🔖『ハンチバック』が問う読書信仰―言葉は本当に人を救えるのか【考察】
『ハンチバック』あらすじ
重い障がいをもつ井沢釈華は、グループホームの一室から投稿小説やSNSで欲望と怒りを発信する。
ある日、秘密の投稿をヘルパーに知られ、その閉じた生活が大きく揺らぎ始める 。
生きること、書くこと、読むこと、欲望することの意味を問いかける作品。
▼この記事のまとめ

►読み書き能力の神聖化への警鐘
特に芥川賞の受賞以来、私が意識的に主張してきたのは、読書文化が象徴する読み書き能力の神聖化への警鐘でした。
……高等教育機関で学んだエリート(体力エリートでもある人たち)が社会を設計して動かしていること。
これらの大本にある、言語能力を中心に据えた人間感。
……つまるところ近代社会を基礎づける言葉信仰を私はすべて問題視しています。
市川沙央・著『ハンチバック』のテーマのひとつが上記の一文に込められているのではないでしょうか。
これは本作品の後に収録されている往復書簡からの引用ですが、ここで作者は「読み書き能力の神聖化への警鐘」と「言葉信仰の問題視」をしています。
主人公・井沢釈華は、重度の障がいのために読書がままならない状況に置かれています。
これは作者の市川氏の体験にも基づく描写で、「障がい者の読書」というテーマにも一石を投じています。
言葉は、理解できるもの、表現できるもの、伝えられるもの 。
さらに進んで、「読書こそが人間と社会を成熟させる」という神聖化に、真っ向から挑みます。
この「信仰」が浸透している社会では、そのステージに上がれない人が振り落とされる可能性が高まるのです。
これは、宮口幸治『ケーキの切れない非行少年たち』(新潮新書)にも通じるテーマではないでしょうか。
児童精神科医である宮口氏が、少年院には認知力が弱く、「ケーキを等分に切る」ことすら出来ない「境界知能」の人々がいることに着目した本書は大きな話題を呼びました。
言葉では届かない人がいる。
これを理解していない、認識していない人々によって、社会が動かされていることへの問題提起とも言えるでしょう。


►言葉の敗北と欠如の力
さらに著者は、知識と言葉とに、自由にアクセスできるはずの健常者が、喧嘩と衝突を繰り返しているのに対し、ケアで成り立つ障がい者の世界の方が、よほど「人間性の防波堤」であると述べています。
生きるためにケアの手を必要とする障害者は、彼らのようにいちいちくだらない思想上の価値観で他人の言動を善悪に分けて断罪して対立などしていたら、生きていけない場面もある。割り切ったリアリストでなければ、重度障害者の生活は成り立たない。
「現実」を目の前にして、リアリスティックに生きるときに、対立などしていられないのです。
逆に言えば、対立と断罪をしているときには、「現実」を見ていないとも言えるのではないでしょうか?
著者も述べていますが、このように単純な構図でもなく、またケアの世界もクリーンで清いというわけではないでしょう。
しかし、言葉を蓄えることによって、一致と共生が達成されていないのに対し、欠如によって断罪から離れられる、というのはひとつの視座を与えてくれます。

