統一運動《11/30 今日は何があった?》
1969年早稲田大学祭で原研フェアを開催(~12/2)この原研フェアで「アジア学生勝共大会」開催

1973年 ウォーターゲート宣言
1973年 アメリカ、21か都市巡回講演会 ミネアポリス、西武銀行講堂
1974年 イギリス、ロンドンヨーロッパ指導者会議、ロンドン
1990年 韓国、南北総選挙に備えるための指導者大会 ソウル西部、世界日報社国際研修院
1991年 真の父母様、北朝鮮訪問
1993年 「真の父母と成約時代」宣布世界巡回講演 イスラエル、エルサレム、ホリデイ・イン・クラウン・プラザ
1997年 第3回「世界文化体育大典」ハンマダン体育大会、ワシントンDC、コンベンション・センター
2000年 南米摂理勝利および環太平洋摂理時代宣布、ブラジル、アメリカーノ・ホテル
2000年パラグアイ・レダ公館「開所式」(パラグアイ)真のお父様、レダ公館を「水一荘」と命名。「清愛生血心身一体」と揮毫
2001年 天宙平和統一国アメリカ大会 ロサンゼルス、LA空港マリオット・ホテル
2002年世界平和青年連合(YFWP)による第3回「平和のための奉仕」活動ツアー(~12/5,中国)
2003年「平和UN韓国本部」および7ヵ国の「平和大使館」開所式(韓国、ソウル・都元ビル)超宗教超国家平和協議会(IIPC)韓国本部が都元ビルに開設。摂理的7ヵ国(韓日米英独伊仏)の平和大使館が開所
2005年 「天宙平和連合」創設記念世界巡回大会 台湾、台北、国立国父記念館
2006年第18回統一思想国際シンポジウム(~12/3,東京)
2007年 韓国、牧会者福祉財団貴金準備のための講演会、ソウル、セントラルシティ
2007年第19回「統一思想国際シンポジウム」(~12/3 日本)テーマ:諸科学の統一と統一思想(~12/3,東京)日本、韓国、台湾のアジア諸国、米国などから約120人が参加
《1973年 ウォーターゲート宣言》
真の父母経p686
ウォーターゲート事件とアメリカの覚醒
一九七二年六月、ニクソン大統領再選のための秘密工作班が、ワシントンDCのウォーターゲートビルの民主党全国委員会の本部事務室に、盗聴装置を設置したことが発覚した。これにより、ニクソンは、大統領職を辞任する一九七四年八月まで、苦境に立たされた。真の父母様は、アメリカの精神と信仰、価値観が一大危機に直面したと判断され、一九七三年十一月三十日、「許せ、愛せ、団結せよ」という旨の「ウォーターゲート宣言」を、「ニューヨーク・タイムズ」と「ワシントン・ポスト」の全面広告で発表された。この事件によって、アメリカの経済的危機が招来し、世界的な指導力が喪失することを憂慮され、この隙を狙った国際共産主義が勢いを増すことがないように警告されたのである。そうして、真のお父様は、一九七四年二月一日、ホワイトハウスの大統領執務室で、ニクソン大統領と会談された。
4 一九七二年と七三年を中心として、アメリカの大統領が気勢をくじかれました。お父様は、ニクソン大統領に対するウォーターゲート宣言を行いました。そこで、お父様と一つになれば、生きる道があるというのです。ですから、お父様は上院議員と下院議員たちに対して、一人残らず、すべて手紙を書きました。これは偶然の事件ではありません。二年目にホワイトハウスと私たちが交差する点をもったという事実は、歴史的な事件です。ウォーターゲート事件を論じるときは、必ず歴史的に、お父様の名前が残るようになっています。これは、いくら否定しようとしても否定できません。
5 アメリカが、ウォーターゲート事件を中心として混乱した時、私は「神様に帰ろう」と叫びました。神様に帰るためには赦しを受けなければなりませんが、赦しを受けようとすれば、アメリカ国民も赦しなさいというのです。これが「ウォーターゲート宣言」です。赦しなさいというのです。他人の罪を赦せなければ、自分も赦しを受けられません。個人的に、教会的に、挙国的に、ニクソン一人を条件とし、「あなたたちもそのような姿の罪人なのだから、まず悔い改めて、ニクソンも赦しなさい」と言ったのです。
お父様がアメリカでニクソンの赦免問題を呼び起こしたのです。民主世界が没落するようになるのは、キリスト教が没落するからです。キリスト教が没落するのは、すべての国家の問題、すべての世界の問題を神様に談判して対処せず、自分の意向によって進めているからです。エデンの園で堕落する状況と同じなのです。
