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統一運動《2/5 今日は何があった?》


1965年 日本巡回、8カ所の聖地決定 広島 👇


1965年広島城跡に聖地決定 福岡教会へ 👇


1965年御言「行きたいところ、会いたい人、住みたいところ」 👇
1969年真の御父母様御一行の第二次世界巡回路程に久保木修己会長が同行 👇
1974年真の御父母様御来日、御言(本部教会) 👇

1995年第3回「世界大学生指導者平和セミナー」(~9,中国北京)
1998年 4千万双祝福勝利および真の父母様み言訓読大会 栄州、室内体育館
2003年清心病院・清心韓方病院奉献式(韓国 天宙清平修錬苑) 👇


2003年 「2003世界平和のための頂上会議」、ソウル、ロッテ・ホテル
2004年リトルエンジェルス2004日本公演(~19,10ヶ都市)
2020年第4回鮮鶴平和賞授賞式(韓国・KINTEX)

《1965年 日本巡回、8カ所の聖地決定 広島》
真の父母経p584

日本第一次巡回

 真のお父様御一行は、一九六五年一月二十八日、第一次世界巡回の最初の地である日本の羽田空港に到着し、日本の食口たちから熱烈な歓迎を受けられた。この日、日本の本部で歓迎大礼拝が行われた。翌日、真のお父様は、統一旗を日本教会に授与され、統一教会の印を押したハンカチを全員に下賜された。その後、東京と名古屋などの地を歴訪しながら聖地を選定され、二月十二日の午前、アメリカに向かわれた。

25 お父様は、日本を離れてから二十年ぶりに日本に来ました。日本についての思い出がたくさんあります。命を懸けてこの道を出発し、今まで歩んできました。何度死ぬ覚悟をしたか分かりません。悲惨な死の状況に直面したときに、どのような態度を取るかを決定してから出発したのです。私が韓国で今までこのようなことをしてきたのは、食べるものがなかったからではありません。名誉に駆られてではありません。誰かが慕わしくてではありません。ただ、神様と神様の心情を知っているからなのです。

広島教会和動会での御言
一九六五年二月五日朝食後~昼, 広島教会
https://cafe.daum.net/ckatkfkdrhdqn/W5v0/14?svc=cafeapi
三度の祝福

《1965年広島城跡に聖地決定 福岡教会へ》
日本統一運動史p204

 「2月4日午後8時ごろ特急 「しおじ」で広島にお着きになった。 市内の中心部を通って教会に着かれ、 「勝利の歌』 の合唱の中を部屋に上られ...お話が始まった。
「30億人類は歴史的心情 イエスの内的心情, 十字架の内外共の心情を全体的に知って心情的蕩減の基準を地上に決定させ、 神を慰め、あなたを見てすべての苦労を忘れ、 あなたがあるから新しい希望、新しい勇気を持つことができるところまで行かなくてはならない』。
 その日は午前3時にお休みになった。 5日 ・・・ 朝食の後、 昨晩のように質問および和動会が行われた。 2時20分御出発。 広島城跡(大本営跡)に聖地決定される。 ….. その後県庁の前へ、そして駅へ。 午後3時22分発『みどり』で福岡へ。 別れがたい大先生は車中の人となられ、窓ガラスに「しっかり』 とお書きになられた。」 (『成約新聞』 特集号、1965.3.15付より)

福岡 (1965, 2.5~6)
 「歴史的瞬間を迎えるだけに緊張感もまた隠せない。 『複雑な心境!」 と竹内みつゑ (現 長谷川) 地区長の感想であった。 19時42分
列車到着の予告を受ける。 御到着!真・・・ゆったりとした暖かい御手で固く握手して下さる。 ・・・午後8時、 休憩の時間を惜しまれ、 早速講話をされる。 「行きたいところ、 会いたい人、住みたいところ」と題して、人類が求める真の姿、真の故郷、 そしてそこに行かんとする我々その歴史的使命、 持つべき決意等について約1時間半にわたって語られた。 夕食後12時頃より和動会に入り、 大先生は韓国の歌を5、6曲も歌われ、 終了したのは2時頃であった。...
 6日、 兄姉と福岡最後の食卓をとられた後、 聖地決定のため、 西公園に向かう。 片手に市内全域を見下ろし、片手に博多湾を望む風景の美しいところである。 ···出発数分前、 すべての兄姉に力強い握手をされ、悠然と機上の方へ歩まれる。 振り返り、 振り返り 兄姉の見送りに応えられる。 タラップを上り、 機上からも手を振って下さっている。11時5分、 2日間の福岡滞在を終えられた。」 (『成約新聞』 特集号、1965. 3. 15 付より)

