見出し画像

一首一会【7月24日】衣手に涼しき風を先立てて曇りはじむる夕立の空 (後鳥羽院宮内卿 / 風雅和歌集)

【現代語訳】 着物の袖にひんやりとした涼しい風を前触れのように吹き寄せながら、夕空がみるみるうちに暗く曇り始めてきた。これから激しい夕立がやって来るのだな。

夕立の直前、一瞬にして空気が入れ替わる感覚

夏の夕方、激しい雷雨(夕立ち)が降り出す直前、急に周囲の大気が冷たくなり、肌を撫でる風の温度がガラリと変わる瞬間があります。誰もが一度は肌で感じたことのある、あの独特の静けさと予感に満ちた空気の変容です。

7月12日のコラムでもご紹介した通り、後鳥羽院宮内卿は、言葉を通じて目に見える風景をそのまま読者の脳内に現出させる、ずば抜けた情景の再生力を持った歌人でした。

彼女がここで切り取ったのは、雨が降り出す瞬間そのものではなく、その前段階にある「空気が入れ替わるまさにその一瞬」です。

三句の劇的な仕掛け

しかし、誰もが知っている日常の平凡な体験を、そのまま「和歌」という芸術の域に引き上げるのは、想像以上に難しい作業です。下手をすれば、「風が涼しくなって空が曇ってきた、もうすぐ雨が降りそうだ」という、単なる絵日記や事務的な状況報告に終わってしまいます。

宮内卿は、この歌において、その平凡さを打破する決定的な言語の仕掛けを施しました。それが、三句の「先立てて」という表現です。

「涼しき風を先立てて」――

ただ風が吹いたと客観的に記述するのではなく、迫りくる夕立(雨)という主役の先陣を切って、涼しい風がまるで「先導役(先触れ)」として袖に吹き込んできた、と見立てたのです。

風景が「一瞬の物語」へと昇華する

この「先立てて」というたった一つの動的な見立てが入った瞬間、単なる気象現象の観察(状況報告)であった風景は、一気に緊張感のある「ひとつの物語」へと昇華します。

風が先触れとして走り抜け、それを追うように空が慌てて暗く雲を広げ、本隊である夕立がやって来る。 宮内卿は、五感で捉えた大気の変化を、擬人化とも言える動的な演出によってタイムライン(時間軸)のあるドラマへと書き換えました。

昨日までの定家の歌にあったような、地平線にへばりつく入道雲と逃げ場のない酷暑。その耐え難い真夏の熱気が充満する空間へ、ひんやりとした風が切り込んでくる。日常の誰もが知る感覚を、一切の無駄のない言葉の配置によって一瞬の物語へと変えてみせる、宮内卿の精密なデッサン力が光る一編です。


いいなと思ったら応援しよう!