20220813 無修正デート写真日記 (自分と)
作品上映日 2022年8月13日
作品上映時間 午前9時~午後3時
・あらすじ
直前にお相手が高熱を出して倒れ、急遽デートキャンセルとなった脱輪。
連絡に気付かず既に待ち合わせ場所に到着していた彼は、これを機にひさしぶりの“自分デート”を楽しむことを決意する。
かくして始まるささやかにして壮大な真夏の大冒険。
はたしてその命運やいかに!?

Tops:Product Almostblack
Bottoms:無印のレディースワイドパンツファイナルセールで2500円
・モノローグ
「いろいろあって本日のデートがキャンセルになった僕だけど、それはそれでやったー!自分とデートできるー!こんなに素敵な男の子をひとりじめできるなんてし・あ・わ・せ♡と思うだけだから、結局なにがどう転んでも楽しめるんだよな。地球に生まれてよかったー!✌🏻('ω'✌🏻 )三✌🏻('ω')✌🏻三( ✌🏻'ω')✌🏻」
・日記
本来のデートでは京都国立近代美術館の「清水六兵衛・久兵衛展」に行く予定だったのだが、待ち合わせ場所の地下鉄の駅構内でたまたま広告を目にしたことから、お向かいにある京都市京セラ美術館の夏期展示の方が俄然気になりはじめ、まー二つとも行けばいっか〜、夏期展示の方はコレクション展だし内容薄めでしょ、サクッとそっち済ませた後、本腰入れてキンダイいこ〜っと!




このクソデカすぎる足の柱を見るたび「中くり抜いてエレベーター通して展望台作ってここら一帯を一望できるようにしたら儲かんのちゃうかなー」と思う。
いぇーい門川(市長)くん見てる〜?

どっちの美術館にもそれぞれのよさがある。
そうと決まれば、腹ごしらえ。ニコチンとタール、その他5000種類以上の有害物質を経口摂取せねばならぬ。
2020年4月の改正健康増進法施行以来、ただでさえ喫煙に関するルールが厳しくなっていた折、コロナ禍によって口と手と指、つまりは他者との直接的接触を可能にする身体部位にまつわる嫌悪感と、一度体内に入った有害物質が外に向かって吐き出されるというウィルス感染のビジュアルイメージに相似た喫煙の行為態様にネガティブな印象が付き、以前から伏在していたであろう「なんとなくあいつらきしょい。気に食わん。機会があれば合法的にとっちめたい」という非喫煙者たちの無意識的欲望と結びついた結果、凄まじい速度で禁煙ファシズムが進行し、さしたる根拠もないまま喫煙者の最低限度に文化的な生存の権利が剥奪されてしまって久しい今日、表向きお上品に取り澄ましたここ京都では、なにがどうてえとにかく吸う場所がない(コロナ禍以前、伊能忠敬ばりに足を使って作成した脳内喫煙スポット地図がビリビリに)。しょーがなく道端でこっそり吸おうもんなら、通りがかる人々から親の仇を見るような目で睨みつめられる始末。
そんな過酷な状況下において、数少ない喫煙スポットが平安神宮の近くの公園トイレ前にある喫煙所。



気持ちのいい開放的な空間。
なんで煙草一本吸うのにこんなコストかけなきゃいけないんだよ!と毒づきながら10分ほど歩いてたどり着いたその場所でぼんやり煙を吹かしていると、アメリカ映画でよく見るスプリンクラーが回転しながら家の庭に散水している光景とよく似たなにかが目に飛び込んできた。

近付いてよく見てみると、回転しながら発射される水流の中心にいるのは機械ではなく人間で、野球帽を被ってこんがり日焼けしている。どうやら野球部の男子生徒が両手にホースを持って芝グラウンドに散水しているらしい。さながら人力スプリンクラー。淡々としたその様子が真昼の蜃気楼のようで微笑ましい。

無事腹ごしらえを済ませ、元来た道を引き返して京セラ美術館へ。
受付のお姉さんに「夏期コレクション展が見たいんですけど〜」と告げると、「はい、あちらではピカソやマグリットの版画作品がご覧いただけます」と思いがけない返答が返ってくる。
「うへ〜、むっちゃ熱いじゃないですか〜!絶対見よ」
「ありがとうございます。実は先日うちに大口の寄贈がありまして。これまではどちらかと言えば日本の洋画などが収蔵の中心だったんですが、今回新たに西洋の版画作品がどどっとコレクションに加わることになったんです」
「うへ〜、むっちゃ熱いじゃないですか〜!絶対見よ」(語彙なし男)
にこにこしていれば、人はいろいろなことを教えてくれるものである。
さっそく階段を上がって左手、夏期コレクションこと「幻想の系譜ー西洋版画コレクションと近代京都の洋画」展へGO!


