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東京の痛勤地獄と、踏み込めない境界線。茅場町駅の事務室から始まった歪な日常の温度(第36回)

茅場町駅はリアルです。
東西線もリアルです。
今でも忘れない出来事だったのでそのまま載せました。


はじめに


皆さんは、朝の通勤(タイトルでは「痛」としましたが本当にそうです)ラッシュで「急病人救護のため遅延」というアナウンスを耳にしたとき、どんなことを想うでしょうか。
大阪だと御堂筋線、名古屋だと名城線ですかね。どっちも経験しています。


東京の、それも当時から万年混雑ランキングで首位をキープし続けている路線――今の名は東京メトロ東西線。その破壊力は、のちに私が仕事の赴任先で経験した「激混みの大阪の通勤電車(私は阪急でした)」すら、まったく歯が立たないほどに圧倒的なものでした。日々、誰かが限界を迎えて倒れるのが日常茶飯事の、まさに「地獄」と呼べる光景です。

前回、私の携帯電話に飛び込んできたのは、その地獄の渦中にある茅場町駅からの連絡でした。晴香が駅のホームで倒れた。焦燥感に駆られ、激しく動転しながら救護室へと向かった私が、そこで見たもの、そして私たちの間に横たわる「埋まらない境界線」について、当時の私の心理分析を交えてお話しします。

本編

茅場町駅の救護室のドアを開けたとき、私の心臓は嫌な音を立てて波打っていた。

ベッドの端に腰掛け、どこか決まり悪そうに小さくなっている晴香の姿が目に入る。顔色は青白く、いつも隙のない彼女の佇まいが、その時ばかりはひどく脆いものに見えた。だが、私の顔を見るなり、彼女は無理に口元を歪めておどけるような仕草を見せた。その空元気な態度が、かえって私の焦燥感を煽った。

どうやら、これまでも通勤途中に似たような「貧血」の症状に襲われ、途中駅で何度も電車を降りては休み休み会社へ向かっていたらしい。彼女にとっては、日常の延長線上にある不調だったのだ。だが、今回は自力でどうにもできなくなり、ついに激しい混雑のプラットホームで崩れ落ちてしまったということだった。

当時の東西線の朝ラッシュは、まさに地獄そのものだった。 後年、私は社会人になってから大阪に赴任し、そこでも十分に「激混み」の通勤電車を経験することになる。しかし、あの頃の東京の、それも東西線の圧倒的な圧迫感に比べれば、大阪の混雑すらどこか生ぬるく感じられるほどだった。押しつぶされ、呼吸を奪われ、文字通り命を削りながら移動する空間。晴香はまさに、その地獄のシステムに呑み込まれた「急病人」の一人だったのだ。幸いにも、運行を大きく遅延させなかったことだけが、当時の彼女にとってのせめてもの救いだったのかもしれない。そこら中に転がっている、ありふれた都市の悲劇だった。

駅職員にお礼を言い、なんとか彼女の身体を支えながら、お台場のデート以来となる彼女の部屋へと連れて帰った。

道中、私は自分の心臓の音がうるさくて仕方がなかった。心配と、恐怖と、そしてどこかで「頼りにされた」という歪んだ高揚感が混ざり合っていた。部屋に入り、晴香をベッドに横たわらせる。

何か口にできるものを、と思い、駅近くのコンビニへ走って買い込んできた栄養ドリンクやゼリー、そしてついでに自分の後食い用として買った肉まんを枕元に並べた。

「ほら、これなら飲めるか?」

私が栄養ドリンクを差し出すと、晴香はそれを見つめた後、ふいにつんと尖らせた。いつもの晴香に戻るかどうかのように視線を逸らし、私が自分用に買った肉まんに手を伸ばした。そして、包装紙を剥がすと、まだ温かいそれに躊躇なくかぶりついたのだ。

「そっち?」

私は完全に拍子抜けしてしまい、思わず声が裏返った。

「お腹すいた」

モグモグと口を動かしながら、晴香は少しだけ生気を取り戻した目で私を見上げた。その姿があまりにも素朴で、駅での深刻な空気とのギャップに、私の緊張の糸がぷつりと切れた。なんだよ、それなら最初から言ってくれれば、もっとまともなお弁当でも何でも買い直してきたのに。

「じゃあ、ちゃんとした弁当でも買いに行ってくるわ」

私がそう言って、もう一度コンビニへ向かおうと立ち上がろうとした瞬間だった。

背後から、不意に柔らかな重みが加わった。 普通なら、看病されている側がされる側だろう。だが、晴香はベッドから身を起こし、私の背中に腕を回して、きつく抱きしめてきたのだ。