6 お父様自身が一人でアメリカの地に進み出た時は、一個人として現れました。天の命令を受け、三年という期間のうちに、二億四千万近い国民に、お父様の意思を伝えなければなりません。聞こうと聞くまいと、うわさを立てて知らせてあげなければなりません。それをどのようにするのでしょうか。基盤はなく、協力者もいない上に、反対までされる状況でした。そのような環境をどのようにして切り開いていくのでしょうか。直行しなければならず、心臓部を貫いていかなければならないというのです。ですから、行くやいなや有名な上院議員たちに会いました。下院議員たちにも会い、それから著名なアメリカの人士たちにもたくさん会いました。
その次は、ホワイトハウスをどのようにして切り開いていくかということでした。そこからしなければならないと考えたのです。そのような時、ウォーターゲート事件が起きました。ウォーターゲート事件を中心として、私が手を付けることになったのです。全国民が反対し、全国民が希望をなくして落胆する立場にいるので、ここでキリスト教思想を中心として、一つの方向を提示しなければならないと考えたのです。
7 私は長い間、数多くの宗教と宗教者たちを訪ねてみました。数多くの地方議員、有名な人士たちに、みな会ってみました。そして、その国の名士たちにもみな会ってみました。彼らの胸の内には、世界を救おうという考えは全くありませんでした。ウォーターゲート事件の時も、まかり間違って転べば、アメリカはどん底に落ちてしまうというのです。
数多くの宗教指導者、ビリー・グラハムのような世界的に有名な人々が、国の先頭に立って国民運動を起こし、それを防がなければならない立場であるにもかかわらず、彼らは、夢にもそのような考えをもつことができずにいたのです。ですから、東洋の一角で生まれた文という人が責任をもったのです。しかし、それは適当にやってできることではありません。命を懸けて神様に談判し、神様が願われることが何であるかを探ったのです。私は政治家ではありません。神様のみ言に従って行動する人です。国を守り、世界を守り、進むべき方向を誰かが言わなければならないようになっているのです。それを知ったので、冒険の道を覚悟しました。統一教会は、最後の決断を下したのです。
8 お父様は一九七二年、アメリカの七大都市で初めてみ言を宣布しました。その基盤の上で、一九七三年に二十一カ都市を掲げて、闘っていきました。この期間に、ウォーターゲート事件を中心として、六十日前にこれが提示され、二十一カ都市巡回路程を一月二十八日に締めくくりました。その後、ワシントンDCに来て、ニクソンにまで会うことになりました。
私が会おうと言って会ったのではなく、ニクソン大統領がその日にちを決め、自ら会うことを求めてきたのです。偶然に会ったのではありません。どこかの国の元首がニクソン大統領に会おうとすれば、一年半も前にあらかじめ、すべて約束しておかなければならないのに、私とこのように会ったのは歴史的な事件でしょう。一月三十日に国会に送る教書を発表するため、二週間、誰にも会わずにスケジュールをすべて空けておき、教書発表が終わって二月一日、あらゆる国家の代表者たち、いかなる大使たちも押しのけて、お父様に会ったのです。
会った時、お父様は、ニクソンと向き合って、「一緒に祈りましょう」と言いました。ニクソンも頭を垂れて祈りました。歴史的なその会見の直前に祈りを捧げたというのは、歴史的な事件です。劇的な会談をもちました。お父様が話をする中で、彼は、この国で誰よりも自分を愛し、自分のために心配している人がお父様であることを知って深く感謝しながら、本当に心を激しく揺さぶられ、喜んでいることを、如実に感じることができました。これを見れば、歴史的な事件に違いありません。ローマ皇帝がイエス様を招待して会うのと同じ立場だというのです。
9 アメリカ自体が、ウォーターゲート事件によって真っ逆さまに落ちていくのを、お父様によって止めることができるのです。お父様によって、キリスト教に新しい方向を提示し、アメリカを中心とした民主世界に新しい方向を提示して、彼らが志を立てるようになりました。私がニクソンに会ったので、このことが可能なのです。お父様は、神様のみ旨によってニクソンに会いました。ですから、彼に会って祈りを捧げたのです。それは偶然の出来事ではありません。人々は知りませんが、その摂理時代において、大きな峠を越えることが既に決定されていたのです。
10 私は、ニクソン個人を見て支持したのではありません。大統領職を支持したのです。これは、アメリカ国民が今後、知らなければならない問題です。国の主権者が新しい政策を立て、その国の運命を決めるときには、特権をもたなければなりません。そのような意味で支持したのです。
