スタンド・バイ・ミー|エッセイ
小さい頃、テレビで映画を観るのが好きだった。
たしか5歳くらいだったと思う。夜に、ゴールデン洋画劇場という番組があり、親と一緒になんとなく見ていた。
その日は『スタンド・バイ・ミー』という映画をやっていた。主人公は、12歳の4人の子どもたちで、親に黙って子どもだけで冒険に出かける話だった。
覚えているのは、線路の上を歩いていたこと。
列車に轢かれそうになって、ハラハラしたこと。
森の中にある水溜まりで、ヒルに噛まれて怖かったこと。
ストーリーはよく分からなかったが、子どもだけで冒険するのは楽しそうだった。
私は、4歳の時に生まれ育った町から、父が生まれ育った町へ引っ越してきた。新しい家の近くには国鉄の駅があったが、物心つくころには廃線になっていて、列車が走っている姿を見たことはない。
5歳の時、祖母に連れられて、駅の跡地へ行った。
私の身長くらいの高さのコンクリートの駅のホームに、屋根があるだけの駅だ。切符売り場も改札もない。
駅のホームに立って、右を見ても左を見ても、延々と赤茶けた線路が続いているのが見えた。映画で4人が歩いたあの景色そっくりだ。
私は、ホームから下りて、線路の上を歩いてみた。
風化してボロボロになった枕木が、所々折れてしまって歩きにくかった。
今度は、線路の上に乗って、落ちないように両手でバランスを取りながら歩いてみた。主人公のゴーディが、鉄橋を渡るときに線路の上を歩いていたのを思い出したからだ。
線路の左右は開けていて、風が通り抜けて気持ちがいい。
この線路を歩いて行ったら、どこに繋がっているんだろう。
私は、どこまで歩けるのか試してみたかったが、私が遠くへ行こうとしているのに気付いた祖母に止められてしまった。
どうしても、線路の先が気になった私は、別の日に1人でこっそり駅の跡地へ行った。前回行けなかった線路の先を見るために、線路に沿って歩きだした。
しばらく歩くと、大きな川が見えてきた。そして、赤く錆びた鉄橋が見えた。映画の中で主人公たち4人が、列車に追いかけられたあのシーンにそっくりだ。
私は線路の上を歩いて、鉄橋を渡った。
映画の中では、左右に柵はなかったが、現実の鉄橋は川に落ちないように、しっかりと柵があった。
橋の中ほどまで来たところで、足元を見た。
枕木の間から、遥か下方に流れる川の水面が見えた。
映画の中で、臆病者のバーンが怖くて四つん這いになって橋を渡っていたシーンを思い出した。実際に見えると、本当に怖くて、私は橋を渡りきることなく引き返した。
私にも一緒に橋を渡って冒険してくれる仲間がいれば、あの向こう側に続いていく線路の先を見れたのだろうか。
大人になって、久しぶりに『スタンド・バイ・ミー』を見た。子どもの頃は、冒険映画だと思って見ていたが、大人になって見返すと、友情と喪失の物語だったことに気づいた。
とくに気になったのは、主人公のゴーディと、親友でグループのリーダー、クリスだ。2人とも家庭環境が複雑で、心に大きな傷があった。
冒険に出かけた最初の夜にクリスがゴーディに、学校の先生に裏切られたが、誰にも言い出せなかったことを泣きながら話す場面があった。
正義感が強く誰よりも頼れる存在だと思っていたクリスが、暗闇の中で静かに涙する姿に心を打たれた。
そして翌日、目的の場所に到着したとき、今度はゴーディが兄を失った悲しみに涙するところを、クリスが隣で慰めた。
ゴーディを本当の意味で理解してくれていたのは、亡くなった兄と、クリスだけだった。こんな大事なシーンを、子どもの頃はなんとも思っていなかった。
その後、4人はそれぞれ別々の人生を歩んでいく。
あんなに仲の良かった4人が、だんだん疎遠になっていったというナレーションが、なんだかリアルで寂しかった。
あの日歩いた線路は、全て撤去されて、道路に舗装された。駅があった場所も取り壊され、公園になっている。
昔、駅だった名残は、大きな列車の車輪のオブジェと、駅の名前が書かれた白いペンキで塗られた木の看板だけだ。それ以外、もう何も残ってはいない。
公園の前の道路に立って、あの日歩いた線路の方向を見る。真っ直ぐ伸びた道路の先に何があるのか、今の私はもう知っている。
あの頃は、早く大人になりたいと思っていた。
しかし、大人になってしまった今、私は毎日が新しいことで満ち溢れていた、あの頃の自分が羨ましくて仕方ないのだ。
