大成功男の哀しさと可愛さ——本当のパートナーシップとは何か
松浦勝人氏のnote記事を読んで、微妙に思うことがあってnoteにする。
一見すると誰もが羨むような「大成功」を収めた男の子。しかし、男にとっての大成功は決してイージーモードに入るチケットなどではない。むしろ、「人生ハードモード」の凄惨な始まりなのだとつくづく思う。
そして思うのは、男と女では「お金」への執着の仕方や捉え方が全く違うということ。
だからこそ、男は成功すればするほど、自分と同じレベルで対等に会話ができ、世間の構造を深く理解し、人の心を掴み、動かせる「本物の女」をパートナーとして近くに置かなければ、本当に地獄を見ることになる。
本当は弱くて幼稚な生き物
客観的に見れば、ガチの大成功を果たした男というのは、どこかすごく可哀想で、そして愛おしい存在。
本質的には誰よりも不器用で、誰よりも弱く、そして幼稚だからこそ、その執着や情熱が突出して大成功してしまっただけなのだ。それなのに、立場や世間の目があるから「強靭な大人」として振る舞い続けなければならない。本当は脆くて孤独な生き物なのに。
そう考えると、人生は「そこそこの成功」くらいが一番幸せなのかもしれない。平穏で、傷も浅く、温かい日常を手に入れられるから。
最後の土壇場で見せる「大どんでん返し」
けれど——ガチの大成功を収める男という生き物は、最後の最後の土壇場で、とてつもない「大どんでん返し」をやってのける。
散々苦しみ、葛藤し、孤独と戦い抜いた末、人生の最後の瞬間には、最愛の女性にそっと手を握りしめてもらい、「あなた、本当にありがとう」と感謝の言葉を贈られて、ものすごく幸せな気持ちで空へと帰っていくのだ。
そしてこの世を去った後、人々は語り継ぐ。
「あの人は、本当にすごかった」と。
人生ハードモードを駆け抜け、伝説となった男の人生。それは儚くも、美しく、どこまでも泥臭いロマンそのものなのだと思う。
