駐在帯同、思ったよりしんどくね?
「仕事は人生の暇つぶしだよ」
あるとき会社の先輩にそう言われた。
その言葉を聞いたときに心の中で(そんなわけないでしょ)と反論した。
私にとって仕事は生きがいだし、日々の充実感は仕事から得ている。言っている意味が理解できなかった。
でも、その先輩は病気で2年間の休職を余儀なくされていた。治療の合間、日々の退屈さに苦しんだという。そして復職後に放ったのが、冒頭のセリフだった。
当時の私は自分には関係のない話だと思っていた。
まさか自分が「退屈」と本気で向き合う日がくるなんて、夢にも思わなかった。
海外駐在に駐夫として帯同するまでは。
駐在員の時には見えなかった退屈
「駐在員としての経験があるから大丈夫っしょ」
妻が勤め先から、ロンドン駐在をオファーされているとの話を聞いた時に、楽観してそう思っていた。
私は過去に3年間欧州のある国に家族帯同で駐在したことがある。
妻はそのとき休職という形で生まれたばかりの幼子を連れて帯同してくれた。
自分では駐在中に結構なハードワークをこなし、家族のケアも怠らず頑張っていたという自負もある。
任期途中にコロナ禍が始まり、ロックダウンで外出も制限される中、家族全員が心身の健康を失わず無事に任期満了できた。
「そんな状況を乗り越えてきた自分だから立場が変わっても大丈夫!」
そう思っていたのだが、それは大いなる勘違いだった。
駐在員という立場でなく、帯同家族=駐夫として家事と育児にフルコミットして生活を始めてみると、モヤモヤとした「退屈」の感情に襲われ始めた。
なにこれちょっとしんどいんだけど。
今が充実していないわけじゃないんだ
ロンドンに来て2か月。
子どもたちの学校生活も軌道に乗り、毎日笑顔で登園する様子を見られるのは嬉しい。日本にいたときは叶わなかった幼稚園の園庭開放に付き添い、帰宅後に一緒におやつを食べ、宿題を見てあげられる。
毎日楽しそうに遊ぶわが子の笑顔がまぶしく、これまで以上に心の距離も近づいた。
結婚してからしばらくサボっていた料理にも力をいれ腕も上がった。子どもたちが「今日のご飯、おいしいね!」と言ってくれると、心がほっこりする。
家族との時間は増え、以前よりも妻と些細なケンカをすることも減った。
共働きのときは、どちらも余裕がなく、ちょっとしたことで衝突していたけれど、今はそんなことも少なくなった。
子どもたちの成長の変化を知れる喜び、一緒に過ごす時間が増えて縮まる距離。それは何物にも代えがたい、とっても大切なもの。
それなのに、どこか満たされない。
充実はしているのに「退屈」を感じる、この矛盾は何だ?
仕事を辞めて失われたもの
仕事をしていた頃、私は毎日誰かと会話し、仕事の悩みを共有し、相談を受け、時には飲み会でくだらない話をしていた。そんな当たり前の日常が、突然なくなった。
毎日学校と家の往復、スーパーのはしご。人との込み入った会話がほとんどない。
そしてふと気づく。
そうか、「大人との会話」が圧倒的に足りないのか
妻が泊りがけ出張の日なんて下手すりゃゼロだ。
以前駐在していた時にやたら妻に「今日何時に帰ってくるの?」と聞かれてたけど、あれは大人と会話したかったのだなぁと今になって気づく。
妻が仕事から帰宅するまでの時間が長く感じて「早く帰ってきて欲しいな、話したいな」と思う日もあった。
在職中は人との会話を通じて学ぶこと、気づくこと、楽しむことがあった。刺激をいっぱい受けていたんだな。なくなってそのありがたみに初めて気づいた38歳の冬。
大人との会話の不足は侮れない。日差しの少ないロンドンでのビタミン不足よりも深刻かもしれない。
加えて、家族との生活を過ごしていてふいに襲ってくる「私って何も社会に役立ってなくないか?」という感情。
それもそのはず、仕事を辞めたことで「社会的な役割」が一つ消えたから。
夫であり親であることで役割はある。でも「仕事人」としての役割はない。
誰かに感謝されることで得られるやりがい、成果を出したときのささやかな達成感はあった。仕事のおかげで職場や取引先の人とのつながりがあり、自分の心が支えられていたんだなと気づく。
仕事を辞めるとそういう感覚がいったんゼロになる。これすなわち社会的な役割の喪失の影響。
1年前は忙しすぎて、もうこれ以上はお腹いっぱいで仕事できないと思っていたけど、辞めてみると今度は仕事が恋しいなんて人間って不思議だわ。
退屈の正体が「大人との会話」と「役割の喪失」だったと認識して、初めて理解できることが増えた。
以前は駐在帯同で病んで帰る人がいると聞いても、ピンとこなかった。大変なのは駐在員本人でしょと。でも駐夫になってみてようやくそれが肌感覚としてわかってきた。
駐妻・駐夫が最初に「思ったより駐在帯同がしんどい」と感じるのは、こうした退屈にともなう社会との断絶感なんじゃなかろうか。
退屈との向き合い方
ロンドンのどんよりした天候と相まって、このままではまずい、メンタルがやばい、という感覚もあり何とか抜け出させるようにもがいている。
退屈に飲み込まれないために、私が取り組んでいること、取り組もうとしていることがある。
オンラインでの会話の場を持つ:家族や友達とLINE通話で気晴らし。子どもを出しに親としゃべる。話せる友人がいたことにも感謝。加えて現在加入しているオンラインサロンに積極的に参加し、Zoomで会話を楽しむ。イベントが幸い沢山あるため、そこに顔を出し、積極的に人と話す。別にオンラインサロンでなくてもなんでもいい。でも継続的に大人と話す機会は持った方がいいなと感じている。
仕事や仕事に近い活動をする:個別にビジネス相談を受けることで「役割」を取り戻す。幸い私の場合は「ビジネスモデルの磨き上げ」というサービスをクローズドな場で提供している。大人と仕事の会話ができるし、社会とつながり誰かに貢献することで役割を取り戻せている。
現地のコミュニティに入り込む:子どもたちの学校だけでなく、現地には多様なコミュニティがある。日本人、英国人との交流を増やしていく。特にイギリスにはたくさんのボランティア活動もあると聞く。今後はここに注力したい。駐夫同士での交流会もちらほら企画しているし、これがなかなか楽しい。
人とのつながりを再構築することは駐在帯同する人のメンタルを保つうえでとても大切なことなんだと思う。「大人との会話」と「役割の喪失」を埋めるためにも。
ヒカリの指す方へ
駐在帯同に伴う「退屈」は、ただの暇ではない。
それは、人生の中で大切にしていたものが欠けたときに生まれるものだ。自分で選択したものであれ、突如現れるものであれ。そして、その退屈を埋める方法は一人ひとり違う。
今なら、病気で休んでいた先輩の「人生は退屈だ」という言葉もより深く理解できる。形は違っても療養中の彼もまた「大人との会話」「役割の喪失」により退屈を感じていたんだろうな。
まだまだ手探り状態だが、この帯同にともなう退屈を埋めるために少しずつ歩いていきたいと思う。
駐在帯同、思ったよりもしんどくね?から、しんどかったけど楽しくなったぜ!と思える日まで、少しずつでいいから歩いていこう。
いいなと思ったら応援しよう!
記事が面白かったという方は応援お願いします!カフェ代や書籍購入に当てさせていただきます!