もうちょい色気出してもええと思いまっせ!
入ってすぐ、いわゆるところの洋画(という言葉は一般に「西洋の絵」ではなく「西洋の技法を取り入れて描かれた日本の絵」を意味する。揶揄的に言えば「戦前期における西洋かぶれの日本人画家によるものまね」であり、肯定的に解釈すれば「すべてのフェイクがそうであるように、オリジナルになりたくてなりたくてなりきれないなにか余計な部分にこそ逆説的なオリジナリティーが発見される」ということになる)作品が並んでおり、そのドデーン!とした存在感に圧倒される。
洋画はおそらく現代日本において最も人気のないジャンルだが、近年、その画面の異様な過剰さ・大胆さや直視できぬほどのキュートさが再評価されてもいる。例えば会田誠は、そうした批評実験を早い時期から実作でやり続けている作家だと言っていいだろう。

展示作品の多くが1930年代〜40年代の戦前期に制作されており、ちょうどこの頃は30年代に勇ましく登場したったの数年で幻のごとく消え去っていった“戦争漫画”と呼ばれる特殊ジャンルが隆盛した時期に当たる。少年画報などの漫画雑誌に掲載された、ドタバタギャグの中に愛国精神の発露や敵国に対するあられもない悪罵が適宜挿入される、少年たちの戦意高揚を目的とした作品群だ。
日本の漫画の骨格を形作った田河水泡の『のらくろ』シリーズ(あまりの人気ぶりから、『のらく“ら”』などの類似作品がマイナーな出版社の手によって粗製乱造されたという)や、戦車を擬人化した主人公が大活躍する阪本牙城『タンクタンクロー』などがその代表で、少し前にこれらの漫画を解説付きで掲載した『まぼろしの戦争漫画の世界』という本を読んだばかりだったこともあり、当時の日本に漂っていた庶民のリアルな政治的・生活感覚、“戦争”という得体の知れないなにか大きな者の足音が近づく中での人々の息づかいに思い馳せたりもした。

“海”をテーマに複数の洋画家たちの作品を集めた展示室では、海水浴客で賑わう真昼のビーチの上空を戦闘機が横切っている絵があり、日常を静かに侵食する不吉な予兆が刻印されている。
このような作品の背景にある文脈の読解を脇に置いた場合でも、作家それぞれの“西洋”に対するアプローチの違いを充分に楽しむことができる。全体に、マティスが描く人物のふくふくとしたプロポーションや大胆な輪郭線の影響が見られ、まーそこまでは予想の範囲内として、明らかにルソー(独学の日洋画家っちゅうか完全なアウトサイダーで、アカデミックな絵画教育を受けた人間にはひっくり返っても到達不可能なへたうまオリジナリティーが高く評価され、自身に欠けたプリミティブな魅力を渇望していたピカソやエコール・ド・パリの画家たちに絶賛された)マンマな絵もあり、戦前日本におけるルソーの影響力はなかなかばかにできないものだったのでは·····という嬉しい発見があった。
個人的におもしろかったのは、珍しい素材を使った2点。魚や貝が海を泳いでいる様子をテキスタイルによって描いた作品(おさかなさんたち図の部分はさまざまな色の太い糸によって編まれ、海を表現する地の部分は粗い木綿を網の目状に開くことによってできている)。そして、漆を使ってデザイン状に波を配置した半立体絵画(キャプションには漆、とただ一言書かれていただけだったのだが、メタリックな凹凸の輝きはステンレスやスチールのそれを思わせる。どういうことなんだろう?)で、同時期の西洋におけるアール・ヌーヴォー(ヨーロッパの画家たちが日本や東洋の絵画の特徴である平面性やデザイン性を取り入れて作り出したムーヴメント。圧倒的に有名なのはみんな大好きミュシャ)の逆輸入ないし工芸分野からの応答とも言えそうで興味深い。