《1965年御言「行きたいところ、会いたい人、住みたいところ」》https://cafe.daum.net/ckatkfkdrhdqn/W5v0/15?svc=cafeapi
一九六五年二月五日 午後八時~九時半
福岡教会

《1969年真の御父母様御一行の第二次世界巡回路程に久保木修己会長が同行》
日本統一運動史(光言社)p294

 2月5日、 真の御父母様御一行に、 久保木修己会長も加わり、羽田からハワイ経由でサンフランシスコへ向かわれました。
◇ 留守を守る教会員への御言
 「久保木会長が先生と一緒に行くことになっているのを知っているだろ。 その間、 日本においては全体が一体となって行かなければならない。 心配なのはアダム・エバの男女関係だよ。 主人がいない留守の間、子供同士が喧嘩する・・・、 その中心者がいないといって気ままにそれをやったらいけないよ。 •••先生がいなくても、 先生がいるような心持ちで··· いつも畳を二つおいて先生がいるつもりで挨拶しなければならない。 それから我々が祈るということは自分のために祈るのではない。 世界のために祈る。 神のために、 先生一行のために、 その時間は祈ることをお願いします・・・」

《1974年真の御父母様御来日、御言(本部教会)》
日本統一運動史(光言社)p346

 真の御父母様御一行は、ロンドンから羽田に到着され、本部教会で朴普熙先生が真の御父様の21都市講演路程とニクソン大統領会見(1974.2.1)について報告されました。 そして2月8日まで滞在されました。

《2003年 「2003世界平和のための頂上会議」》
日本統一運動史2(光言社)p239

 2003年2月5日、清心病院・清心韓方病院の奉献式が天宙清平修錬苑で行われました。 奉献式では、真の御母様が理事長として挨拶をされ、清平の背景と価値について 「全人類が生まれ変わって、傷を癒やし、重生復活する本然の子宮である」 と語られました。 真の御父様も1時間半にわたって御言を語られました。
 午後3時過ぎ、真の御父様は鋏を手にされ、「ここで治療する患者たちも天が直接、 主導主管されて、 新しい天の役事を起こし、 神様の御旨の基盤を拡大することに貢献できる殿堂となるようにお許しください」 と祈られて、 テープカットをされました。 真の父母様は聖塩で聖別され、 その後、 「一心一念は清心天情統一完成」 と揮毫されました。
 劉総会長が代表し、「真の父母様の御聖誕日を前に、 清心病院を奉献できますことを感謝します。 この病院によって神の子女たちが霊肉の健康を得て、 より御旨に貢献できますように」と祈祷しました。 続いて、 河英鎬副苑長が経過報告、 真の御父様が 「心が清い人からは病気も逃げていく」という意味で清心病院と命名されたことをはじめ、 「神様と真の父母様が守り、興進様と大母様の主管される 『感動と愛の病院』」であると表現されました。
 真の御母様が 「医療法人清心医療財団理事長」 として紹介され、 永遠の聖地であり、心情の故郷である清平に、最先端の治療施設と設備を備えた清心病院を建設し、 神様と真の父母様に奉献できることをうれしく思います」 と挨拶、「この天宙清平修錬苑と清心病院が、 霊肉両面で病んでいる人間たちの疾病を完全に癒やすことによって、本然の人間の姿に回復する、 福なる機関となり、 全人類を救う究極的な教育と治療の殿堂として無限に発展することを真心より祈願いたします」と語られ、清心病院の役割に期待を寄せられました。
 司会者の紹介によって、真の御父様が登壇され、 「病院は再生する所であり、人間の体でいえば母の家 (子宮の意)に当たります」とされ、堕落した人間が本然の人間に復帰することの必要性を、来賓にも分かりやすく説明されました。
 清心病院は「天苑プロジェクト」の一環として建設されたもので、8880坪の敷地に、建坪は1815坪。 本館と別館から成り、 本館は地下4階、地上8階、 別館は地下1階、地上3階から成ります。 診療科目は一般診療科の内科、外科、産婦人科、 神経精神科など。 韓方 (漢方)診療科の韓方内科、 鍼灸科などから成ります。 今後さらに神経外科、整形外科、 医学科、皮膚科、泌尿器科、小児科、歯科などが開設される予定です。 現在、 清心国際病院に改称されています。
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