見出し画像

「自分の正解」を見つけた次の罠はこれか!

noteを開いたら、近藤弥生子さんのnote記事のタイトルが目に飛び込んできた。「みんな“にとって”の正解」を探してしまう自分を脱したい。

このタイトルの表現に、私のアンテナがピンと立った(このnoteを読んでいない前提、タイトルだけを題材にしてここからは書きます)。

私は『「40歳の壁」を超える人生戦略』という本で、人生の後半は「みんなの正解」ではなく「わたしの正解」が価値になると書いている。

ここで、弥生子さんが書いていた「みんな“にとって”の正解」というのは、人生後半戦だからこその悩みだなと思った。

なぜなら、私はこの性質が強いからだ。自分の正解を選ぶのだけど、周りの反応を見て「みんな“にとって”の正解」にしとくか、と方向変換することがある。ここで言うみんなとは、私から顔が見える、気配を感じられる範囲の人たちのことを指す。

家族、仕事仲間、仕事を依頼してくれる人、読者、リスナー……

これまでの「みんなの正解」とは、いわゆる他人軸の正解だった。世間様の正解。良い学校、良い会社、良い職業、良い家族……。良い=世間が良しとしているもの。10代〜30代までを、この良いといわれる「みんなの正解」を物差しに生きていた人は多いであろう。顔が見えない誰かの正解。

しかし、40代に入ると、「みんなの正解」では生きていくのが結構大変だと気づき始める。「みんなの正解」は、ある意味椅子取りゲームなのだ。レッドオーシャン。競争が前提にあるので、ミドルエイジにはきつい。これまでに脱落者を見てきているものの、脱落者がそのまま脱落してしまったかというと、意外とそうでもないことにも気づき始める。そして、ずっと今後競争していくのか? そんな競争に勝ったところで……となっていく。
そこで出てくるのが「わたしの正解」である。

ここから先は

1,007字 / 2画像
加入すると過去のマガジン記事(約100記事)がすべて読み放題になります(有料記事除く)。

毎日が流れていくので、アンテナがたった「こと」を書き留めていきます。月5〜6本程度の配信。1ヶ月550円(税込)。

サポートは不要ですよ!他の誰かに使ってみてください。少し幸福な気持ちになります。親切は脳に効く。