「お弁当、いらない」

背中に押し当てられた彼女の体温と、耳元で聞こえる声に、私の身体は完全に硬直した。

「だって、腹減ってるって言っただろ」
「肉まんで十分」

そう言って、彼女は満足したようにすっと腕を離した。 彼女の身体が離れた瞬間、いつか彼女の車の中でわずかに嗅いだことのある、あの「大人の匂い」が部屋の空気に残った。私の知らない、夜の街の匂い。DJ修業中だという「本当の彼氏」の影が、一瞬で脳裏をよぎる。

「わいじは優しいね」

晴香は少し照れくさそうに笑った。

「なんだよ急に」

「だって、本当に迎えに来てくれたから」

いつもなら、大学のやつら、サークルのやつらでもそうしたかもしれない。でも、今回は違う。

「当たり前だろ、心臓止まるかと思ったよ」

口から出た言葉は、精一杯の強がりだった。
本当なら、ここで「あんな地獄みたいな通勤をする仕事、もう変えた方がいいんじゃないか」と言いたかった。
もっと強く、自分の本心をぶつける権利があるのなら、「そんなに身体を壊すような生活、もうやめてくれ」と、彼女の肩を掴んで叫びたかったのかもしれない。

でも、俺は「本当の彼氏」じゃなかった。

夕方になればこの部屋にやってきて、夜には街へと消えていく、あの男の代わりでしかなかった。
私には、彼女の人生の選択に踏み込むための「資格」も「手札」もない。その冷徹な現実が、胸の奥を鋭く刺した。

だから、私はそれ以上の踏み込んだ言葉をすべて飲み込んだ。

「無理すんな。……いや、しないでくれ」

それが、あの時の私に許された、最大級の拒絶であり、精一杯の愛情表現だった。

それからしばらくの間、私は何も言わずに彼女のそばにいた。静かになった部屋で、晴香の顔色がだんだんと本来の赤みを取り戻していくのを、ただじっと見守っていた。

よし、もう大丈夫だな。 時計の針が進むのを確認し、私は静かに立ち上がった。私には、私の現実がある。歪んだ関係に溺れそうになりながらも、今日の生活費を稼ぐための「日雇いバイト」の現場へと、私は再び自分の足を向けるしかなかったのだ。


心理カウンセラーの視点

今回のエピソードでは、激しい動転のあとに訪れた「肉まんと抱擁」という急激な弛緩、そしてその裏に潜む「人間関係における境界線」の葛藤が鮮明に描かれています。

心理学的に見て、当時の「私」が直面していた心の動きを3つのポイントで解説します。

1. 境界線(バウンダリー)の機能不全と葛藤

カウンセリングにおいて、自分と他者を区別する心の境界線を「バウンダリー」と呼びます。 当時の私は、晴香のピンチに駆けつけることで彼女の領域に深く踏み込みました。しかし、「本当の彼氏ではない」という現実の壁にぶつかった瞬間、その境界線の引き方に強烈な葛藤を抱くことになります。 「仕事をやめてくれ」と言えないもどかしさは、相手をコントロールできないという健全な境界線の現れであると同時に、「それ以上踏み込めば、この都合の良い関係すら失ってしまう」という見捨てられ不安の裏返しでもありました。

2. 「優しいね」という言葉の報酬効果

晴香から掛けられた「優しいね」という言葉は、当時の私にとって何よりの「報酬」でした。 自分の存在価値を他者からの承認に依存しているとき、このような言葉は麻薬のように機能します。たとえ自分が二番手の立場であっても、「必要とされている」という感覚が、歪んだ関係性を維持するための強力な動機(合理化)になってしまうのです。

3. 現実への帰還(日雇いバイト)という防衛

看病ののち、引き止められることなく日雇いバイトへと向かう描写は、非常に象徴的です。 どっぷりとロマンティックな、あるいは歪んだ共依存の世界に浸りきることなく、「生活のために働く」という冷徹な現実に戻ること自体が、当時の私の自我が崩壊するのを防ぐ「防衛機制(隔離)」として機能していました。現実の労働が、皮肉にも私を妄想の底から繋ぎ止めるアンカー(錨)になっていたと言えます。

私たちは時に、相手を救いたい(メサイアコンプレックス)と思いながらも、自分の無力さに絶望します。その境界線で立ち止まり、「無理しないでくれ」としか言えなかった当時の私の選択は、ずるくもあり、同時に非常に人間らしい防衛の形だったのです。


と、いつも通りにカウンセラー目線を記したのですが、本当はこの回、というかこの時初めて晴香が私を「抱きしめた」という回になりました。
今でも忘れない。
言葉を選ばずに言えば、「晴香はなんで俺を抱きしめたんだろう」。
それだけでした。


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