ニクソンがいたならば、ベトナムとカンボジアがあのようにはなりませんでした。私が予想したとおりになったのです。数十億ドルに達する武器を共産世界に丸ごと渡してしまう、国家的な恥になることをしたというのは、民主世界を指導する国家として惨敗だというのです。私がニクソンを支持したのは、ベトナム戦争をアメリカの勝利で終わらせるという目的があったからです。早く終わらせなければならないというのです。そうすれば、アジア防御圈が延長されると考えたのです。ですから、ニクソン・ドクトリンを修正しなければならないという結論に達しました。ニクソン・ドクトリンのとおりになれば、韓国の安全保障の問題は自動的に下火になっていくのです。アメリカとアメリカ大統領が一つになり、アジアと一つになる道を神様が願っていらっしゃるのに、アメリカと大統領を分立させ、これを破綻させようとしているというのです。
ですから、私は、「許せ、愛せ、団結せよ」と主張しました。そうすれば、そこでキリスト教がニクソンと一つになり、全国民と一つになるでしょう。私が主張したことが動機となってそのようになれば、お父様と一つになるのです。お父様がアメリカを救い、一つにした功労者として登場するというのです。そのようになれば、ニクソンは私に相談するようになります。そのようになっていたならば、このウォーターゲート事件は即刻、解決したでしょう。
平和経p1311
ウォーターゲート宣言文
https://cafe.daum.net/ckatkfkdrhdqn/V1yi/147?svc=cafeapi
日付:一九七三年十一月三十日
内容:米紙「ニューヨーク タイムズ」全面広告
《1991年 真の父母様、北朝鮮訪問》
https://youtu.be/l6Dq7CJtR74
真の父母経p855
第三節 真の父母様の北朝鮮訪問と金日成主席との会談
故郷定州の生家訪問
真の父母様は、北朝鮮を離れてから四十年十一ヵ月ぶりに、北朝鮮政府の公式的な招請 により、一九九一年十一月三十日、北朝鮮の地を再び踏まれた。十二月五日、定州の生家を訪問して親族にお会いになった。そして、「生家は世界の人々が巡礼 する聖地になるだろう」と語られた。北朝鮮訪問は、国内外のマスコミの大きな関心の中で実現し、十二月六日、平壌のソジェゴル招待所で開かれた歓送式で は、「愛は血よりも濃い」とされながら、「統一の原動力は真の愛である」と力説された。
6 私が北朝鮮の故郷の父母の墓を参拝した時、姉や妹は悲しみにあふれた心情で痛哭しました。「お母さん、お父さんが待ち望んでいたお兄さんが帰ってきまし た、弟が帰ってきました」と言いながら痛哭したのです。哀切なその痛哭の声を聞けば、人間なら涙を流さざるを得ません。
しかし、私はそこに文氏の息子として行ったのではありません。南北を統一できる主役として行ったのです。墓に埋められている人々の中には、悲惨な死に方をした人たちが多いのです。ですから、自分の父母の墓だけにしがみついて、かわいそうだと涙を流すことはできません。
姉と妹がそのように痛哭しているのを見ながら、「お父さん、お母さん、すみません。私は公的な人として来たので、泣くことはできません。南北統一を してから来るときは、天下が、万国がひれ伏す中で、お父さんとお母さんが眠る場所と、お父さん、お母さんにお参りする場所を定め、孝子の責任を果たしま す。神様に侍り、万民の祝福を祈ってあげられる統一王国を建設してから、お父さんとお母さんにお参りします」と祈ったのです。
日本統一運動史(光言社)p450
真の御父母様は11月30日、朝鮮民主主義人民共和国の差し回しの特別機で北京から平壌へ行かれました。午後3時40分平壌順安空港に到着され、国賓の待遇で歓迎されました。真の御父母様は、空港で政府の配慮により、真の御父様の姉 文孝淳さん、妹・文孝善さん、兄嫁 池治淑さんをはじめ歓迎者三十余人と四十数年ぶりの再会をされました。 その後、2台のパトカーの先導で牡丹峰迎賓館に到着され、金達 玄副首相の出迎えを受けました。 迎賓館2階の接見室では姉妹と約1時間、 涙の対面。 姉妹たちは涙を流しつつ 「今日は亡くなった母の誕生日です。 その日に合わせて故郷に戻ってきたことが本当にうれしい」 と声を詰まらせました。
