね。お薬をあげましょう」
それが、診断である。

性格診断も結果がなければ、ただの街頭アンケートだ。
「普段どんなシャンプーつかってますか?」と変わらない。
「ご協力ありがとうございました」で満足する人はいない。
だから、結果をもとめて、診断を受ける。
しかし、性格診断は、ある落とし穴がある。

それは『性格は診断できる』という、前提に立って作成されいる、ということだ。

性格って診断できるの?

そもそも、「胃腸風邪」とか「糖尿病」みたいに、
性格って診断できるものなのか?って話で
「狼型」とか「火星人タイプ」とかいう性格は存在するのか?
それは、「陰性・陽性」だとか、血液型のように
はっきりと検査可能なのものであろうか。
むろん、Noだ。

性格というのは、身長や年収のように測れるものではない。
(心理学ではこのような「測れないものを、測れる形にするために作られた“理論上の箱”」を構成概念とよぶらしい)
たとえば、性格的な明るさ、暗さというのはルクスという単位では測れないし、
ある人にとっては明るいと思っても、別の人は暗いと思うかもしれない、
そういう相対的なものもある。
(内向性、外交性などある程度、脳波は電気信号で測定できる部分もあるらしいが、それもきっぱりわかれているものではない)

私たちの性格はいくつかの『タイプ』で定義できるようなものではない。
「こういう傾向がありますよ」っといったスペクトラム(連続性をもったもの)なのだ。

でも、受ける方はそうじゃない。
「そうだったのか」という、池上彰的な明瞭さ、スッキリさを求める。
だから、無理くり8タイプにわけたり、16タイプに分けたり。
そもそもスッキリ気持ちのいい数にしている時点で商業臭い。
11タイプとか17タイプとか、あんまキリが悪い数字に分けない。

しかも、血液型は変わることはないが、性格は変化し続ける。
であるなら「あなたの性格は〇〇型である」とかたにはめるのは、
連続性を無視している。

そういった自分のパーソナリティの複雑さを、
性格診断で分類化して上手にまとめすぎて、
切り落としてしまった大切な希少部位もあるんじゃないかな。
それって、めちゃくちゃ精密でオリジナリティな自分を
軽視しちゃってるんじゃないかな。

診断されるせいで、診断通りにふるまう

さらに、私は、診断結果を思い込むようになり性格が固着化し、特徴が強化されるデメリットも結構深刻だと思う。

映画にもなった有名な『スタンフォード監獄実験』では、大学生が囚人役を演じることで、より囚人らしく振る舞い、看守役は高圧的に振る舞うようになった事例(注:古い実験なので後続研究で問題点も指摘されてる)もあるし、日本でB型の人は、「自己成就予言」みたいので、実際に離職率などに影響が出てるとの研究もある。
ようするに、「あなたは孤独な一匹狼型人間です」と診断結果がでたことで、そう思いこむようになっちゃって、余計にベジータみたいになっちまうんじゃないかってこと。

また、「私は〇〇型だから、これができないのは仕方ない」
「これができないのは、〇〇型のせいだ」
と、原因論的に考えて、やりたくないことをやんなくていい免罪符みたいに使っちゃうのもあんま建設的じゃないよね。

性格診断の商業的な側面を考える

性格診断というのは古いものから新しいもの、
科学的根拠のあるものや疑似科学、オカルト含んで、いくらでもある。
診断が悪いことではない。
ただ、いくらでも生まれるのは、儲かるからである。
なんも、篤志家が慈善事業でおこなっているわけではない。
それを踏まえて、少し斜に構えながらやった方がいい。

結果が出たからといって、何が変わるわけでもない。何かをしてくれるわけでもない。「〇〇型の人にはこちらの仕事が向いてます」までで終わらず、
求人情報まで渡してくれたらいいのだが。

それでも、キャリアや資格、年齢や職務経験、体質は人それぞれだ。
「〇〇型には蕎麦屋が向いてますから、そちらをお勧めします」と言っても、蕎麦アレルギーの人には通じない。

だから、カテゴライズは一時的に気持ちがスッキリする程度だ。
最初からそのスッキリ感に金を払いたいなら、別にいいんだけれども。

むしろ、診断結果よりも、診断に至る過程。
『問診表』の方が大事ではないかと思う。
つまり、「ですか?→イエス」というアンケートの方だ。

「わたしは寝る前に、肘のこの部分が痛みだす」という
症状にフォーカスを当てて、深読みをして
「じゃあ、こうしていこう」と対策をいくことが大切だ。

つまり性格分析においても、診断結果よりも、問診を繰り返し、
「何が好きか」「何が苦手か」「何を喜び、何を楽しんでいるか」
その自己申告を、主観的、客観的に吟味するほうが、
安易に、診断結果を求めるよりも具体的に対策を立てやすいのではないか。

このタイプはここの部署。この職場がいい。職業が向いてる、と、
杓子定規に振り分けてしまうよりもずっと建設的だ。

自分を知りたいなら、多角的に。

性格診断をする理由は、自分を知りたいからだ。
しかし、自分を知るということは、一筋縄ではいかない。
私だって、いまだに自分がわからない。
40年、自分をコントロールしたいために、色んな試みをしたが、
ようやく手がかりのきれっぱしをつかんだくらいだ。わかる気がしない。

若いころ、本当の自分を探すために、バックパックを抱えインドに単身…
行くような行動力と旅費がなくて本当によかった。

なんで自分はおろか親戚にさえインド人の血縁もルーツもないのに、インドにいけば自分が見つかると思っちゃうんだろう。

そんなとこにあるはずもないのに。

外に出るからこそ、自分がわかる、みたいのはわかる。その通りだと思う。
でも、自分を知りたいのなら、べつにリスクおかしてインド行くより、
ジョハリの窓みたいな、内観と対話による、多角的なアプローチがコスパが良いと思うのです。

多分、『自分を知りたい』→『性格診断』って発想が湧くのって、
一番手軽で、人間関係のわずらわしさを端折れるからなんだよね。
やりっぱなし、丸投げでOKだもん。
でも、やっぱり、自分のことを知るためには
身近な人との対話と自己開示が一番近道だと思う。

初見で、自分のことを知らない医師やカウンセラーに提出した質問シートを基に下された診断だけで自分を理解したつもりになるんじゃなく、
自分で自分を分析し、家族や友人、職場で交換しあって、
それで本当の自分の「得意」「不得意」「役割」「使命」みたいなのがわかる。

「自分は何が得意なのかな?」とか「自分ってどんなところが改善点だと思う?」とか普通に聞けばいい。

具体的に「それなら食器洗いは私が」「営業ではなく事務のほうが成績をあげれそうだ」と話し合った方が、社会にとってはよいと思います。

ちなみに、風邪という病気はなく、風邪っぽいけど、これと言った診断できないやつは、全部風邪らしい。
インフルエンザとかコロナじゃなければ、便宜上風邪でくくったほうが都合がよいのだ。

強引にまとめると、性格診断も、それくらいアバウトなものとして受け取るぐらいがちょうどよいのではなかろうか。

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