が、こんなのは序の口で、続くフロアからいよいよ本展のメインである「西洋版画と日本版画の比較展示」が始まる。しょっぱなのキャプションを読んでのけぞった。
「当館は2021年に零三郎(れいさぶろう)氏の蒐集になる通称ゼロコレクションの中から200点あまりの版画作品を寄贈されました。本展は、今回新たにコレクションに加わったそれらの版画作品の一部を展示するものです」(大意)
どひゃー!受付のお姉さんが言ってた「大口の寄贈」って、ゼロコレクションのことだったのか!
零三郎は戦後一代で財を成した実業家で、1970年代から版画を中心に(絵画より安価で買えたため)美術作品の蒐集に乗り出した怪人物。その膨大なコレクションは氏のあだ名を取って“ゼロ(ZERO)コレクション”と呼ばれ、わが国のみならず世界中に多くのファンを持っている。
ゼロコレクションの魅力は、なんと言っても零三郎本人の審美眼の確かさと、幻想的あるいは魔術的なるもの、つまりは西洋文化の陰の部分に美を見出そうとするコレクターとしての一貫した姿勢にある。
例えばその美学を“アングラ”の一言で済ませてしまうのは、あまりに浅薄な振る舞いだろう。そうではなく、それはより広い歴史的視野に立った上での挑戦、戦後に開花したアングラサブカル文化の源流としての西欧における黒い水脈の流れを明らかにしようと企んだ、一人の非西欧人=日本人の偉大な軌跡なのである。
早い話が、ゼロコレクションには僕を含めたある特定の種類の人々にとってはたまらない作家・作品たちが勢揃いしているわけだ。

となれば、ピカソやマグリットばかりではなく(おそらく受付のお姉さんは一般的な知名度に配慮して二人の名を挙げたのだろうが、「大口の寄贈」がゼロコレクションであることが知れた今、そんな表看板などどうでもいい!いやもちろん二人とも大好きだけど、わりといつでもどこでも見られるし·····)、当然、○○や✕✕の作品だってあるだろうし、ひょっとすると、△△や□□の作品にすらお目にかかれるかもしれない。
なんてどきをむねむねさせていたら、あったあった全部あった!!!!!!!
かの有名なゴヤの『ロス・カプリチョス』連作に始まり(『眠りは〜』を生で見れる日が来るなんて!感激!)、マンガメディアのプロトタイプであるところのホガースの版画、『パリのおのぼりさん』などドーミエの諷刺画、ロートレックがドライポイントという手法で身近な友人たちを描いた珍しい作品、シュルレアリスムの画家たち〜ルネ・マグリット、サルヴァドール・ダリ、ジョアン・ミロ、アンドレ・マッソン、マン・レイ、ハンス・ベルメール、マックス・エルンスト〜の見る機会の少ない逸品、さらには戦後の荒廃したウィーンにおいて旗揚げされた“ウィーン幻想派”の画家たち〜ルドルフ・ハウズナー、エーリヒ・ブラウアー、エルンスト・フックス、ウーヴェ・ブレーマー〜による恐るべきオリジナリティーとイマジネーションが炸裂した傑作群まで!
おいおいなめとんのかふざけんなよサイコー!と思わず叫び出したくなるような内容。
中でも痺れたのが、フンデルトヴァッサーとフリーデンスライヒが共同で手掛けたミュンヘンオリンピックのポスター(1971、シルクスクリーン)と、ダリがサドの小説に挿絵を提供した『不運ゆえの過ち』(1969、リトグラフ)の造本デザインのかっこよさ!ほんとに来てよかった·····
そして仕上げがこれ。
ダリやエルンストらに強く影響されて制作を開始した三人の洋画家、北脇昇、小牧源太郎、今井憲一にスポットを当てたルーム。
勉強不足にして名前すら存じ上げなかったのだが、これが実に素晴らしい。

Pink Floydの名盤『Dark side of the moon』ジャケの元ネタ!?
特に、シュルレアリスムから出発して中国の易の思想に傾倒するなど独自の道を歩んだという北脇昇の存在は興味深く、“洋画”概念の読み直しを迫られるような思いがした。

色見本のようなものが載ってたり、ヨハネス・イッテンやクレーらバウハウス由来の色彩理論の影響もありそう。

ここで人間を身体的特徴によって分類する西洋のエセ学問「観相学」が登場していることの意味は大きいですが、ともかく。
少女人形の顔に止まった蛾の羽の模様が少女の顔の目鼻のように見える、という趣向に加え、画面下部、少女が持つ振り子?のようなものと黒い靴に赤い台座もまた、それぞれ目鼻口に擬せられていますね。
This is ダブルイメージ。

こちらもダブルイメージ。切断された人体と木の対応。
それにしても蝶とリボンが幻想芸術によく登場するのはなぜなんでしょう?岡本太郎から今敏まで。

そもそもダブルイメージはダリのトレードマークとも言える手法で、今井氏は北脇氏より遥かにその影響が顕著。
鏡に映った螺旋状の金属片、ビー玉、バラのつぼみがそれぞれ髪、目、口に対応しつつ人間の顔といういまひとつのビジュアルイメージを想起させる仕掛け。
画面左手、横を向いている青年らしき人物と、正面を向いて先方にいる誰かを説得しているようにも見えるその影も、ダブルイメージですね。
こうしたトリックにより、鑑賞者は「見るってなんだろう?」「普段われわれが見ている景色は“本物”なのだろうか?」といった問いへと誘い出される。
これこそがダブルイメージの効果なんです。

