酒を抜くのは人生の損失か
そう思わせられる理由の一つに、酒とおしゃれが、社会的ラベリングとして多分に結び付けられている側面があるからではなかろうか。
あまたあるアルコールの広告しかり、コミュニケーションツールの一つとしても、大いに活用されてきた経緯もある。
酒は、一人で飲んでいても幻覚的楽しさがあることは否定できないし、中毒患者に落ちることは避けたいが、全く飲まずに過ごすというのも寂しい。
しかし、その一方で、社会がここまで酒=カッコ良いもの的宣伝をしなければ、飲みたいという欲求も幾分かは抑えられるのではないかという気もする。
かつてのタバコがそうだったように、広告を激減させ、人の健康意識を変えるだけで、そのものの社会的立ち位置は大きく変わる。
ただ、タバコが臭いという害を伴った分、見直す意識がスピーディーに受け入れられたが、アルコールが他者へ与える害が、場所や時間的制約の範囲内に限定されるためか、あまり普及していないように見えるのも事実だ。
とはいえ、アルコールにそうした制限をかければ、経済的に無視できない影響が出るだろうし、それが錯覚であるにしろ、人から楽しみの一つを奪うことにもなりかねない。
もっとも、ことここに至ってもなお、アルコールと運転にまつわるトラブルが多発するのは不可思議なことで、いっそありとあらゆる乗り物を起動させる際、運転手から微量でもアルコールが検知されたら、その場でロックをかけ動かないようなシステムを構築すれば良さそうなものを、そういう発想が出てきたのを聞いたことがない。
ともあれ、なぜこんなことを長々と書いているかといえば、昨日、いよいよワインセラーが我が家を去り、一抹の寂しさを禁じ得ないからだが、その分、実用的に生活に不可欠な冷凍庫が増えたのだから仕方ない。
酒を辞めても、その分若返ったかといえば全くそんなことはなく、冷静になる時間は増えても、人生の時間は、減るばかりなのである。
