「心のままに」の失敗と成功 ~京極派スペース テキスト版~
この記事は、X(旧Twitter)で毎週おこなっている
京極派スペース
(京極派和歌をテーマにした音声配信)
の音声をもとに、内容を整理し、読み物としてまとめたものです。
スペースでは特に台本も用意していませんし、話し言葉のまま思考を進めているため、
専門用語が多かったり、要点のつかみにくかったりする部分もあります。
本記事では
配信を文字起こしし、読みやすく構成を整理、
それとは別に簡単な目次を冒頭に付けました。
無料部分では
「この回ではどんなテーマを扱っているのか」
「どこが読みどころ・聴きどころか」
などがわかるよう、全体の見取り図を示しています。
文字起こしを整理した全文は、有料部分に掲載しています。
じっくり読みたい方はぜひご覧ください。
無料部分、有料部分、いずれも音声を聴きながら理解を深めたり楽しんだりする補助として、ご活用いただけたらと思います。
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「心のままに」の失敗と成功 ~京極派スペース テキスト版~
今回のテーマは「伏見院の春歌の変遷」です。
京極派スペース「伏見院の春歌の変遷」
放送時間、1時間半……だと……???#京極派https://t.co/qEkY10gjtB
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) March 7, 2026
「予想以上に濃くておもしろかった。コテンラジオの深井さんみたいなガチ勢。樋口さんみたいな人と組んでポッドキャストしたらバズるのでは」
— 梶間和歌@令和の京極派 (@WakaKajima) March 7, 2026
といううれしいうれしいご感想を頂きました。
1時間半という恐ろしい長さですが、テキスト版はもう少し読みやすく整えますので、しばしお待ちを。#京極派 https://t.co/e4TSnVJP7G
「伏見院の春歌の変遷」ガイド
1.京極派の歌論、核心、試行錯誤と完成形――「心のままに詞の匂ひゆく」
2.「心のまま」が秀歌になる条件――その棚にはなにが入っているのか
3.京極派の出発点と試行錯誤
4.伏見院の春歌の変遷
正安の政変以前――見ているようで見ていない、自己都合での把握
政変直後――四季の運行への憤り
世界観の転換――自己を超えたものに気づく
春歌の変貌――自然そのものの相に迫る
5.前期京極派全体への波及――詠まずにいられない「心」の獲得
6.「挫折」の完成させた京極派和歌
京極派スペース「伏見院の春歌の変遷」テキスト版
・ぜひスペースを聴きながらお楽しみください。
・文章だけでも読めるよう整えてあります。
・文字起こしデータをもとに整形しているため、読みにくい箇所や漢字変換などがあるかと思います(梶間がふだん仮名表記している副詞が漢字になっている、など)。ある程度整えてはありますが、諸々ご了承ください。
・本記事の書籍リンクにはAmazonアソシエイトを利用しています。
今日のテーマは伏見院の春の歌、春歌の変遷です。
各季節の京極派和歌紹介のスペースで、伏見院の和歌ももちろん紹介することがあり、その解説という流れでこのテーマには何度か触れています。
なので、その話はもう知っているという方もいるかもしれないんですが、具体例を挙げて話したことはなかったと思うので。
京極派スペースのこれまでの開催記録のタイトルを、今回全部見直したんですが、
これだけをテーマとして取り上げたことはないように見えたので、たぶんそうなんだと思います。
私たちは、京極派の完成形に触れられるわけです。
『玉葉集』『風雅集』という京極派の勅撰和歌集を手に取れば、そこには京極派歌人の歌がたくさん入っている。この2集は、京極派の美学で編まれた勅撰和歌集なので。
その『玉葉集』や『風雅集』を見れば、あの人たちの和歌のある種の完成形に、私たちは簡単にアクセスできるんですよね。それらを知ってさえいれば。
存在を知らない人のほうが多いと思うから、その現状は残念だと思っていますけど、知ってさえいれば完成形にアクセスできる。
そうしてそれらを読むと、素晴らしい歌だな、と伝わってくる。
特に叙景歌ですね。
恋歌はちょっと……アレなんですけど、季節の自然を叙景した歌というのは本当にしみじみとしたものがたくさんあって。
もう何百年も前の日本の、言葉も結構違う日本人が、何百年の時を隔ててこんなにも心に届く歌を残している、ってすごいことだなと思います。
