境界を定義する思考|noteを書き続けられている思考方法をご紹介
「言語化できる人は優秀である。」
最近、そんな言葉を耳にする機会が増えた。
仕事でも、SNSでも、「言語化力」という言葉が一人歩きしているように感じる。
確かに、自分の考えを分かりやすく伝えられる人は魅力的だ。
しかし私は、この「言語化」という言葉の定義が曖昧だと感じる。
言語化とは、本当に文章を書く技術なのだろうか。
以前の記事で、私は言語化の三つの軸を紹介した。
①何を言語化するのか
自分の内側なのか、外側の世界なのか。
②誰のために言語化するのか
自分のためなのか、相手のためなのか。
③何のために言語化するのか
理解するためなのか、新しい価値を生み出すためなのか。
私は普段、この中でも、
・外側の世界を
・自分が理解するために
・構造として整理する
というモードで思考することが圧倒的に多い。そしてその思考結果をnoteに記しているということだ。
仕事もそうだ。
社会問題もそうだ。
哲学もそうだ。
私は、世界はどのような構造で動いているのかを理解したい。
だから私にとって言語化とは、文章を書くことではなく、「理解すること」なのである。
では、その理解はどのように進んでいくのだろう。
自分の思考をまさに「言語化」してみなさんにご紹介してみよう。
私の思考方法は、言葉を探しているのではない。
境界を探しているのである。
例えば、
「嘘をつくことは悪いことなのか。」
という問いを考えてみる。
多くの人は、「嘘は良くない」と答えるかもしれない。
しかし、本当にそうなのだろうか。
余命が短い患者に病名を伏せること。
子どもの誕生日のサプライズ。
落ち込んでいる仲間に「きっとうまくいく」と励ますこと。
逆に、相手を騙して利益を得ること。
これらはすべて「事実と異なることを伝える」という意味では同じである。
しかし、私たちは同じようには評価しない。
ここで私がやることは、結論を出すことではない。
まずは、とにかく事例を考える。
そして意識していることがある。
極端な事例を考えることである。
境界線の近くばかり考えていると、違いは見えにくい。
だから、真っ白な事例と真っ黒な事例を並べてみる。
さらに、
「反対のケースはないか。」
という問いを自分に投げかける。
人は意外と、自分が考えられる範囲の事例しか思いつかない。
だから意識的に思考領域を広げるのである。
十分に事例が集まったら、今度は思考モードを切り替える。
ここでは、自分の感情にはアクセスしない。
一歩引いて、客観的に事例を眺める。
「これらは何によって分類できるのだろう。」
「境界になっているものは何だろう。」
そう考える。
すると、
「相手を守るためなのか。」
「利益のためなのか。」
「誠実さなのか。」
そんな言葉が少しずつ浮かび上がってくる。
もちろん、一回で正解にたどり着くことはない。
仮説を立てる。
その仮説をもう一度事例に当てはめる。
違和感があれば修正する。
また眺める。
この往復を何度も繰り返す。
そうすると、不思議なことに、ある瞬間「これだ」と思える言葉に出会う。
私は、この瞬間が、この思考における言語化なのだと思っている。
もちろん、本を読めば、多くの学者や哲学者が定義を書いている。
その定義を学ぶことはとても大切だ。
しかし私は、自分で境界を探した定義の方が圧倒的に腹落ちする。
それは、自分の経験や知識、価値観と接続されているからだ。
借り物の定義ではなく、自分自身で獲得した定義なのである。
世の中では、言語化とは「うまく伝える技術」として語られることが多い。
もちろん、それも間違いではない。
しかし私は、その一歩手前にある「境界を定義する思考」を獲得してもらいたい。この思考方法に、本質が眠っていると感じている。
曖昧だった世界に、自分なりの境界を引く。
その境界を言葉として定義する。
すると、それまで霧がかかっていた世界が、一気に鮮明になる。
答えを書くためではない。
まだ定義できていない世界の境界を探すためである。
皆さんは、「言語化できない」と感じることがあるだろうか。
それは、自分の中で境界が定義できていないだけなのだと思う。
そんな視点で、もう一度その問いを眺めてみると、これまでとは違う景色が見えてくるかもしれない。
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