一首一会【7月12日】軒白き月のひかりに山影の闇を慕ひてゆく蛍かな (後鳥羽院宮内卿 / 玉葉和歌集)
【現代語訳】 家の軒端を白々と照らし出す眩しい月明かりから逃れ、山の稜線が落とす深い闇のほうを慕うように、すーっと気ままに飛んでいく蛍であることよ。
和歌における「色」を理解していた、最後の天才画家たち
「マティス亡きあと、シャガールのみが色が何であるかを理解している最後の絵描きだった」
これは、あの天才パブロ・ピカソが、色彩の魔術師と呼ばれたマルク・シャガールを評して残したとされる有名な言葉です。 このピカソの極上の賛辞を、そのまま和歌の世界に持ち込んでみたらどうなるでしょうか。私見を恐れずに言えば、言葉によって描かれる「色が何であるか」を真に理解していたのは、式子内親王と、今日ご紹介する後鳥羽院宮内卿)の二人だけだったかもしれません。
古典和歌において、「見渡せば柳桜をこきまぜて」のように、春の緑とピンクを並べるなど、単純に色を対比させた歌はいくらでも存在します。しかし、宮内卿の歌がそれら有象無象の歌と決定的に抜きん出ているのは、ただ色彩を並べるだけでなく、言葉を通じて読者の脳内に鮮烈なビジュアルを立ち上げる、圧倒的な「情景の再生力」なのです。
「白の月光」と「黒の山影」が競う、モノクロームの幻想
今日の歌に描かれているのは、夏の夜の「白と黒」の凄絶なコントラストです。
見上げれば、家の軒先をくっきりと「白々」と照らし出す、冷たくも眩しい月明かり。そしてその先には、巨大な山がどっしりと落とす、底なしの「深い闇(黒)」。 この白と黒がせめぎ合うおぼろで幻想的な夜の空間のなかで、一匹の蛍が、眩しい月光を嫌い、みずから好んで漆黒の闇の中へとすーっと身を投じて気ままに遊んでみせます。
白、黒、そして蛍が放つ仄かな明滅。宮内卿は、過剰な言葉の装飾を一切削ぎ落とし、この研ぎ澄まされた光と影のモノクロームの世界だけを抽出してみせました。
一刷毛で眼前に幻を現出させる、魔法の声調
そして、この歌の最も驚くべき凄みは、結句へと向かってなだらかに滑り落ちていく、その完璧な「声調(リズム)」にあります。
「軒白き月のひかりに……山影の闇を慕いてゆく蛍かな」
つっかえるところが一つもなく、まるで一息で歌い上げるようなこの流麗な調べを声に出して読んだとき、聴く者はまるで、天才画家がたった「一刷毛」の筆の動きで、キャンバスの上に魔法のように幻を現出させたかのような、圧倒的な美の体験をすることになります。
理屈でも、お約束でもなく、純粋な視覚の芸術として和歌を極めた宮内卿。「和歌のシャガール」とでも呼ぶべき彼女の驚異的な色彩感覚とデッサン力が、夏の夜の闇のなかに一点の蛍の光を永遠に定着させた、息を呑むような名画です。