ただ、京極派は別にあの形をめざして始まったグループではない。
京極派の歌論で一番核になるのは「心のままに詞の匂ひゆく」という部分です。
こと葉にて心をよまむとすると、心のまゝに詞のにほひゆくとは、かはれる所あるにこそ。
これが京極為兼の書いた歌論の中でも一番核になる部分である、
その他いろいろ書かれている部分は、大事でないとは言わないけれど、その核を補強するものとして捉えるべきである、
というふうに、京極派研究の大家である岩佐美代子先生その他言及されています。
完成形の京極派和歌を見て私たちはつい
「京極派は写実をしたグループだ」
「理屈を重んじた歌を詠むこともあって、そのため恋歌ではちょっと失敗した」
などと表面的なことを言ってしまうんだけど、
彼らは別に写実をしたグループじゃない。写実をした事実はない。
彼らは「心のままに詞が匂」うように歌を詠む、心を絶対的に優先し尊重して歌を詠む、という歌論を取ったんですね。
でも考えてみてください。
これは悪口になりますけど、現代短歌を見てみるとよく分かると思います。
心のままに歌を詠んでいる方はたくさんいますね。
そのなかにいったいいくつ、私たち読者の心をしみじみと打つ良い歌というものがあるでしょうか?
もちろん、読者それぞれ、「良い歌」の基準は違うかもしれません。
しかし、Twitter短歌とか見ていると「ほう……」という気持ちになりますね。
「心のままに詠んだ歌がこれでは、『いいね』は付かないね」みたいな。
いや、逆に、表面の部分で「わかるわかる~」と馴れ合いの「いいね」を付け合っているという話も聞くので、Twitter短歌だと良い例にならないかもしれない。
近現代短歌では、「自分の心を尊重する」ということがある種当たり前になっています。
しかし、「詠むべき心が、個性が、あなたごときにあると思っているのですか? 」という気持ちになることはよくあります。
素人さんの歌の添削をさせていただく機会が私にはあります。
そのうちどれか特定の歌を取り上げて、ということはもちろんしません。覚えていないし。
ただ、その多くは「かけがえのない自己」というものを疑うことを知らず、無条件に賛美していたり、
またその「かけがえのない私」の「果てしない不幸」みたいなのを叫んでいたりするわけですね。
「客観性というものはないのかな? 」
「あなたの恋が世界一の大事件みたいな扱い方、やめてくれる? 」
というシラケた気持ちになることは多いですね。
恋以外でもたくさんありますよ。
学生さんの歌にそういう傾向があるけど、いい歳して……という人もいますね。
「お若いうちならこういう歌もある程度仕方ないのかもしれませんが……」
などと言葉を選びながら
「こういう姿勢だと広く共感は得られにくいです。もう少し年齢を重ねられると見えるものも変わってきて、お歌も変化するかもしれませんね」
なんてコメントしたら
「実はこの作者、おじいちゃんで」
「マジかよ」
という話も、あったりなかったりします。
心を美しく磨くことも、心を整えたり鍛えたりすることも一切していない、「ありのままの私」「かけがえのない私」の「ありのままの、かけがえのない心」なんていうものを見せられてもね……みたいなことはあるわけです。
私、最近けんすうさんという方の発信によく触れているんですが。
「自分の中に答えがあると思って、人生の棚卸しとかするじゃないですか。でも、棚の中になにも入っていない人、っていません? 」
というようなことをおっしゃるのを、対談や、おひとりの配信で聴きました。
ほんとそれ。
けんすうさんの言いたいことと、和歌文脈で私の言いたいことが、どこまで同じだろうか、という議論はありますが。
棚になにも入っていない奴が棚卸ししたところで、ろくでもない、頼りにならないアウトプットにしかならない。
過去の延長線上の未来や希望、夢しか出てこない。
それと同じで、鍛えられていない心の「ありのまま」を詠んだところで、それは独り善がりでしかない。
そういうことに、京極派歌人たちが初めから気づいていたわけではないけれど、
心のままに詞を匂わせて歌を詠むということをしながら
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京極派スペース テキスト版
京極派和歌をテーマにした音声配信(Xスペース)を、週1回おこなっています。 その一部をテキストで読めるよう整理した記事を、こちらのマガジン…
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