見出し画像

なみきみぎわ 改め なみきエゴ

 お昼ごはんを食べに家に戻りました。車を降りると、玄関ポーチに点々と赤と黄色の水玉。土くれ。指先ほどの、おままごとみたいな卵のカラ。わきに、まだ何も踏んだことのない、矢印の片足と、ポヤポヤ毛で目を開いたままの小さな首。

 カラスに、またやられてしまった。

 毎年、ツバメの夫婦が巣を作りに来るのを、カラスはよく知っているのです。

 生まれたばかりの雛。せめて、いまわの際がこわくなかったか。いたくなかったか。

 もう閉じない目をのぞけば空っぽで、こわいともいたいとも思う間もなくいった景色が、濁流になってどうどうと流れ込んできました。

 いつもカラスがいる電線を見上げると、ゴチック太文字72ポイントで

クッタ

と。

 喜びでも虚しさでもなく、ただ。それらの感情はニンゲンのエゴでしかなく。生きると死ぬとは同じこと。

 電線は雲のない真っ青な空を長しかくに切り取っています。


 果てしなく湧き出る妄想力のせいか、唐突に音が、映像が、嘘か本当かわからないままに流れ込んできます。なんの前置きもない。止める術も、阻む術もない。眉間から、ただ、流れ込むままに、侵される。

 大きいもの、たくさんのものはかたまり、ふっくらと満ち満ちて、自らは満ちているとも気付かず何も言わない。流れ込んでくるのは、小さいもの、少ないものの声。それらは鋭く甲高く深く響く。いつだって小さいもの、少ないものが追いやられ、踏みにじられ、なかったものにされていく。でも、大きいもの、たくさんのものの中でもまた、小さく少ないものが生まれ、それは追いやられ、踏みにじられていく。そして小さいもの、少ないものたちの声は、時に重なって彼らを大きいもの、たくさんのものにしていく。万華鏡のように、くるくると裏返り、裏返り、裏の裏は表。表の表は、裏。永遠の安寧は、ない。いつしかみな呻き声をあげる。

 「だって私たち、おんなじよ。私があなたで、あなたが私であったかもしれないのよ」(バーネット『小公女』)

 わたしがあなたで、あなたがわたしであったかもしれない世界。
それが、スタンプを重ねて次々に押すみたいに無数に増えて行って、わたしを埋め尽くします。小さいもの、少ないものの声が重なり加わって谺して、倍音倍音ばいおん。わたしの中はいっぱいになります。


 制服の会議が、またありました。こころとからだが違う子どもたちが、少しでも楽に息ができるように。アンテナがたくさん立ってしまう子どもたちが、少しでも痛くないように。制服のいろ、かたち、素材、それらすべてが、小さいもの、少ないものへのメッセージになるように。


 理念があるわけではない。そんな立派なものではない。ただ、わたしがあなたで、あなたがわたしであったかもしれない無数の世界が、わたしを刺すのです。小さいもの、少ないものの声が濁流となって流れ込み、わたしの中からあふれて止まらないのです。

 わたしのする、しているすべての活動は、誰かの為、ではない。単なるエゴです。わたしがあなたで、あなたがわたしだったかもしれないから。くるりくるりと返り返り、白は黒で黒は白。黒は白で白は黒。あまりにもエゴがひどいので、いっそ改名しようかと思います。

いいなと思ったら応援しよう!