見出し画像

苦悩の人 松岡欣平さん

松岡さんについて

松岡欣平さんの遺影

松岡欣平さんは1923年富山県のお生まれ。43年10月には東京帝国大学経済学部に入学されますが、学徒出陣により、同年12月には陸軍に入営されます。敗色濃い45年、ビルマに着任され、同地で戦死されます。 

今回、松岡さんの資料の展示替えのお手伝いをさせて頂きました、経済学研究科の相原と申します。資料を整理させて頂いた中で出会った、松岡さんの心情や価値観が現れていると感じた文章をここでいくつか紹介したいと思います。 

自然について

旧制中学1年生の時に書かれたノート「黒部峡谷」表紙
ノート「黒部峡谷」より、手描きの地図

松岡さんが中学生のときに描いた、地元富山の景勝地を紹介する地図です。丹念に描かれており、地元への愛着を強く感じました。
後年の日記にも「自然の恵まれた所には悪人は居ない」とあることから、自然は松岡さんの価値観の原点なのだろうと感じます。 

私がこの資料を最初に見たのは、松岡さんの陸軍入営後の日記などを見た後だったので、戦時色の濃い日記の記述と大きくかけ離れた、このあどけない地図や文章に触れ、戦争の罪深さ、運命の酷(むご)さを思いました。また、この資料を見つけたときのご遺族の無念は計り知れないものと推察します。

アルバムには、家族や友人とのスナップのほか、旅行の際撮影されたと思しき風景写真も貼り込まれています
同じくアルバムより、日光明智平ロープウェイでしょうか

苦悩について

1942年頃から、日記に戦争の記述が増え、終わりの見えない戦争に対する苦悩も書かれ始めます。
この資料の「唯戦争の為の戦争に陥ってゐないだろうか」という文章は戦争の本質を正確に捉えていると感じます。 

1943年11月

世間では学徒出陣壮行会(10月21日)も終わり、陸軍の入営を待つばかりの時期に書いた松岡さんの日記です。
その中の「世は将に闇だ。」から始まる文章からは、宿命を前にして冷静な自分と、苦悩する自分との間での心の激しい揺れ動きが、強く窺えます。 

1945年4月 ビルマ

松岡さんは1945年4月に歩兵第214聯隊の見習い士官としてビルマ(現 ミャンマー)に着任します。これは、インパール作戦、イラワジ会戦、メークテーラの戦いで壊滅的な被害を受けた部隊の士官の補充要員としての着任だろうと想像します。 

松岡さんの部隊はビルマ中部から山岳地帯を越えて、南へと撤退を続けます。ビルマ方面軍司令部の置かれている沿岸部の都市モールメン(モーラミャイン)を目指しました。 

部隊史にはこの際の行軍について次のように記されています。

道はいよいよ峻しく、加えて雨季という最悪の条件である。道という道はすべて泥濘化して、くるぶしまで没する所は珍しくなかった。(中略)そして軀は心底まで冷えきり、たまの休止もガタガタ震えて過すのが常である。

『歩兵第二百十四聯隊戦記』1029ページ

松岡さんがいつから部隊と行軍を共にしていたかは不明ですが、部隊は5月上旬にはモールメンに到着し、同地の警備に当たります。そしてモールメン到着から暫く経った5月27日の戦闘で、松岡さんは戦死されます。 

おわりに

残念ながら、現在の世界でも紛争は絶えません。将来を諦めざるを得ず、絶望的な戦況に身を投じなければならないことへの苦悩は、現在も無くなってはいません。 

日々報道される紛争の死傷者の数字の裏に、1人1人の人生が、そして語り尽くせない様々な苦悩があることを、松岡さんの文章と出会えたお陰で、思い出させて頂きました。

(執筆者:相原利彦)

追記:松岡欣平さんの遺稿の朗読

松岡欣平さんの遺稿は、Youtubeでも朗読動画を公開しています。
よろしければ、こちらも合わせてご覧ください。


いいなと思ったら応援しよう!