12月1日、 金日成主席の生家・万景台を見学。 その後、 万寿台国会議事堂特別室で祖国平和統一委員会の尹基福副委員長と会談され、同行された朴普熙氏が、 国際ハイウェイプロジェクトでソウルー平壌間の高速道路建設計画、また金剛山観光特別区開発計画があることを紹介しました。 翌2日は主体思想塔と凱旋門を、3日と4日は金剛山を視察されました。 そして5日の朝、 ヘリコプターで平壌から定州へ向かわれました。故郷では親戚42名から大歓迎を受けました。 真の御父母様は各家庭ごとに一緒に写真を撮られ、一人ひとりに名前を尋ねられました。 その後、御父様は生まれ育った部屋に入られ、 祈祷をされました。中庭では、周囲の山の名前を教えてくださり、またイエス様から啓示を受けられた猫頭山を、 指で指しながら教えて下さいました。12月6日、午前10時30分から、咸鏡南道咸興の金日成主席公館で、 真の御父様は金主席と単独会談を行いました。 この会談は、御父様のご苦労された興南労働収容所の近くで行われました。 昼食会の席で金主席は、 御父様に対してブッシュ大統領との会談の仲介を依頼しました。また御父様がアラスカの釣りに金主席を招待するなど、 終始なごやかな雰囲気でした。 部屋から外に立たれるときのお二人は、手をしっかりと握り合っておられました。真の御父様と金主席の会談の様子は、日本においてもTBSテレビがトップニュースで伝えるなど、 全国の主要新聞でも取り上げられ、話題となりました。
平和経p1248
真の父母様北朝鮮訪問晩餐の辞
https://cafe.daum.net/ckatkfkdrhdqn/V1yi/141?svc=cafeapi
日付:一九九一年十一月三十日、十二月六日
場所:北朝鮮、平壌、牡丹館(モランクァン)招待所、ソジェゴル招待所
行事:真の父母様北朝鮮訪問歓迎および歓送晩餐会
《1997年 第3回「世界文化体育大典」ハンマダン体育大会》
平和経p1055
青年文化として定着すべき純潔運動
https://cafe.daum.net/ckatkfkdrhdqn/V1yi/117?svc=cafeapi
日付:一九九七年十一月三十日
場所:アメリカ、ワシントンDC、コンベンション センター
行事:第三回「世界文化体育大典」ハンマダン体育大会
《2000年 南米摂理勝利および環太平洋摂理時代宣布》
真の父母経p967
太平洋文明圏時代の到来
人類文明史は、ギリシャとイタリアを中心とした地中海文明圏から、イギリスとアメリ カを中心とした大西洋を経て、世界人口の過半数を占める太平洋文明圏に結実している。特に、韓半島は、環太平洋文明圏域において、過去のイエス様の時代に おける、イタリア半島のローマのような位置に置かれているため、大陸文明と海洋文明、東洋・西洋文明、精神文明と物質文明が出会い、大統一和合を成し遂げ なければならない所である。また、太平洋沿岸と連結された国家は、六十数ヵ国に及ぶ。真の父母様は、「海が生命を懐胎し、養育するように、これらの国家が 母の役割を果たすことによって、世界平和の実現に寄与しなければならない」と語られ、一九九六年六月十六日、日本の東京で「世界平和島嶼国家連合」を創設 されるなど、島嶼国家連合運動にも多くの関心を傾けられた。
8 世界情勢を見れば、今の時代は太平洋時代に差し掛かってます。河川文化圏から地中海文化圏、そして、大西洋文化圏から太平洋文化圏時代に移動してきている のです。大西洋文化圏時代から太平洋文化圏時代に移動してくるのですが、ここで「主役をしよう」と言って出てきているのが、ロシアとアメリカです。
しかし、これから世界を指導するためには、アジア人を消化しなければなりません。それができなければ、世界を指導できないのです。アジアの人口が、世界の人口のうちで五分の三を超えます。ですから、アジア人を消化できない主義は、世界をリードできません。
9 太平洋文化圏を中心として、西洋文明と東洋文明がシルム(朝鮮相撲)をし、西洋文明が東洋文明の下に入ります。今、そのようなシルムをしているのです。東 洋の文明は愛の宗教と愛の真理をもっています。ですから、神様は父母様を送って、人類を抱き得る新しい天の世界をつくるための、神様の真の愛を中心として 天の懐に抱くための運動を行うのです。
《2006年第18回統一思想国際シンポジウム》
日本統一運動史2(光言社)p432
2006年11月30日から12月3日まで、 第18回統一思想国際シンポジウムが 「諸科学の統一と統一思想―調和と統一の基礎としての統一思想」をテーマに、東京都内のホテルで開催されました。 日本、韓国、アメリカ、台湾、フィリピン、モンゴル、インド、バングラデシュ、ブルガリア、ギリシャ、フランス、チェコから120人の学者および研究者が参加しました。 11月30日の歓迎晩餐会で大塚克己 IIFWP 日本会長の歓迎の挨拶の後、秦成培・韓国統一思想研究院院長が基調講演を行いました。 秦委員長は 「新しい世界文明を築く哲学は、確固たる道徳性を持ち、 東洋と西洋の文化を融合させ、 神を中心とする絶対価値を確立するものでなければなりません。 それがまさに統一思想です」と語りました。
翌日から2日間にわたってシンポジウムが行われ、哲学、 神学、物理学 数学、社会科学、医学、 心理学と脳科学、 進化論と創造論の各分野で論文発表と討議が活発に行われました。
