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足をつく場所  696

一応、東の端で南の端とはいえ広島に住んでいる。
そんなだから「広島らしい」話も他の地域以上に届いてくる。

昨年、広島市のお隣の町、呉で製鉄所が閉鎖したことがニュースになった。
閉鎖に伴い「そこで働いていた人の次の仕事はどうなる?」みたいなミクロの話題を取り上げるニュースに溢れていたけれど…いつもニュースの前後、「どうしてそうなった?」と「そこからどうなる?」は案外伝えられないものだと感じている。

今頃になって、その跡地を軍事拠点にするようなニュースがテレビでも聞こえるようになってきた。
ニュースの「後」の話だ。
これって実は、呉大和ミュージアムでさえさっぱり興味の向かないわたしのようなその辺り素人の人間ですら、ニュースの前に「後が来るな…」と匂いを感じた話だった。
素人でも眺めればわかるって…今聞こえてるニュースは、ニュースの前から準備されていたものってことだよね、と思ってしまう。

で、そのあたりのいびつさを話したいわけじゃなくて。
疑問に思うのは、その軍事拠点という名のものは「平和都市広島」と毎日繰り返している街に合ってるんだっけ?ってことなのだ。
ちなみに「軍事って名前がつくんだから…」って方向から話したいわけでもないのだ、今回は。


以前、マザーテレサだったかガンジーだったかの言葉で「反戦のデモには参加しません。平和を語る集まりには参加します」というものを耳にしたことがあった。
これって、おそらくその集まりでたくさん耳にする言葉の中に「戦争」と「平和」のどちらの言葉も存在するだろうと推測できる。

でも「反戦デモ」と「平和の集まり」は違うのだ。
何が違うって「足をつけている場所」が。

おそらく、これって小さなことだけど大きな影響の出る話、土台の話。
そこが違えば続く道はきっと違う。
放射線状に分かれた道のように、同じ距離を進んでも見える景色は全く違う…そんな話だと思っている。


そこで思い出したのは昨年亡くなられた木内鶴彦さんのお話。
以前、ご自身のお話会に年配の余命宣告をされた女性がいらしたことがあり、ご一緒された方からその女性に「何か声をかけてあげてほしい」と言われた木内さん。
何を話せばいいのかもわからないまま女性と話すことになった時、伝えたことは「これからどんな風に生きたいですか?」だったという。
ハッキリと答えられない女性に「今の状態か、それとも(近くにあったポスターを指しながら)あんな風に生きたいか、どっちがいいですか?」みたいなことを聞き、ポスターの方を示した女性に「ならば、あのように生きると決めてください」とお話されたんだそう。

その数ヶ月後だったか数年後だったか(わたしの記憶が定かじゃないのだけど…)
ご自身の講演会の時、会場をサポートしてくれるスタッフさんが何人かいらしたのだけど、講演が終わったタイミングでその中の一人の女性が話しかけてこられたそうで。
彼女が言ったことが「以前、講演会で(ポスターのように)生きると決めてくださいとお話いただいた者です。あれから、そのように生きると決め、病気も寛解し、こうして講演会にも参加できるようになりました」という話だったから「えーと…」と思い出してみると…
当時年配の女性だと思っていた女性が、今目の前にいる若くはつらつとしている女性だったと分かりずいぶん驚いたというお話だった。


病気の寛解と平和と何が一緒なのさ?って、問題に対しての取り組み方…のように見えるけれど、実は「足をついた場所」なんだと思うのだ。
「問題を解決しよう=病気を治そう」と「あんな風に生きよう」は「目指す場所」じゃなくて「足をついた場所」が違うのだ。
(目指す場所への願いの放ち方というか、プロセスも違うように見えるけど…それはさておき)

「戦争反対」は誰が言っても「=平和」で同じなの?
どこに足をついているのか…そこがポイントなんじゃないか、それで違ってくるんじゃないの?なんて思うのだ。


その証拠になりそうだな…なんて話をひとつ思い出したのは
原爆投下後の広島で、日本とアメリカの血を引く作家がデザインした橋や石碑を出自を理由に時の長が不採用にしたという話。
それを、作家の知人の日本人建築家が少しアレンジし、その人の作品として出したら採用され、今でもそれは残っているし「平和のシンボル」として語られている…というお話。

この足場ってどこだ?


そして、こんな話を書いているわたしの足場もどこにあるんだ?
なんて思うと、簡単に「デモ」側に着地していることの多さに気づくし、それが世界を作っているってことにも残念ながら納得できてしまう…
そんなことを考えた波打つようで静かな午後だったのでした。






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