【命の真価】医療的ケア児が見せた「達観した微笑み」に俺は泣いた。彼らは、なぜ50代の俺たちより「大人」なのか?

彼らの「優しさ」は、俺たちの優しさとは種類も桁も違う

俺はこれまで、喧嘩もしたし、昔は無免で単車を乗り回していたようなやんちゃな人生を送ってきた。面白いことや楽しいことは、徹底的に楽しむのが信条だ。だからこそ、世の中の「理屈」や「建前」には敏感だし、中途半端なやつは嫌いなんだ。
だがな、俺は、医療的ケア児や重度心身障害児と呼ばれる子どもたちと触れ合う機会があり、その際、俺の考えは根っこからひっくり返っちまった。

彼らは、俺たちが普段使っている「言葉」で気持ちを伝えてはくれないことが多い。生きるための多くのサポート、つまり医療的なケアが必要な、「大変な存在」として世間は見ている。
だが、そんな世間の見方なんて、一瞬でブッ飛ぶ「表情」があるんだ。

なぁ、お前は本当に彼らに「優しさ」を与えていると、胸を張って言えるか? それとも、俺と同じで、彼らから受け取る優しさの「桁」に圧倒されてねぇか?
俺が彼らから受け取った優しさは、俺たちが知っている「優しさ」とは種類も桁も違う。それはもっと純粋で、深く、俺の荒んだ心を根っこから洗っちまうような力を持っているんだ。

第一章
一瞬の微笑みは「大人」の証。「俺以上に達観してるんじゃねぇか?」

ある時、俺が他の子どもと接している最中に、ふと、ある子に目を向けた。特別に言葉を交わしたわけでもねぇ、ただそこにいるだけの子だった。
俺が何かを成し遂げたわけでも、大したことを言ったわけでもない。ただ、俺の目を見て、静かに微笑んだんだ。

そして、ゆっくりと、「うん、うん」と頷いた。
その瞬間、俺の頭の中に響いた言葉は、「わかってるよ」だった。
これはどういうことだ? 54年間、人との「つながり」を何よりも大切にしてきた、この俺の人生の深さも、その瞬間に感じた「戸惑い」も、言葉を超えたところで、すべて理解されているような気がしたんだ。
彼らは、肉体の自由がない分、生きるという「本質」に集中している。人の感情や、その場の空気を、俺たち健常者よりも遥かに鋭く、深く感じ取っているんじゃねぇか?
だからこそ、その一瞬の優しい表情には、俺たちが長年生きてやっと手に入れる「達観」した、揺るぎのない強さが宿っている。

「本当は俺以上に大人なんじゃねぇか?」— そう問いかけずにはいられなかった。あの静かな頷きは、俺の人生そのものを肯定し、受け入れてくれている、神様の微笑みのようだったぜ。

第二章
「ただ生きる」という重さ。何十億のブランドより価値がある命の密度の教え

世の中は、「生産性」とか「成果」とか、目に見える「価値」ばかりを追いかけやがる。
だが、彼らの前では、そんな尺度は何の役にも立たねぇ。
彼らは、「大人になれないかもしれない」という、俺たちには想像もつかない運命を背負っている。だからこそ、彼らの「生きる」という行為は、俺たちの「人生」とは重さが違う。
彼らは毎日、必死に生きている。生きようとしている。
もしかしたら、大人になれないかもしれないその子たちは、俺たちみたいに「明日」や「将来」の不安に気を取られたりしねぇ分、「今、この瞬間」を生きることに、とんでもないエネルギーを注いでいる。
その「生の密度」たるや、どうだ? 俺たちが50年以上かけてやっと手に入れた「命の重み」を、彼らはほんの数年で会得しているのかもしれねぇ。

だからこそ、彼らの表情には、俺たちよりもはるかに速いスピードで「大人になった」、いや、「達観した者」の優しさと静かな強さが宿っているんだ。
俺はブランドにも高価なものにも、まったく興味がない。本当に価値があるのは、彼らが教えてくれる「命の輝き」という、誰にも奪えない、本質的なものなんだ。

第三章:
魂のつながりが全てだ。上下関係の壁をぶち壊す「未熟な大人」への包容力

俺は、ある程度の上下関係を把握できない人間は嫌いだ。筋を通すってのは、人と人との礼儀だからな。
だが、彼らと接していると、そんな俺の「こだわり」すら、ちっぽけなことに思えてくる。
彼らは、言葉も交わせない、体の自由もない「立場」かもしれねぇ。俺たちは彼らを「ケアする側」かもしれない。
だが、「俺以上に大人なんじゃねぇか?」と感じるあの瞬間、上下関係なんてものは、どこにも存在しなくなる
そこにあるのは、魂と魂の、ただ純粋な「つながり」だけだ。
俺たちの存在を静かに受け入れ、「うんうん」と頷く彼らの眼差しは、教師のようであり、師匠のようでもある。俺たちを「未熟な大人」として、深く包み込んでくれているように感じるんだ。

人と人とのつながりを最も大切にしているこの俺が、言葉ではなく存在そのもので、そのつながりの本質を学ばせてもらっている。
俺たちが彼らに「してあげる」ことなんて、大したことじゃねぇ。彼らの隣に「いる」こと。そして、彼らが必死に生きる姿から、「大人とは何か」「生きるとは何か」を、謙虚に学び続けること。
これこそが、俺たちにできる、最高の「つながり」なんじゃねぇか?

揺るがない命の光と、静かなる戦士たち。未熟な俺たちの明日への旅立ち

ここまで、俺の感じたことを熱く語らせてもらった。医療的ケア児や重度心身障害児が時折見せる「神様の微笑み」、あの達観した優しさは、俺たち健常者の「大人」という概念を根底から揺さぶる。
彼らは、ただそこにいるだけで、「命の価値」とは何か、「本当に大切なもの」とは何かを、言葉抜きで教えてくれる師なんだ。
そして、最後に、俺たちが忘れてはならない存在がいる。
それは、そんな命の光を、毎日、毎日、必死になって守り、支えている親御さんたちだ。

24時間、休みなく続くケア。先の見えない不安。世間の冷たい視線と闘いながら、自分の全てを懸けて我が子を守り続けている。俺のようなやんちゃな男が言うのもなんだが、その覚悟と愛の深さには、本当に頭が下がる思いだ。
俺たちは、彼らの「大変さ」に目を向けるんじゃねぇ。彼らが日々戦い、そして教えてくれる「優しさ」と「つながり」の本質に、もっと目を向けなきゃならねぇ。
彼らの存在は、俺たちが人生で出会う、最も良質な教えであり、高価なブランド品なんかには到底代えられねぇ、真の宝物だ。
彼らの光は、俺たちの傲慢な心を洗う。この学びを胸に、お前は明日、何に対して「価値がある」と判断する?

見かけたら頼むぜ。優しく、心からの敬意を込めて微笑んでやってくれ。それが、俺たちが彼らの「未熟な大人」から卒業する、最初の一歩だ。

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