さーせん。
かれこれ三時間ぐらい在廊(一度言ってみたかった言葉)した結果、大満足&大披露のていで「もういっかー、これで!」となり、近代美術館の展示はおあづけ。
余韻を噛みしめつつ、のんびり三条方面に向かって歩き出す。
腹ごしらえだ、腹ごしらえ。精神的な意味ではなく、物理的な意味での。
途中立ち寄った店に「恋みくじ 1回100円 心を静めて優しく取ってね」と書かれた自販機があったので引いてみる。
後で飯食うタイミングで開けてみよう。

ぶらぶら歩きながら気になったお店やオブジェをパシャパシャ撮る。
素晴らしい展示を見た直後ということもあってか感覚が鋭敏になっていたものと見え、「こーゆーゴミがどうしてアートでないなどと言えようか!」と謎の義憤の念に駆られる。
赤瀬川原平の路上観察学会やトマソンなどの発想に通じるダダ・シュルレアリスム的な姿勢が自分の根底にはあって。特にシュルレアリスムの連中は“ファウンド・オブジェクト(発見された・もの)”という活動をやっており、これは町をぶらぶら散歩しながら見つけた取るに足らないものたちを「俺が作品として発見したことによってたった今こいつは作品になった!」と言い張ってアートに仕立て上げるという実験だった。現代アートの出発点であるデュシャンの“レディ・メイド”の先駆だと言っていいだろう。前後関係は微妙なとこだけど。

たぶんゴミの収集場所なんだろうけど、コーネルやロバート・ラウシェンバーグのオブジェ作品を連想させるクールさ。

これなんてもう、バスキアの幻のオブジェ作品だとか言われてもわからない(笑)
わからないほど、かっこいい!
近づいてみると·····

そうこうするうち三条駅に着いてしまい、全然ええ店ないやん、どないしょ、と途方に暮れていたところ、「高級生食パン専門店」なる店を発見し、ちょうどお盆の時期ということもあり通りがかったスタバやらなんやらがどこもぎゅうぎゅう詰めのテトリスだったのに対し、まースカスカの店内だったので「こりゃええわい」とばかりに潜入。

席に着くと「このシートに丸をつけた上でレジに提出せよ」とのお達しが。気取ってんじゃねえバカ!と思いながらも、まあ考えてみれば合理的かもな、なにより新鮮でおもしろい、ふむふむ·····と手渡された鉛筆でもってメニューに丸をつけていく。
前日にとある方から「エシレバターはんまい」という情報を得ていたので、エシレバターはマスト。後は適当に2秒で選択。

かくして眼前に現れたるはなにやらオシャレな偽装が施された単なるパン。これまたお店によって“ファウンド”され、新たに価値付けされた“オブジェ”であるにほかならない。

めんどくさがりの僕は「いちいちジャムを小分けにしてんじゃねえバカ!最初から塗っとけ!お客様ご自身で塗っていただく楽しみとかいらねんだよ!」と思いながら店員嬢ににっこにこ笑顔を向け「ありがとうございます!いや〜楽しみだなあ。おいしそ〜⸜(* ॑꒳ ॑* )⸝」と一口。
うん、パンはうまくないな。これはもともと僕が生食パンとやらののっぺり濃厚な味わいが好きくないからで、断じて店側の瑕疵ではない。
しかし、ジャムはうまい。特にストロベリーはいいぞ。エシレバターとかいう野郎は初めて食ったがなかなか見所があるな。イケメン。

あの〜、なんていうか·····
それなりに満足して食事を済ませ、オシャレだが縁が欠けてしまっているところが愛らしい器に注がれたアイスコーヒーを極細のストロー(なんでオシャレな店のストローってあんな細いの?)を使ってダイソン、世界で唯一吸引力の衰えない掃除機のものまねをしながらズルズルと吸い上げ、この文章を書き始めた次第。(円環構造を利用したメタフィクション)
その後僕は煙草が吸いたくて耐えられなくなって店を辞し、電車に乗って家に帰り着いたので、この文章の作者はどこにもいなくなり、煙のごとく掻き消えてしまう。それは、僕のいいデートの定義、「帰宅後お風呂に入っている時に思い出す」「爽やかな香水のように記憶が薫る」にも似て。
・エピローグ
「いや〜今日は来てくれてありがとう脱輪くん!ほんっとに楽しかった!一生忘れられないデートになったわ。
またいつか絶対に遊ぼうね〜!ヾ(●´∇`●)ノ」

おしまい。
いいなと思ったら応援しよう!
野生動物の保護にご協力をお願いします!当方、のらです。