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世界は、私の死とともに「完結」する。

なんか病んでる人が考えたタイトルみたいですが全然違います笑

私は、昔から「独我論(どくがろん)」という考え方が好きだ。
言葉は難しそうだけど、中身はシンプル。「この世界で本当に存在していると断言できるのは、自分の意識だけ」という視点のこと。
極論を言えば、目の前の景色も、聞こえる音も、今この文章を読んでいる「あなた」ですら、私の脳が作り出した壮大なシミュレーションかもしれない。他人には心なんてなくて、精巧に動いているだけのプログラムかもしれない……。
そんな究極に孤独な、でも究極に自由な世界に、私は救われてきた。

嫌な出来事も、私への「演出」

今日も倉庫の中を、アディダスの底をすり減らしながら2万歩歩いた。
正直、足は棒のようだし、仕事で理不尽なことがあれば、心だってささくれ立つ。
でも、そんな時こそ独我論の出番だ。
「この嫌な出来事も、今の私に何かを気づかせるために、私の意識がわざわざ用意したイベントなんだ」
そう思えば、腹を立てるのが馬鹿らしくなってくる。
このトラブルを乗り越えた先に、どんな「自分」にアップデートさせようとしているのか。そうやって、嫌なことすら「自分へのメッセージ」として解釈し直すと、世界は一気に自分都合の物語に変わる。

ヌマチチブの睨みと、シマドジョウの沈黙

玄関を開けて水槽の前に座り込むと、目の前で、ヌマチチブがふてぶてしい顔でこっちを睨んでいる。
その横で、シマドジョウが砂に鼻先を突っ込んで、すっとぼけた顔でモゴモゴ動いている。
私がどれだけ疲れていようが、理不尽に耐えていようが、彼らには関係ない。
でも、その「無関心さ」こそが、今の私に一番必要な演出だったりする。効率と数字に追われる世界から、私を引き戻してくれる大切なキャストたち。
私が彼らを見つめている間だけ、彼らは私の宇宙で命を吹き込まれる。

幕が下りるその瞬間まで

もし私が明日死んだら、この宇宙は消滅する。
私が観測をやめた瞬間に、ヌマチチブの黒い瞳も、サワガニの小さなハサミも、シュンと光が消えるようにこの世から失われる。
「自分が死んでも世界は続く」というのは、ただの予想でしかない。
私という映写機が止まれば、スクリーンに映っていたすべての命も役割を終える。
なんだか自分勝手な考え方に聞こえるかもしれない。
でも、だからこそ「今、私の世界に現れてくれている存在」に対して、猛烈に感謝したくなるんだ。
「私の宇宙に登場してくれて、ありがとう」
世界は私の死で終わる、壮大な一人芝居。
だったら、消えてしまうその瞬間まで、嫌なことすら「意味のある伏線」として楽しみながら、自分だけの宇宙を最高に居心地の良い場所に彩ってやりたい。
今夜もまた、シマドジョウのすっとぼけた顔を眺めながら、私は私の宇宙を肯定する。

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